ガエル記

散策

『ゲーム・オブ・スローンズ』最終章 鑑賞完了 その3

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ネタバレです。

 

 


散々言い尽くされてきているとは思いますが、やはり『ゲーム・オブ・スローンズ』の他にない特徴と魅力は女性たちが能動的に活躍していくことです。

巻き込まれて仕方なく、ではなく自ら戦っていく。

デナーリスは兄の横暴で仕方なく蛮族の王と結婚するが自らその男と対等に愛し合う力をつけていき様々な困難に立ち向かっていく。

スターク家のアリアは最初から最後そしてこれからも常に前向きに突き進む戦士であり姉のサンサは最初は王の妃になることだけを夢みる少女だったのがじっと耐え忍びながら少しずつ成長し女性らしい威厳を持った女王となっていく。

サーセイは言わずもがなですが彼女もただ高みにのみ座っていただけではなく様々に屈辱を乗り越えてきた。

そしてブライエニー。女騎士。幾つもの貴族の家系の物語の中で孤高の存在。

真面目さが却っておかしささえ醸し出してくる良き人です。

タイレル家のマージョリーも魅力的な女性だったけど早く消えてしまい彼女を語り継ぐ人がいないのは残念です。お婆様のオレナのほうはもっと長く活躍してくれました。彼女のような存在も物語には絶対必要ですね。

 

イグリット。野人の娘でジョン・スノウと恋に落ちる。

「何も知らないジョン・スノウ」="You know nothing, Jon Snow"

という言葉が印象的でした。

彼女を演じたローズ・レスリーが現実世界でジョンを演じたキット・ハリントンと結婚した、というのもなんだか好い話ではありませんか。

 

日本のコンテンツはアニメにしろマンガにしろ映画・ドラマ、他さまざまなものが相変わらず性差に関する不満がくすぶっています。

現実に性差別が蔓延しているのにドラマの中だけ対等というのもおかしいですが、こうしたいわゆる異世界ものであっても同じようなもしくはもっと男尊女卑が激しくあったりすることが多々あります。

製作陣がほぼ男性で占められていていればそれは当然なのかもしれません。

 

 と、『ゲームオブスローンズ』を絶賛してきましたが、不満、というか疑問もあります。

男女の対等さ、障害者の活躍の素晴らしさには感嘆しますが人種の壁はなかなか破れないものなのだとも感じました。

時代背景のイメージがあるだろうけど黒人系が多く出ているのに白人系に比べ極端にこちらは類型的なキャラクターになってしまうこと。

オベリンなんかかっこよかったのに早くいなくなって残念でした。

同じくドロゴも役目がすんだらさようなら的にいなくなってしまった感があります。

ミッサンディとグレイワームもいかにも的なキャラ付けに思えます。

極端に深みがない定型人格なのです。

しかもこれは無理でしょうが東洋人がまったくいないのは寂しい感じでした。とはいえいればいたできっとこれも類型的人物だった気がするのでむしろいなくてよかったのかもしれませんが。

ここまで面白い作品を作れても、人種を乗り越えて物語を作るのはそれほど難しいことなのかもしれません。

もうひとつは徹底した貴族の物語だったことです。最後にサムが「民衆にも王を選ぶ権利があるかも」と発言した際に貴族たちは「犬にも話す権利があるか」「では馬もだな」というようなやり取りになってそういう時代を描いたのだと感じさせます。

ジョン・スノウが落とし子でなかった、しかもターガリエン家とスターク家の正統な血筋だった、という話になった時、私はかなりがっかりしたのです。

むしろただの平民、どころか野人の子(蔑視されている種族の子)というような展開になって欲しかったのですが、デナーリスと後継者としての戦い、という意味があったのかもしれませんが、それでも貴族の子でなかった方が私は良かったのではないかと思います。

それが『ゲームオブスローンズ』で一番残念に思っていることです。