ガエル記

散策

『三国志』横山光輝 第二十六巻

曹操。表紙絵4枚目。着実な感じ。若い頃はもちろんですが壮年の曹操も美男です。しかし彼は苦境がつきものですなあ。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

孔明の帽子が????

なんぞこれ。

鉄人28号的な?

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

曹操の壮大な水軍を見て周瑜は恐怖を感じる。水軍提督だからこそ力の差が強烈に解ったのだろう。

凄い漢文調で話してしまいます、

周瑜は怖れを知る感性を持っていてそれがために強くなり出世もできたのだと思いますが恐怖心が強すぎる。英雄になるためには鈍感性も必要なのかもしれません。

 

曹操もまたこの威風を見せつけながら強風で旗印が折れたことを不吉として引き上げてしまう。惜しい。この時そのまま進撃していれば怯えた周瑜曹操は勝っていたかもしれない。

まこと歴史はたらればです。

そして周瑜もまた旗が折れて当たり倒れてしまう。しかし周瑜の場合は心の病だと孔明は言い当ててしまう。

そして孔明が出した処方箋には「東風」と書かれていた。

周瑜孔明には何も隠せないと起き上がった。

孔明は異人から八門遁甲の天書を伝授されたと言いそこに風を起こし雨を降らせる法が書いてあったという。孔明は秘法により風を祈ってみましょうと申し出る。

周瑜魯粛に祭壇を築かせた。期限は十一月二十日である。

訝しむ周瑜魯粛を後にした孔明には自信があった。

子供の時より気象を観測していて毎年十一月になると二三日だけ東南のかぜが決まって吹くことに気づいていたのである。

 

壮大な祭壇が建築され孔明は厳かな表情で祈祷を始める。このあたり堂に入ったペテン師である。

蔡瑁の甥っ子たちを酔いつぶれさせ、苦肉の策で曹操の元へ行く手はずを整えた黄蓋は向かう船に干し草枯れ葉の下に硫黄焔硝を積み込んだ。

火計は着々と進行していく。

がまだ風は吹かない。周瑜は落ち着かなかった。しかしこの時もしかしたら風など吹かせきれるものかと願っていたのかもしれない。

が、突如として風の向きが変わった。東南の風が吹き始めたのだ。

喜ぶ魯粛や他の兵たちの前で周瑜は恐れた。

孔明とは人か魔か」

周瑜は部下たちに何事かをささやいた。

彼らが向かったのは孔明のいる祭壇の方向。

魯粛はそれを見とがめ「まさか孔明を殺しに」

しかし周瑜は断言したのだ。

「こんなことをなす人間を敵に回したらどうなる」

が、孔明の姿はもうそこにはなかった。

孔明を探す兵たちに「先生は上流に向かって船をこぎだしましたが」と見張りの声。

急ぎ船で追いかける兵たちは前方に船を見つけた。

孔明いちいち絵になる男である。

逃してはならないと慌てる兵たちに

おお、この言葉『三国志』からだったのか。それともよくあるフレーズなのか。

趙雲は頼もしいなあ。

 

なおも追いかけようとする兵にもう一人が声をかける。

「あの孔明帰る日の船まで用意していたのだ」

とても我々の歯の立つ相手ではない、と。

こんなところで趙雲相手に死ぬこともあるまい、と兵たちは帰っていった。頭いいです。

 

しつこい。絶対殺すマンってやつですね。

ここで周瑜曹操と手を組んで玄徳を討っては、と言い出す。驚いた魯粛はこれまでの使命を周瑜に思い出させる。

周瑜は気を取り戻し「この東風が吹いている間に曹操を叩かねばならない」と迅速に命令を発していった。こうなると周提督の有能が際立つ。

 

さて玄徳たちは孔明の乗る船を今や遅しと待っていた。

玄徳は孔明の言った通りに趙雲を迎えにやったのだが張飛はどうして孔明の言った通りに事が運ぶのかを不思議がる。

そこへ趙雲の船が見えてきた。

到着すると孔明は玄徳が準備していた兵をすぐ動かし始めた。

なんとこれ。赤壁の戦いで敗走する曹操を迎え撃つ手はずなのだ。おおーい。もうすでに曹操負けてる。まあ負けるんだけどまだ負けてないのに。

一方趙雲たちももうすでに慣れたものでまだ負けてはいない曹操の敗走を迎え撃つ命令を次々と受けていく。

張飛の恐れをなした顔がおかしい。

何も怖れぬ張飛だが孔明の予言者のような頭脳はどうも不気味でしかたないらしいw

そりゃそうだ。逃げてきた曹操が雨に会いそこで食事をする、などという未来が見えているようなことを言われたら気持ち悪い。

かわいいw劉琦のことも考えてくれる孔明、そこに痺れる憧れる。

 

そして孔明は玄徳に「樊口の山頂から周瑜指揮なす大江上戦を見物いたしましょう」と誘う。

ここで声を上げたのが関羽だった。いつも先駆けを命じられる彼が今回はまだ何も命じられていない。

孔明はかつて関羽曹操に気に入られ大切にされた恩義を感じているはずだ、と言う。「無残な姿となった曹操をお主が斬れるかな」

これに関羽は声を荒げる。「斬れまする」そうでなければ潔く軍法に服す、と。

孔明関羽に誓紙を書かせた。そのうえで華容山にひそみ逃げてきた曹操を討て、と命令した。

関羽が去った後、玄徳は「やはり情に厚く義を重んじる関羽曹操を討てないのでは」と心配する。

孔明はさらりと「討てないでしょう」と返す。

えっと驚く玄徳に孔明は「天文と人相を見て曹操の隆運は衰えるものの命数はまだ続きます」と答える。

ならば関羽がまだ受けた恩に報いたい気持ちが残っているならばここでその人情を尽くさせてやるほうが関羽も吹っ切れいいかもしれませぬ、と続けたのだ。

「軍師あなたはそこまで考えて」と玄徳は言葉を失った。

 

さあ「赤壁の戦い」が今始まる。

曹操は風の向きが変わったのを知るが気に留めない。

そこへ曹操軍に降ってくる予定の黄蓋からの手紙が届く。

軍事物資を運ぶ船に乗り込んでそのまま曹操軍に入るというのだ。

軍事物資と大物将軍を手に入れることになった曹操は勝利を確信した。

 

蔡瑁の甥っ子のうちひとりは黄蓋の水先案内となりひとりは周瑜によって戦の血祭の生贄となった。

黄蓋の乗ったはずの船が軍事物資を載せたにしては軽すぎる、と曹操たちが気づいた時はすでに遅かった。

枯れ葉と共に硫黄焔硝を積んだ船が曹操水軍に突っ込みそこへ火矢が放たれた。慌てて船を離そうとしても細工をされた船は曹操軍の船に食い込んで離れない。

激しい東南の風のために火はあっという間に広がった。

仕方なく曹操は部下側にいた部下とともに陸へとあがる。

強風によって火の勢いは増し湾内は火焔地獄となった。

さらに火の粉は陸の陣にまで降り注ぐ。天幕は焼け、その火の粉が森林に飛び火した。今や陸も海も火の海となった。

この時、曹操軍は焼死者溺死者合わせて三十万を数えた。歴史に残る赤壁の戦いである。

あまりにも勿体ない。

あああの時曹操が縁起を担がず進撃していればればれば。

 

歴史にレバーはない。

 

続く。

 

この続きが見どころよ。こればっか。