ガエル記

散策

『三国志』再び 横山光輝 十三巻 前半

三国志』再読なんでざっとやろうと思っているのにどうしても一巻ペースになってしまうのですよ。どうしても書きたいことがあるのだな。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

冒頭、あの有名な曹操の「この先に梅の実があるぞ」事件が描かれる。

張繍荊州劉表が組んで怪しい気配があると聞き曹操南陽へと向かう。

季節は5月から6月。最も暑い季節なのだ。

河南の伏牛山脈の道は険しく兵士たちは倒れ水を求めた。

そんな兵士たちに曹操は「皆の者、もう少しのしんぼうだ。この山を越えると梅の林がある」と呼びかける。兵士たちは「梅の実が食える」と言い合った。すっぱい梅の味を想像し口の中に唾をわかせいつしか喉の渇きを忘れたのだ。

 

それでいいのかなあとは思う。

 

とはいえ曹操の機転で難行軍を進め南陽の宛城へと迫った。

曹操はカッコいいんだけど

しかしこの戦争は曹操にとって多くの犠牲者を出しただけの戦いとなってしまう。

宛城での搦手を狙った作戦は上手くいかず五万の犠牲者を出し逃走した曹操軍を待ち構えていたのは荊州劉表軍と張繍軍の連合軍だった。

それでも曹操は挫けず兵士たちの身を隠させ人数を少なく見せて敵を安堵させ一気に総攻撃をかける奇策で目的だった張繍の首を取る寸前まで進むがここで急使が届く。

ホレボレ

冀州袁紹曹操の国を狙って大動員を発令したというのだ。

こうして曹操軍は都へと引き返したのだった。

 

曹操が都に戻ると袁紹軍の動きは止まり都攻撃は頓挫した。

曹操は安堵する一方「余の天下統一まだまだ遠いか」との思いもつのる。

 

この後「横山三国志の荀彧問題」が現れる。

 

荀彧というと「二虎競食の計」「駆虎吞狼の計」で有名で本作でもそこが描かれていたがその時の人物が荀彧とすればこの後に出ていて曹操から「荀彧か」と呼ばれる男の顔がまったく違うのだ。

(十巻より。名前は出てこない)

(本巻。「荀彧か」と呼ばれる)

「二虎競食」は荀彧に決まっているので名記載なしでも荀彧だ。なのに後々「荀彧か」と呼ばれる男の顔がなんともひょうきんだ、というのであちこちで「横山三国志では荀彧が前と後で顔が違う」と書かれているのだ。

これはいったいどうしてなんだろうか。

 

この「荀彧」呼ばれ男の直前に郭嘉の言葉を言う男が登場する。郭嘉、と書いたが本作品のここでは名前は出てこない。

 

そして十巻に登場した「二虎競食の計」男とほぼ同じ顔(より険しくなってるが)なのも気になる。彼は荀彧なのか郭嘉なのか。

荀彧の言葉を言った男が後に郭嘉の文言を話している。そしてその後に「荀彧か」と呼ばれる男が登場する。

 

つまり荀彧の顔が変わってしまった、というより「荀彧のセリフを言った男が後で郭嘉のセリフを言ってその後「荀彧か」と曹操に呼ばれる別の男が登場する」のである。

 

私が思うには「荀彧と郭嘉を混ぜて一人のキャラクターにして名前を付けず、その後に荀彧という男が登場した」のだろう。

なぜそうなってしまったのか、と結局よくわからない。

 

荀彧問題で手こずった。今回一巻ペースどころじゃない。それでも急いで書いたので破綻しているかもしれない。

 

さて呂布は仲間と思っていた玄徳が曹操と手を組んで自分を討とうとしていると知り怒る。どうするものかと悩んでいる時に愛娘の歌声を聞く。

にんまりする呂布。良いお父さんではあるのだよな。

呂布はただひとりの愛娘を袁術の息子に嫁がせ同盟を結びたいと考える。しかしその返事は「まず姫を先に寄こすように」つまり呂布の娘を人質にするというものだった。

呂布は怒り自分の力で玄徳と曹操両軍に勝つと決意する。

 

曹操は玄徳と組んでのたくらみが呂布にばれたと知り夏侯惇を援軍として出陣させる。

その間にも呂布は玄徳のいる小城を攻め立てていた。しかし曹操の出した夏侯惇軍は早かった。呂布も玄徳のいる小城は後にして夏侯惇へと軍を向ける。

ここで夏侯惇は左目を射られてしまう。これ以降の夏侯惇のアイパッチ姿は印象的だ。

 

玄徳は城を出て戦うがこれに気づいた呂布が向きを変えて攻撃してきたのを知り急ぎ城へと戻る。

関羽張飛は別動隊で玄徳を守れない。

小沛は呂布の手に落ち玄徳の行方は知れなかった。

 

思った通りここまで。

荀彧がーーー。

ま、仕方ない。

玄徳どうなる???