ガエル記

散策

『三国志』横山光輝 第五十一巻 その2ー西羌の戦車隊ー

ネタバレしますのでご注意を。

 

初戦、蜀軍に手痛い打撃を受けた魏の曹真は陣を後方に下げ軍の再整備をせざるを得なかった。

 

曹真と郭淮は談義した。

郭淮は西羌王国に力を借りることを提案する。西羌は曹操の時代から交易があり朝廷の名を持っていろいろな爵位を与えていたので恩を感じているのだという。

また西羌王国は他国とも交易しその武器戦法は我らとは違うものである。その西羌の兵に蜀軍の背後を突かせるのです。

この進言は曹真の心を動かし郭淮に使者を送らせた。おびただしい重宝珍器の手土産を持たせたのだった。

当時中国の人はチベット人と蒙古人との混合体により成る一王国を西羌王国と呼んでいたという。西羌王国は欧州トルコエジプトとも交流しその影響を大きく受け戦車を駆使し弓槍も優れていた。

 

魏国の要請を受けた西羌王国国王は雅丹丞相・越吉元帥に二十五万の兵を率いて蜀軍の背後を突くことにした。

 

この報は孔明に届いた。

進んで出陣を望んだ関興張苞孔明は土地に詳しい馬岱をつけ五万の兵を率いて向かった。

すばらしい。惚れ惚れ美しい。

斥候と共に西羌の陣を偵察した関興は見慣れぬ乗り物を見る。

それがなんなのか誰も知らなかった。

ともあれ第一戦目の朝が来た。

双方が出陣する。

馬に乗って向かってくる張苞関興は西羌の二頭立て戦車を間近に見ることとなった。

戦車にはそれぞれ手綱を持つ者と二人の弓矢兵もしくは槍兵が乗っていて次々と蜀兵を襲う。蜀軍は手も足も出なかった。

戦車に跳ね飛ばされひき殺されていく。

馬岱張苞はかろうじて戦車隊の囲みを斬り抜けたものの関興は逃げきれず崖っぷちに追い詰められていた。側には滝が轟々となだれ落ちている。

そこへ越吉元帥が駆け込んできた。巨大な鉄槌を振り回しそれが関興の乗る馬にあたり関興は馬共々崖から滝つぼへと突き落とされしまった。

その様子を見た越吉は舌打ちをして引き揚げていった。

 

蜀陣では戻っていた馬岱張苞が帰ってこない関興に胸を痛めていた。「討死したのかもしれん」

そこへ歓声が起こる。関興が槍を杖代わりにして帰陣したのだ。

 

三人は今後について話し合った。このまま戦っていては二の舞になるばかり。馬岱はふたりに本陣へ戻り丞相に鉄車隊を打ち破る知恵を授かってきてくれと頼む。

馬岱は鉄車の通れぬ山中に陣を構えて一か月もちこたえるという。

張苞関興は急ぎ孔明のもとへ走った。

 

関興張苞孔明に鉄車の被害を伝えた。兵の半数を失ってしまったのだ。

孔明は「わし直々に指揮をとろう」と答えた。

後を趙雲魏延に任せて孔明はあらたに三万の兵を引き連れ姜維張翼両将を加え西平関に向かった。

 

孔明はまず西羌軍を偵察した。孔明姜維に考えを聞く。

姜維は「あれはただの機械。丞相の指揮とこの空で敵を打ち砕けましょう」

孔明ですよ)

「よし姜維は西羌軍に戦いを挑みわしが赤旗を振ったら退却せよ。関興張苞は左右に伏せよ」

 

こうして孔明軍は西羌軍に出撃した。越吉元帥は今度こそ全滅にせよと意気込んでいる。

対して蜀軍は姜維を先頭に襲い掛かった。

かっこいいねえ。

姜維は西羌軍をおびき寄せようと深く入って戦った。

と合図の赤旗が降られる。

姜維は引き揚げを号令した。

姜維軍はいっせいに蜀陣へと逃げ込み同時に柵が閉じられた。

西羌軍は戦車の力でその柵を開き蜀陣内へと入り込んだ。

ところが陣内はしんと静まり返り誰の姿もない。

越吉元帥は「孔明と言うヤツは偽りの計にたけていると聞く。深入りは避けて様子を見よ」と注意した。

そこへどこからか琴の音が流れてくる。越吉はますます不気味になった。

が雅丹丞相はそんな越吉元帥に疑問を投じた。「少々の伏兵で我が戦車隊の威力の前には歯が立つまい。恐れることはない」

うなずく越吉元帥の眼前に孔明らしき人影が逃げていく様子が見えた。

越吉は「かかれ逃すな」と号令をかけた。

孔明の四輪車を追い詰めていく戦車隊。

だがその戦車隊がいきなり穴に落ち込んでしまう。

「落とし穴だ」

その場所は大地に大きな亀裂が走っており孔明はそこに竹や柴をかぶせそれを雪が綺麗に覆い隠していたのである。

立ち止まった孔明が扇を振って合図した。

と右に伏せていた張苞軍が飛び出してくる。

越吉に張苞が一騎打ちを挑む。越吉の鉄槌に張苞の蛇矛が打ち合う。

「元帥、左からも伏兵が」

「なにっ」と気を取られた越吉元帥に張苞の蛇矛が刺さった。

越吉は「引け」と号令するがその前に現れたのは関興だった。今度は関興の青龍偃月刀が越吉元帥に振り下ろされた。

 

元帥を討たれた西羌軍はわっとばかりに逃げ出した。

しかし「そうはいかんぞ」と待ち構えていたのが馬岱軍だった。

姜維張翼軍も加勢してあっという間に西羌軍を攻め立てた。

鉄車隊の威力におごりきっていた西羌軍はこうなるともろく残った者はことごとく降伏した。

 

捕縛された雅丹丞相が孔明の前に連行された。

孔明は縄を解かせて「我らは西羌国になんら野心は持っておらぬ。末永くよしみを持ちたいと考えている」と伝えた。

「よいかな。蜀皇帝こそ大漢の正統じゃ。魏は皇帝を追放しその位を奪った逆賊。それゆえ我らは魏を討とうとしている。その逆賊に味方すれば西羌国も我らにとって逆賊となる。そのことを国に帰って国主に伝えられよ」

雅丹丞相は「国に帰って」という言葉に驚いて問い返す。

孔明は「そなたを含め西羌の兵は即刻釈放いたす」と告げた。

「おいでなされ」と孔明

雅丹がついていった先には落とし穴に落ちた戦車隊が引き上げられずらりと並んでいた。「これもお返しいたす」

雅丹は「恐れ入りました」と孔明に平伏したのであった。

雅丹を始め西羌の兵は孔明に厚く礼を言って引き返した。

 

「さて次は曹真だな」

 

曹真のもとに「蜀軍があわただしく陣をたたみ引き揚げだしてございます」との報がはいる。

(そっちか。ということは西羌戦にはまったく無頓着。投げっぱなしだったということ?)

これを聞いた曹真・郭淮は西羌軍に背後を突かれ慌てて逃げ出したのだと喜んだ。そしてこの機に追撃をと勇ましく出陣した。

一手の先鋒は曹遵、もう一手は朱讃。双方とも逃げゆく蜀軍を見て追撃した。

が、曹遵には魏延、朱讃には趙雲がどちらも一突きで討ちとってしまった。

 

後に続いてきた曹真・郭淮はこの二つの報を聞き「またしても孔明の罠にはまったのかも」と引き上げを命じた。

がその道には関興張苞が伏せており曹真軍を「逆賊め」と襲い掛かる。

曹真は必死で血路を開きかろうじて一命はとりとめた。

だが曹軍はもはや渭水を守り切れる力もなく曹真は敗残の兵をまとめて渭水から総退却せざるを得なかった。

 

この西部戦線の戦況は早馬によって刻刻洛陽の曹叡のもとに報告されてきた。

「曹真がまた敗れた」の報は曹叡重臣たちを震え上がらせた。

「西羌軍は数知れぬ死者を出し引き揚げていった。さらに曹真は先鋒大将ふたりを失い渭水から総退却した」

「このままでは長安を失い関中も危い」

「こうなれば陛下自ら御車を渭水にすすめ三軍の士気をふるわせたもうしかございますまい」

これに反論する重臣がいた。鍾繇である。

「帝自らご進発なされて万一敗れようものなら魏一国の生命にかかわりましょう。たしかに曹真殿は戦の場数は踏みましたが諸葛亮の相手ではございませぬ。今、諸葛亮と互角に渡り合えるのは一人しかおりませぬ」

曹叡は驚き「それは誰じゃ」

やだーーーーやめてー誰かこの男を止めてくれい。

曹叡は「しかし仲達は謀反の疑いで」と言いかける。

鍾繇は「あの仲達謀反の流言飛語は蜀のたくらみであったと思われまする。司馬懿仲達が追放されてから急に孔明は動き出しひた押しに攻め込んでまいりました。ということは孔明は仲達だけは恐れていたということです」

曹叡は「まさにその通りだ」と言いながらも「しかしあのようにして追放してしまった仲達が我が命に快く応じてくれようか」

鍾繇は「仲達は元来憂国の人。必ずや御命に応えましょう」

 

こうして魏は国家の危機を仲達にかけた。

 

オワタ。仲達出てきた。(ノД`)シクシク

なぜ思いついたかなあ。まあ思いつかない方が変だけども。

魏の方から見ればやっと仲達登場!これでなんとかなる!と喜べるのだが、私は蜀派なので。

 

追放された仲達は田舎でイライラと焦りながら歩き回っていた。

いつもそうなんだけど横山先生はこの一コマでイライラ歩き回ってる様子が感じられるから不思議。止まってるのに歩いてるふしぎ。

これを見た息子たちが「父上何をいらいらされてます」と声をかける。

仲達ちょっとむっとして「お前達には国の一大事がわからぬのか」と言い返す。

渭水のことでございまするか」

「そうじゃ」と答える仲達に息子は「でも父上がお立ちになればその心配もございますまい」

良いやり取りだねえ。

息子たちは「蜀の孔明と渡り合えるのは父上だけ」「その通り、魏もそれほど物のわからぬ者たちばかりではございますまい」と言い立てる。

これには仲達「ふーん。わしを慰めようとしているのか」とちょっとうれしそう。

「いえいえ、そのくらいのこと、親子の感情を抜きにしてもわかります」

 

数日後息子たちの予言通り司馬懿仲達の屋敷に勅使が訪れた。

仲達の官職をすべて元に戻すだけでなく平西都督にも封じられた。

南陽の兵を招集しすぐに長安においでいただきたい」

 

仲達は「そち達の予言があたったのう」と息子たちに話しかける。

「必然です」という息子に「父に対する世辞はもうよい。それよりすぐに兵を集めよ」というのを「南陽の諸将はすでに出兵の準備を整え待ってございます」

「なにっ」と驚く仲達に「いまや魏の危機。近々出兵の命がくだるやもしれぬゆえ準備を整えておくよう申しておきました」

「そうか。ならばすぐに出兵するように伝えよ」

「はい」とこたえ息子たちは出ていった。

「むむむ、我が家にも麒麟児が生まれていたか」

 

あああ。ここが仲達の強いところですよね。

孔明は子供がいない。今もまだ後継者を捜しているところなのに仲達にはずっと父の考えや行動を学んできた息子たちがいる、と。

きついなあ。

 

司馬懿仲達の出兵は電光石火の速さであった。

それには父に劣らぬ司馬師司馬昭の力もあった。

今ここに孔明が一番恐れていた人物司馬懿仲達が立ち上がったのである。

 

もおおお、なぜこんな、ころんじゃえとかしょーもない愚痴を言っても仕方ない。

仲達ってすごい年上に見えるけど孔明とそんなに年齢違わないんですよね。

しかしほんと歴史は凄く複雑です。

そして案外あっさりと復活したりする。

フィクションだったらいきなり復活を助言するキャラ出したら「都合よすぎる」と言われそうだけどそういうものなのだ。