ガエル記

散策

『ナルニア国物語/第1章: ライオンと魔女』アンドリュー・アダムソン

私は子供時代とにかく西洋の児童図書を読み漁ったのですがなぜか『ナルニア国』シリーズだけは何度か挑戦したものの入り込めずに終わってしまいました。

後で知ったのは非常にキリスト教色の濃い教育的なものだということでした。だからと言って?という気もしましたが今に至っています。

今回映画として観る機会を得てやはりなんともとっつきにくい気がしたのですがあまりにも映像が美しく上の画像でわかるように異世界のキャラクター造形もすばらしいために観続けました。

  

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

 

が、やっぱりなんとも言えない奇妙な感覚なのはなぜなのでしょうか。

それはたぶん自分自身が主人公側つまりアスラン側の住民ではなく魔女側に住んでいるように思えてしまうからなのでしょうか。

 

そもそもこの物語は兄妹人が第二次世界大戦下ロンドンから疎開先の家の箪笥からつながる異世界で始まります。

その世界ナルニア国は白い魔女の悪政の支配下にあり百年もの間冬が続いています。魔女が気に入らないものは捕らえられ石に変えられてしまう恐ろしい世界です。

しかし偉大な獅子王アスランのもとに集った仲間たちと4人の兄弟は悪い魔女と部下の怪物たちと戦い平和を取り戻す、わけです。

そしてこのライオンが死から蘇ることもあってキリストを表していることがわかります。

 

あまりにも極端な主人公+ライオン+ナルニア国=正義、白い魔女と醜い怪物=悪という図式を観させられてさすがに「なんだかな」と思ってしまうのは仕方ないはずです。

白い魔女側はいかにも悪として描かれているので普通に観てしまえば悪いのですが何故アスランがそこまで偉大なのか、フォーンたちが善人なのか、(ちょっと怪しい気がしましたが)主人公たちが王族扱いなのか理解できないのです。偉いから偉い、的な描写に思えます。

 

原作者ルイスは一時期友人で会ったトールキンと仲違いしてしまったそうですが『指輪物語』を(これも映画ですが)観た感動と比べるとうなずける気がします。

 

私としては子ども時代にもこうした違和感がなんとなくあったのでしょうか。

(そこまで読み進めたようにも思えませんが)

 

しかし『指輪物語』が映画としても素晴らしいと評価され完結したのに比べ『ナルニア国』が完結までに難航しているのは現在の感覚とずれてしまったのではと思えてしまうのです。子どもたちが戦争に積極的に参加する場面は特にそれを感じます。

 

怖いもの見たさで続きも観ていきます。