これぞ趙雲。うんかっこいい。
ネタバレしますのでご注意を。
砦には兵の気配がなく城門前の橋の上に趙雲子竜がただ一騎待ち構えているのである。
「二十万の軍勢にただ一騎!」と曹操は呻いた。
曹操は徐晃・張郃に突撃を命じた。だが全く動じず平然と立ったままの趙雲を見て二将軍はどうしても止まらずにはいられなかった。
再度曹操の叱咤を受けやむなくふたりは兵を率いて突撃した。
趙雲はふふと軽く笑い「よし撃て」と号令をかけた。
突撃してきた曹軍にいっせいに矢が射ちこまれる。曹兵はたちまち標的となって倒れていった。
その時「魏王様」と呼ばわる声がし「味方の陣が次々と焼き払われてございます」
曹操が駆け付け見ると
さらに蜀軍が城から打って出た、の知らせに曹操は退却を命じる。
魏軍は船に急ぎ乗り込もうとするが趙雲らが襲い掛かり乗り遅れた兵たちはその場で討たれたり漢水の流れに溺れていった。
曹操も命からがら逃げのびた。
曹操の陣に火を放ったのは劉封・孟達の別動隊である。むろん孔明の指図だ。魏軍の損害は予想をはるかに越える大きなものであった。
曹操は群を南鄭までさがらせ軍の立て直しをはからねばならなかった。
魏軍が去った陣には大量の食糧・槍・馬が捨て去られていた。水死者の数も一万を数えたという。
玄徳は趙雲は全身すべて肝っ玉じゃのう、と感嘆した。
魏軍の被害は凄まじいものだが引き下がりますまいと孔明は言う。軍を立て直し再び襲ってきましょう。
孔明の言葉通り曹操は軍を立て直すや決戦に挑む。先鋒隊は徐晃。地理に詳しい王平が副将となった。
漢水に到着すると徐晃は浮き橋を作らせる。王平がその意義を問うと徐晃は「川を渡って陣を取る」という。つまり背水の陣をとるというのだ。王平はこれに異を唱えると徐晃は「昔韓信は背水の陣をしいたのを知らぬか。死地に生ありじゃ」と侮蔑するように言い返す。王平は「韓信は敵に謀略がないことを知っていたからその陣を用いました。趙雲黄忠に謀略がないと言い切れますか」と問いただすと徐晃は「それほど心配ならお主は歩兵で岸を守れ。それがしが騎兵を持って打ち破るを見物しているがいい」と言い放った。
(日本人は「背水の陣」という言葉を頻繁に使う気がするけど、これはとってはならないものなのだと今更知りました。戦時中に「死地に生あり」というのもよく使われた気がする。なんだいもう負け戦って意味だったのか)
王平の助言を無視というか侮蔑して徐晃は浮き橋を作らせ背水の陣をしいたのだった。
黄忠は徐晃の気勢をそぐため時を置いてから二手に分かれ攻めようと計画した。
打ってこようとしない敵に焦れた徐晃は矢を射ち込ませ様子を伺うがそれでも反応がないためあるだけの矢を射ちだし始めた。
黄忠は趙雲に「敵が引き上げ始めたら左右から攻め立てましょう」と二手に分かれる。
徐晃軍の矢が尽きた。途端に左手から黄忠が襲う。矢が放たれさらに徐晃が造らせた浮き橋に火がつけられた。
慌てて橋を渡ろうとする徐晃軍を趙雲が襲う。徐晃は渡り切ったが多くの兵たちが渡る前に橋が燃え落ちてしまった。
その兵たちに矢が射ち込まれれる。徐晃軍は大敗した。
「味方が苦戦しているのになぜ援軍を出さん」
王平は陣を空にするわけにはいかないと答え「今度の敗戦は拙者の言葉をお聞き入れされなかった徐晃様の責任です」
徐晃は「自分の臆病をたなにあげわしに責任をなすりつける気か」と怒る。
「この大敗拙者に責任はございませぬ」
本作でここまで嫌なヤツいないんじゃないか
がこれは周囲のものがとりなしその場で王平が斬られることはなかった。
なんなのこいつ。
敗戦の報告がどのようにされるか想像がつく。
王平は「蜀軍に降る」と決意した。
それには手土産が必要だ。
王平とそれに従う者たちはその夜陣に火を放ち「蜀軍の奇襲だ」と叫び逃げ出した。
趙雲は対岸の魏の陣に火の手が上がったの報を聞き驚く。
一艘の船が近づいてくるのを見た。趙雲は何者かと問う。
「徐晃の副将王平でございます。軍門に降りたく陣に火を放って参りました」
地理に詳しいことがどれほど役に立つか。玄徳は喜んで迎えた。
魏軍では思った通り徐晃が大敗の原因を王平の裏切りによるものと報告した。
孔明は地形の見回りをしていた。
敵の目に届かぬ盆地を見つけ伏兵に絶好の場所を見つけた。
そして趙雲に五百の兵を連れ笛太鼓を持たせてその盆地に隠れさせた。
そして火矢の合図が上がったら角笛太鼓を打ち鳴らせ、と命じた。
もう前みたいに「なんでそんなことを?」的なのはなくなりましたw趙雲はいつも素直だとは思いますがw実直一筋なのでねえ。
はああ、かっこいいこの絵。
すばらしいな。闇と火を感じるようです。
もうアニメですよ。動いて見える。
音が聞こえるようだ。
笛は?角笛は?w
魏軍では「蜀軍の夜襲だ」と大騒ぎになる。
眠っていた曹操も起き上がり身支度をして
許褚はいつも曹操のすぐそばに。
が、音はすれども蜀軍の姿はみえない。
魏軍は夜通し駆けずりまわった。だが盆地で打ち鳴らされる太鼓の音は山にこだましどこで鳴っているのか見当がつかなかった。
この騒ぎは三日三晩続いた。
魏兵はすっかり寝不足になり曹操は不安に駆られ陣を三十里後退した。
孔明は玄徳に語った。
曹操は自分の兵法に自信をもっている。それだけにちょっとしたことでも疑いの目で見てしまう。智者はかえって智に溺れるといいます」
つまり今回は太鼓を鳴らしただけで別の策略はないのに曹操は深読みをしてしまった。
さらに孔明は漢水を渡って陣を敷きましょうと言い出す。つまり背水の陣となる。
これも曹操は何か謀略があるとますます不安に駆られるでしょう。
と手出しできなかった。
さらに追撃をしてきた蜀軍
久々の対面ではないだろうか。
曹操は徐晃、玄徳からは劉邦が出て戦うが劉封はあっという間に逃げ出してしまった。
これを見た曹操は引き揚げの合図を送る。
勝ち戦だったはずなのに、と訝しむ周囲に曹操は漢水を背にしたことが疑わしい上あの逃げっぷりは見事すぎる、といって退却を命じた。
孔明は「やはり考えすぎるようになっている」として出撃を命じた。慌てて応戦を命じると左手から黄忠、右手から趙雲が攻めこんできた。魏軍は三方から分断された。
魏軍はたまらず南鄭にまで引き上げようとした。
がその時南鄭に火の手が上がっているのを見る。
曹操はやむなく陽平関へ退却した。
玄徳は南鄭へと到着。
孔明は曹軍を食糧攻めにした。
補給路はふさがせ焚き木も手に入らないよう山に火をかけさせた。
追い込まれた曹操は食料貯蔵地から食料を運び込ませようとする。この任務を引き受けたのが許褚であった。
(許褚働きすぎでは)
食糧貯蔵地では許褚の到来に安堵していた。
酒をふるまって許褚を労う。久しぶりの酒に許褚もこれを楽しんだ。
日暮れになり許褚が出発しようというのを止められるが許褚は心配いたすな、と返した。
が許褚の食料部隊は山道で襲われる。
張飛だった。
張飛の鋭い槍が許褚を襲う。許褚は酔っていた。不覚にも傷を負い落馬した。
驚いた周囲の者は許褚を守り荷を置いて逃げ出した。
後を追おうとした者たちを張飛は制した。
張飛がいちいちかっこいいのよ。もうかつての酔いどれではない。
逆に許褚が酒で失敗してしまうとは。
ううう。つらい。曹操なぜこの役目許褚に任せたの。
彼しか信頼できる人物がいなかったのか。
人材豊富のはずの曹操軍。どうなったの。それとも曹操の人材の使い方がまずいのか。
あの勇猛果敢で実直な許褚がこのような失態をさせられたのが悲しい。
そして曹操はまじで窮地に追い込まれていく。