ガエル記

散策

『三国志』横山光輝 第四十四巻

漢中王から蜀皇帝劉備玄徳表紙絵7回目と書きたかったのですがもう一人はっきりと張苞が描かれてるので、玄徳6・5回目。張苞0・5回目。

むむむ。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

 

 

張飛黄忠の最期に玄徳は寿命を考え改めて仇討ちの誓いを立てた。

水軍は黄権にまかせ玄徳は陸路を進んだ。

前方に韓当周泰率いる呉軍が現れ二将が対決を挑む。

蜀軍からは張苞関興が凄まじい殺気を見せる。

その後全軍対決となった。

 

呉軍の勇将・甘寧は病を押して参戦した。

が、矢傷を負い逃走する途中で力尽き落馬した。

「ぐちになるが関羽の首をはねたのはまずかったのう」とつぶやく。蜀と呉がこうして死闘を尽くして傷つき合った後、魏がどう出てくるか。

「多くの武将たちが死んでいくのであろうなあ」

そう言って甘寧は息を引き取った。

 

蜀陣営は勝利に沸き返っていた。

が、玄徳は関興の姿が見えないことに気づく。

張苞に探してくるよう申し付けた。

 

関興はただ一騎で敵将潘璋を追っていた。父関羽待ち伏せし捕らえたのは潘璋だと聞かされていたからである。

 

(父関羽と同じ青龍偃月刀を携えている)

が、その姿を見失ってしまう。

途方に暮れていた時一軒の家屋を見つけた。

関興は食べ物を求めることにした。

家主は快く招き入れてくれた。

部屋に入るなり関興は呻いた。

壁に父・関羽と思しき絵が祭られていたからである。

関興が「我が父だ」と言って訳を問うと家主はひれ伏し「この地は関羽将軍が治めたもうた領地。ご存世の時も今はなおさらお祭りしてきました」という。「今も蜀の軍勢が早く仇を討つようにと願っておりましたところにございまする」

関興は深く礼を言った。

家主は酒と料理をふるまってくれた。

そこへ門扉を叩く者がいた。

「呉の大将潘璋だ。朝まで母屋を貸してくれ」と言うではないか。

関興は「これぞ父のお引き合わせ」と走り出した。

 

家主が潘璋を招き入れる。

そこへ関興が剣を突き出して名乗り上げた「わしは関羽の次男関興だ」さらに「お前が待ち伏せをして父を捕えたと聞いておる。まことか」と問うた。

潘璋がそうだと言うと関興は剣を振るった。幾たびか剣を合わせた後関興の切っ先は潘璋の胸に届いた。関興はその首を落とした。

家主に礼を言うと関興は急ぎその首を持って帰途についた。

そこで潘璋の軍勢と出会ってしまうが探しにきた張苞によって救われる。

張苞はもちろん張飛と同じ蛇矛)

張苞関興が早くも仇の一人を討ち取ったと知り羨望の気持ちを持った。

 

関興は玄徳に父の仇・潘璋の首を見せ賛辞を受けた。

蜀軍の意気はますます高まり必勝の信念をもって進撃を続けた。

 

一方呉軍は連戦連敗を続けていることになる。負傷兵の数もおびただしく戦意はあがらなかった。

蜀軍に仇と狙われている傅士仁麋芳は岸辺に陣取っていたが兵士らが二人の首を持って蜀に降伏する計画を立てているのを聞いてしまう。

ふたりはそれより先に自分たちが呉の将軍の首をみやげに蜀へ降ろうと総大将の寝首をかいて蜀へと逃走した。

 

が、玄徳の怒りは収まらなかった。

傅士仁麋芳は懸命に言い訳をしたが関羽を裏切り死に追いやったことが許されるはずはなかったのだ。(許されると思うのがおかしい)

玄徳は関興に命じてふたりの首を討ちとらせ関羽の霊前に捧げさせた。

 

これを見ていた張苞ははらはらと涙を流す。これに気づいた玄徳が問うと「関興と違いこの張苞まだひとりの仇も討っておりませぬ。それが歯がゆくて」

玄徳は優しく励ますのだった。

 

敗戦に次ぐ敗戦の後、傅士仁麋芳が蜀に降り首をはねられたという話が伝わるとさらに騒然となった。呉の滅亡は時間の問題だと噂し合ったのだ。

孫権は会議を開き重臣らの意見を求めた。

「玄徳は関羽張飛の仇討を目指しています。関羽を捕え首をはねた者たちはことごとく死にました。残るは張飛を裏切り首を持参した張達と范彊。このふたりを召し取り張飛の首とともに送り返してはいかがでしょうか。さらに荊州を返し孫夫人をお送りして和睦を求め昔通りよしみを結び共に魏を滅ぼしたいと申しやられてはいかがでしょうか」

「なるほど昔の状態に戻すのか」と孫権はすぐやれと命じた。

 

玄徳の元に張飛の首と張達・范彊が届けられた。

 

 

張苞は玄徳に父の仇を討ちたいと願い出た。

 

馬良は玄徳に呉の申し出を伝える。

が玄徳はその申し出をはねつけた。

 

この時、「仇討ちは終わった」として玄徳がこの申し出を受けていたら、と思わずにはいられない。

しかし関羽の仇討の説明には納得はできない。

玄徳は孫権こそが仇と思っているのではないだろうか。孫権こそが関羽が守っていた荊州固執関羽を追い詰めたのだ。

それならここで玄徳が仇討ちは終わったとは感じていないはずだ。

 

玄徳が和睦しないと聞いた呉は再び騒然となる。

そこに割り込み「なぜ各々がたは国家の柱となる天才を王に勧めて蜀を破ろうとせんのだ」と声をあげた重臣がいた。

闞沢だった。孫権は闞沢に「そのような大人物とは誰か」と問う。

陸遜です」

居並ぶ重臣たちは若い一書生の名に訝しむ声をあげた。

が闞沢は「私の言葉に誤りがあれば直ちにこの首をおとりくださいませ」と言う。

孫権はそういえば呂蒙陸遜を認めていたと思い出す。

 

かくして陸遜孫権の元へ呼ばれた。

居並ぶ重臣たちの前で陸遜は大都督となったのだ。

が任地についた若き司令官陸遜に誰もが不安を覚え言葉ひとつひとつに反感を持つのだった。

 

玄徳のもとにも新しい総司令が決まったという報が届く。陸遜という名に覚えのない玄徳は誰か知っておるか、と問う。

馬良は「呂蒙もその才能を高く買っていたそうです。深才遠計そこが知れぬと聞きます」さらに呉軍が荊州を襲って関羽を倒したのも呂蒙の奇略というよりは陸遜の知恵と言われております」と続けた。

これに玄徳は激怒する。

「では陸遜こそが我が義弟の仇ではないか」

制止しようとする馬良を罵倒し玄徳は全軍に陸遜を討てと命じた。

 

陸遜に「蜀全軍が押し寄せて参ります」の報が入る。

陸遜は「陣を固く守って勝手に打って出るなと伝えよ」と命じた。

だが韓当の陣が出陣しようと太鼓を叩く音が聞こえた。陸遜は自ら走って制止する。韓当はこれに歯向かった「目前に敵をみながら何もせぬなら戦などせぬほうがいい」

陸遜は玄徳に考えがあるのがわからないかと反論した。

「我らにとって持久戦は有利」

夏の炎天を見上げ「この炎天の中で持久戦に持ち込まれれば蜀軍はいずれ山林に陣を移す。その時が勝負じゃ。それまではモグラのように身をひそめているのじゃ」

 

猛暑の中蜀軍は呉軍に対峙した。