ガエル記

散策

『三国志』横山光輝 第四十一巻

関羽表紙絵3・5回目です。後ろに関平君の顔がちらりと見えていますがただでさえ少ないので3・5回目とさせてくださいw天下の関羽少なすぎでしょ。横山先生~

 

中扉絵も関羽雲長。髭のホワイトはテカリなのか白髪なのだろうか。

どちらにしても超イケメンすなあ。

しかし胸が苦しい。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

関羽は魏軍が布陣を変えたと聞くや直ちに船や筏を造らせ始めた。

 

関平にはその意味がまだ解っていない。

関羽は樊城を取り囲んだまま動こうとしない。

季節は秋になった。

連日雨が降り始め蘘江の水は一夜ごとに水かさをましていく。白江の濁流も溢れだし諸川が一つになり四方の陸を沈め始めた。

谷間や河川のほとりに布陣していた魏軍は次第に増してくる水に追われ毎日高い所へ陣を移動し始めた。

「もうよいであろう上流に作らせた堰をを切って押し流せ」

 

魏軍の成何は于禁に不安を訴えた。このままでは軍が水没してしまいます、と。しかし于禁はいらぬ心配はしないようとしか言わない。

尚も成何は関羽の軍が船や筏を造っているのは何か考えがあるやもと進言したが于禁聞く耳を持っていなかった。

成何は龐徳に相談した。龐徳も同じ懸念を持っていた。

そこで龐徳は軍命に逆らってふたりだけは別の場所に陣を取ろうと提案したのだった。

 

一方関羽軍が造り上げた上流の堰はあふれんばかりになっている。その堰が切って落とされた。たちまち激しい濁流が轟音とともに落ちていく。

見張りをしていた魏軍の兵はその凄まじい音を聞いた。

洪水と察知した兵たちは逃げ惑うが流れはそれらすべてを呑み込んでいく。一瞬にして川べりに陣取っていた魏軍を押し流し精鋭七軍を溺れさせてしまったのだ。

 

筏に乗った関羽は命じた。

「船を求める者は助けよ。歯向かう者だけ相手にせよ」関羽軍は溺れる魏軍兵を助けていく。

が川岸に残っていた敵陣があった。龐徳の旗が立っている。関羽龐徳に降伏を求めた。

龐徳はかつて裏切者と蔑まれた自分を魏王が救ってくれた恩がある。ここで再びお前達に降ったら後世人々は何と言おう。わしは名を惜しむ。

関羽はその気持ちはわしとて同じじゃと言い龐徳との決戦となった。龐徳の戦いはすさまじく関羽軍の兵たちが次々とやられていく。龐徳が船を奪い乗った時一艘の小舟が龐徳の船に突撃し龐徳は水中に落ちた。

船に追突したのは周倉。蜀軍第一の水練達者であった。龐徳も死闘を尽くしたがついに周倉に生け捕られてしまう。

 

于禁関羽軍に捕らえられ獄に入れられることとなる。

次に関羽の前に現れたのは龐徳だった。

関羽はもう一度龐徳に降伏を求めたが龐徳の答えは同じだった。そして「関羽殿もかつて魏王の世話になっても玄徳の無事を聞くや千里の道の関所を突破したと聞きます。拙者も魏王以外に仕える気はない」

なんていい顔するんだろう。玄徳の話を聞くと必ずこういう顔になる関羽

「わかった。わしとて死を選ぶであろう。よしそちの首はわしの手で」

 

ここに龐徳はその生涯を閉じた。

忠義の豪傑であったのに悲しい生涯でもあった。せめて最期意志を通せたことが救いだったのか。

 

樊城では大洪水から逃げ出そうという案が持ち上がったがそれを諫めた臣がいた。

この城を捨てれば黄河以南は荊州の軍馬で平定されてしまいます。それで魏王になんといって顔を合わせられますか。

これを聞いた曹仁はよくぞ言ってくれたと感謝し兵士らの前で愛馬の首を斬って落とし覚悟のほどを示したのだった。

(よく意味わからん、馬が可哀そう(´;ω;`)ウゥゥ)

 

于禁を生け捕り龐徳を討ち七軍を濁流にのませた関羽の戦いとその名は天下に鳴り響いた。

だが関羽の陣は重苦しい空気が漂っていた。

家来たちはひそかに医者を探し始めた。

この時ひとりの旅医者が関羽の陣を訪れた。

華佗であった。

関羽は診察を受けた。腕が腐りかけています。今のうちに悪血を出し骨を削らねば腕は廃物となりましょう。

「治せる自信はあるか」と問う関羽華佗は「はい」と答える。

では、と手術の準備をする華佗に「何をする?」と聞くと「骨を削る時痛みまするので動かぬように縛ります」と答えた。

出た。関羽「そんなものはいらん」関羽そんな三部作第三弾。

「医者の治療を恐れていては命をはって戦はできんぞ」という関羽華佗は「ではそのままで」と治療を始めた。

碁の相手は白眉の馬良さんかな。

昔、子供向け簡単三国志を読んでなによりこのエピソードが忘れられなかった。そっちでは関羽は碁をやめなかったよ。

碁を打ち酒を飲みながら手術を受けたと書かれていたのをまだ覚えているwゴリゴリと骨を削られるというのが恐ろしかった。その時からすでに関羽に興味があったのだろうなとは思う。あと赤兎馬がすごく気になった。これも関羽の愛馬だしなあ。

読みながらこんな顔になってたはず。

関平君倒れそう。

翌朝華佗関羽を見舞った。

関羽はぐっすりと熟睡でき痛みもなくなり華佗を名医と称えた。華佗もまた関羽のような患者は初めて天下の命患者だと答える。

 

こうして華佗は飄然と関羽の陣を去った。

 

んんん。もしかしたら関羽はこの時命を落としていたのかもしれない、と考えよう。

龐徳の矢はそれほど深く関羽を痛めつけたのだ。

この後の話は非常に辛いものとなってしまうがどちらが良かったのだろう。ここで静かに亡くなってしまうのと。

 

しかしそれを言うなら曹操は何度死んだかよくわからない。

 

こうして生き永らえた関羽の名声は前にも増して人々を怯えさせていた。

鄴郡では「関羽軍が攻めてくる」と逃げ出す者もいた。

魏の曹操も「かねがね関羽の知勇は知っているが今荊州襄陽を手に入れられたら虎に翼が生えたようなものじゃ」と言って恐れた。

「万一に備え都を移そうか」というと司馬仲達はそれを制止した。「この度の惨敗は洪水が関羽に味方したもの。呉を動かすべきでございます」

呉も同じように関羽の勢力を懸念しているはず。呉を説いて関羽の背後をつけと言えば応じるはず。

これには曹操も同意してでは誰か関羽の出鼻をくじくものはおらぬかと問う。

これに答えたのが徐晃であった。

 

呉・建業では魏の要求について喧々諤々の談義が続いていた。そんな時呂蒙が急の帰国で孫権の前に姿を現した。

呂蒙は「関羽が樊城攻めをしている間に荊州を襲い取るがよろしい。荊州さえ奪えば関羽もとりこにできる。この呂蒙荊州攻めの許可をくださるようお願いに参りました」と進言したのだ。

孫権は呉の第一の要害守備にかつて周瑜魯粛を選びその魯粛がお前を選んだ。そのお主が申すのだから間違いなかろう、と呂蒙の申し出を許可した。

 

ところが呂蒙はいざ荊州の備えを探らせると要所要所に烽火台が築かれ万全の備えがあると気づかされた。

これは呂蒙の計算外で関羽がそこまで手を打っているとは思わなかったのだ。大言を吐いた呂蒙はいきなり病気になって臥せってしまったのだ。

 

一向に動かない呂蒙孫権は業を煮やす。孫権陸遜呂蒙の様子を見に行かせた。

陸遜呂蒙の病気を仮病と見破っていた。

(あのう、この事態で仮病ってwwwそんなんあり?)

無茶苦茶だな案外。

思いきり仮病wしかし陸遜はそれがしが見舞いに来ましたのですぐ病は治られるでしょうという。

そして呂蒙が病気になったのは荊州の防御が完全だったからではありませんか、とずばりと突いたのであった。

関羽は樊城を攻めていながら却って荊州の防御を強めている、それを知ってのご病気。

これには呂蒙「むむう炯眼恐れ入った」と起きだした。

陸遜は「ではますます大病と称されてふたりで建業に帰りませぬか」と説いた。

関羽がそこまで防御に力を入れたのは呂蒙が陸口にいたからこそ。呉随一の将軍に隙あらばと控えられていては関羽も油断はいたしませぬ。

 

「ここで呂蒙が大病のため職を退き名もない将が交代してひたすら関羽の鼻息を恐れるが如き様子を見せれば」

おそらく関羽は安心し兵を樊城のほうに回すに違いありませぬ。呉の進出はまさにその時。

呂蒙はこれに「おお」と声をあげ陸遜の肩を抱いた。

よろしい、私は大病人となって建業に戻ろう。

「はいそれがようございまする」

 

至る所に智者あり。

だよねー。

作り話だと敵はみんな馬鹿になったりしたりもするけどそういうことはないわけで。

遜君恐ろしい子

これは関羽も騙される。

いや泣くから(´;ω;`)ウゥゥやめて

 

関羽編になって三分の一しか進まなくなった。仕方ないね。