再鑑賞楽しんでいます。まとめて観たほうがわかりやすいですね。
ということで今回もいろいろ気づいたことがあるんですが。
ネタバレしますのでご注意を。
とにかく本作『水星の魔女』はガンダムとはなにか?ガンダムの呪いとは何か?を描いた作品です。
本作で最も過激なパイロットたるソフィはZに登場したフォウやロザミアです。彼女たちは「ガンダムの呪いによって殺される」と言います。「ガンダムの呪い」とは富野由悠季によって強化人間にされ殺されていく運命だった女性たちです。
ソフィたち地球に残されたアーシアンはまさに「取り残されたガンダムファン(おおよそファースト&Zファン)」彼女・彼らは過激です。真のガンダムとは何か的な論争をふっかける過激な暴力装置です。
彼女彼らは破壊された昭和の世界に生きていますのでソフィの造詣は松田聖子なのですがファースト&Z世代にははっきりわかるはず。(私がそうなので間違いない)
彼女彼らは自分たちこそが自分たちだけがガンダムを理解していると信じ切っていて新しいガンダムには冷笑を浴びせる。新しいガンダムなどガンダムではないしましてや「平和利用のガンダムだと?けっ」といった具合だ。
そしてもちろん本作の主人公スレッタは新しい世代のガンダム乗りだ。かつてロザミアがその時の主人公だった(赤の他人の)カミーユに対しいきなり「お兄ちゃん」と呼んだようにソフィはスレッタに「お姉ちゃん」と語りかけ「ほんとうの家族になろうよ」と言い出すがスレッタに「私にはミオリネさんがいるから」と返されて「ミオリネを殺す」と激怒する。取り残されたガンダムファンの過激性が見える。
そして新しいガンダム乗りたちと仲良くなったニカを「裏切者」としてボコる。旧ガンダムファンらの偏狭な心理が伺える。
ガンダムはこれまで常に戦争を語ってきた。人々は語り合っても仲良くなれず戦争と言う解決策しか見出してこなかった。
なのに新しいガンダムでは戦争ではなく学校内の「決闘」というゲーム感覚で取引をする。旧ガンダムファンのアイコンであるソフィーは大笑いで実弾をぶっ放す。
さて新しい物語の主人公スレッタはガンダムの呪いにかかっていない。
スレッタの義母であるプロスぺラはガンダムシリーズのグレートマザーたる富野由悠季そのものだろう。
かつてファーストガンダムでは富野由悠季はシャアであった。そして本作ではプロスぺラと言う女性になっている。なぜ父親ではなく母親になったのか。そこにもなにか含みはあるのか。
とにかく富野由悠季=プロスぺラは真の我が子エリクトを取り戻したいという願いを持ちながらも新しい子どもであるスレッタに未来をまかす。
スレッタは本作の監督を含めた製作陣なのだ。
スレッタ(本作製作陣)は母プロスぺラ(富野由悠季)に「逃げたらひとつ進めばふたつ」などという不気味に不思議な言葉を教えられつつも仲間(ミオリネ)の助言や補佐で新しい道を模索しつづける。
そして「クワイエットゼロ」=戦争をしない世界を目指していく。戦争こそがガンダムの舞台だった。戦争のない世界ではガンダムは医療技術となっていく。それはきっと旧ガンダムファンを体現するソフィたちには許しがたい未来なのかもしれないがそうであるべきだと私も思います。とはいえ過去の話として結局戦争ドラマを製作するでしょうけどね。
余談ですが非常に優れたマンガ&アニメに『ヨルムンガンド』と言う作品があります。
その作品を読む・観ているとそこかしこにガンダム由来のセリフがあるのですが本作『水星の魔女』には逆に『ヨルムンガンド』のセリフが混じってはしませんか。
ep14だったかミオリネが父親のことを「神にでもなるつもりなの」というのは『ヨルムンガンド』からだと思うんですが。
『ヨルムンガンド』は武器商人を題材にしながら「強制的な平和」を試行する作品でした。
『水星の魔女』でも「強制的な平和」をレンブラン夫妻が考えていきます。本作が『ヨルムンガンド』をパクったというより「ガンダムの平和利用」「強制的平和」というアイディアを出した時「それは『ヨルムンガンド』では」と言う流れになったのでは、と想像します。しかも『ヨルムンガンド』にも「ガンド」が入ってますな。
それはエリクトが身代わりになってくれるからですが。
最も過激なパイロットたるソフィ。彼女は