昨晩書いた記事は特にネタバレもしてなくて単にティリオン・ラニスターがいかに魅力的で稀有なキャラクターか、ということを述べただけになってしまいました。眠かったのであれが精一杯でした。(夜9時はもうおねむ)
とにかくティリオンがこの物語の主役、ではなくとも牽引役となっていたのは確かだと思います。
大すじと絡んでいくキャラクターだったのではないでしょうか。
さて今回はネタバレするでしょう。
よろしくお願いします。
レビューを見ると最終章、今までの緻密に計算された脚本があまりに大雑把でがっかりだったというようなものが散見されますが、私としてはこれ以上ないほどの良いラスト処理だったと満足でした。
年を取ってつくづく思うのですが、人間の生きざまというのはほんとうにどうなるのか判らないものです。素晴らしい人格だと尊敬していた人がそうではなくなってきたりします。逆もあるはずです。
もともとそうだった、というわけではなく生きていく間に変化していくのです。良い方向へも悪い方向へも。
本作は創作物語ですからそこには意味が込められています。そしてそれぞれの人間たちはそれぞれに見合った場所に収まっていくことになりました。
この物語で最も大きな比較はラニスター家のサーセイとジェイミーという一組と、ターガリエンのデナーリスとジョンの一組です。
サーセイとジェイミーは姉弟でありながら互いに恋愛感情を持ちセックスを続けています。それは誤った関係でありながらこの物語の中で一番のロマンチックラブとして描かれてもいます。傲慢で傍若無人なサーセイに愛を尽くし続けるジェイミーはまさに騎士の鑑というべきパーソナリティなのです。しかしそれは常に他人を脅かすものとなっていました。
ジェイミーは「俺たちだけが生きていればいい」という最高にロマンチックな言葉を言いサーセイを胸に抱きしめながら共に死んでいきます。
あれほど多くの人を死に追いやった怖ろしい人格のカップルにこれほど幸福な死が与えられることに不満な方も多いようですが、彼等には何も残らない。子供たちもすべて失い、残ったラニスターはサーセイが忌み嫌ったティリオンだけなのです。
生まれた時から長い間恋愛関係に浸っていたラニスターツインと違い、デナーリスとジョンは長い旅の末に出会い相手を見極めて恋し合った文句なしの恋人同士ですが、こちらにはもっと残酷な判断が下されます。
悪の限りを尽くした、と自覚していたサーセイと違い、デナーリスは「私は正義」と信じて疑いません。
世界中の虐げられた人々・奴隷たちを解放し本当の幸福な世界を築くための犠牲は仕方ない、私は本当に慈悲深い国を作り上げるために戦い続ける、と微笑みながら語るデナーリスをジョンは口づけしながら刺し殺します。
ジェイミーのように愛する女性のためなら何でもする、ということをジョン・スノウは選びませんでした。
しかし果たしてこの選択を誰もができるのでしょうか。愛する女性のため、ということでなくても人は目の前にある巨万の富と権力を前にしてジョン・スノウはすべてを放り出した。デナーリスを止められるのは今しかないと思ったのかもしれません。
ドラゴンがそういったことをどう感じるのかは知らないけれど、何故ジョンを焼き殺さなかったのか、ドラゴンはデナーリスを愛していたがそれゆえ、ジョンの行為が愛によるものであることも感じてのことだったのでしょうか。
ジョンは君主殺しとして北の果てに送られることになる。いわゆる島流しということになりますか。しかし彼には多くの人々が付き従っていく。たぶんジョンを王とした小さな国が作られていくのでしょう。
それにしてもジョン・スノウを演じるキット・ハリントンの顔は良いですね。あの下がった眉で語られるととても純粋に思えてしまうわけです。小柄で清廉潔白という昔ながらの主人公のあるべき姿です。
デナーリス・ターガリエン。彼女だけ抜粋した物語もできそうです。男性の言いなりになるしかない弱い立場の女性がドラゴンも従える強い女王となった彼女に与えられた最後は現在の人間の意識で罰せられてしまったのです。
悪に染まったサーセイは悪に従ったジェイミーと幸福な最期を迎え、正義を愛したデナーリスは同じく正義の人であるジョンに殺されてしまう。
ある種の皮肉が効いています。
しかしサーセイは幸福など感じたことはなかったのではないでしょうか。3人の子供たちがまだ幼い頃、その頃だけが少し幸せだったかもしれません。
さらに続けて書きます。