ガエル記

散策

「ケムリクサ」たつき

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アマゾンプライムにて鑑賞。

続きが気になって最後まで見通しました。こういう系の作品には名称があるのかは知らないのだけど妄想系と大雑把に言ってしまいます。

妄想系だというのは小学生くらいまでによく子供が自分の世界に入って空想を楽しむ系のアレですが、私自身かなり妄想系児童だったのでこういう世界観は懐かしいと頷いてしまうのではありますが、それがとりあえず公共のアニメ作品として流通してしまい多くの賛同者が出てくるのが現在ということでしょうか。

かつてはよく小説にしろマンガにしろ(映画やアニメは一人では作れないので女性が創作した、というのはほとんどないですね)女性創作者の作品はこういう「妄想系」のレッテルを貼られることが多かったものです。「女の描く創作はまったく現実的ではないくだらないものばかりだ」という男性からの評価をよく見受けました。

それ以降女性創作者の作品(小説・マンガなど一人で作れるもの)は事実に基づいたリアル志向創作ものが多くなり現在では男性と変わらずというよりそれ以上のクオリティを持ち今や小説界は女性上位かもしれません。

代わりに、男性のほうにこういった妄想系の作家が増えてきたように思えます。かつて「女と違い男は現実的な思考をする」と言われてきたことは今はもう通用しないのです。

勿論、すべての妄想系が多くの賛同を得るわけではないのです。より斬新であり且つ皆が求める好まれる妄想を展開しなければなりません。

それゆえもあってその妄想が観客の感性に合わない場合はより一層反感を買ってしまう傾向もあると言えます。

本作では登場人物が全員10代以下と見えるキャラであり(実年齢ではなくそう見えるということ)男性は一人だけで後は全員女子であるということ、がまず第一の妄想です。

彼らは大変な困難を乗り越えて理想郷を目指し一致団結し、互いを思いやりながら凶悪な敵と戦っていく。

ここで観客が感心するのは男女の役割が昔と逆になっている、ということでしょう。

昔は登場人物がほぼ男で女が一人、というパターンが数多くありましたが本作でその対比が逆になりか弱い女性を男たちが守る、というパターンも本作では頼りない男を強い女たちが守る、となっています。

かつてはその一人の女キャラが男たちに有効な助言をする、という定番もここで使われています。

そして最後にかつての男主人公がトロフィーワイフを手に入れる、というのを逆にしてトロフィーハズを手に入れる、というオチにしているところまで踏んでいるのです。

なんとも怖ろしい気持ちの悪い苦境を皆で知恵を出し合い譲り合い支え合い勇敢に前向きに進んでいく冒険譚であるのも懐かしささえ感じます。

突如現れた男という生物には抵抗感を持ちますが、女子キャラたちは姉さん、妹と呼びあって強い愛情を感じさせます。かつては数人の女子キャラがいると反発する、という事もココでは逆になっているわけですね。

そうした逆転したキャラ設定は納得しますが、それがそのまま「凄い」という感想を持つほどではないですし、特にヒロイン・りんがわかばに惹かれていく、というのがこじつけのようにしか思えなく共感できませんでした。好き、という感情ではなく「子供を作らなきゃいけないから仕方ない」というような理屈だけのほうがまだ理解できたのですが。特に最後が「好き」というので締めくくるのがそこまでわりかし面白く観ていたすべてを破壊された気がしたのは私です。

 

結局この作品はまったくの妄想系男子の妄想を越えるものではなく「別にそれでいいじゃんよ」という枠内での作品なのです。

 

低予算によるアニメーションの不出来とかは私自身はさほど気にならないほうなので置いとくとしてもストーリーとセリフ内容は言い訳できません。

キャラはほぼ低年齢層の女子ばかり、という点にあえて目をつぶるなら(そういうの私はつまらないと思うのですが)可愛いとも思うしセリフ回しなども結構良いと思うのですが、かつての紅一点の女性キャラが大体嫌な感じだったのと同じく本作の(なんというのだろう?男の色?男色?)男一点はやはり気持ち悪いのはどういうことなのだろうか。

おぞましいほどの苦難を乗り越えていく、というのだけど、女子キャラが心配を覚えないほど強靭であるし実際巨大な敵を駆逐していってしまう。

現実的な物語であればあり得ないことをやり遂げてしまうのがアニメの良さだという答えに逃げてしまう、それが妄想系なのです。

たぶんこのアニメに快感を覚える人にはこうした感想は何の意味も持たない。頭の固い奴にはこのアニメの面白さは判らないのだからすっこんどれ、という世界観に生きているのだから仕方ないのでしょう。

 

最初辺りに書いたけど私自身妄想系人間なのでこういう作品はよくわかる感があるのです。だからこそつまらなさも判る。

「コレダ」or「コレジャナイ」感がすべての妄想系世界。

そういうことです。

「コレダ」の人だけ集まればいい。

「コレジャナイ」人は別のものを探す。

私の求める「妄想系」はどこにあるでしょうか。

 

どんなに妄想で「困難」「苦境」を産み出して可愛い女子が「くっ」と言いながら戦う姿に萌えられても現実の苦難は想像を超える惨さなのですよ。

現実の苦境に可愛い女子が顔をゆがめても助けてくれる人はいない。

それをどうにかしないといけないのだけど。それを作品にできないのか?と。