ガエル記

散策

『機動戦士Ζガンダム』富野由悠季  『水星の魔女』の補完としてその1

結局ゼータガンダム観なおしています。

よくファーストガンダム派と言い私自身そうなのですがそれゆえにか『ゼータ』が逆に気になっています。

当時観たことはあったのでしょうが今観なおしていてもその時にこの作品が理解できたはずもないと思われます。

もう何度か観なおしているのに今回初めて観てる気さえします。多分もう何回か観ないとよくわからないのかもしれませんがとにかく話数が多いので大変なのです。だから判らなくなるのかもしれませんが。

 

前はカミーユがまったく好きではなかったのですが今はむしろとても可愛く好きになってしまう不思議。クアトロ氏は何度見ても変な人ですが。

 

観なおしている理由としては現在放送中の『水星の魔女』の補完のためもあります。

ガンダム』において「親子関係」はファーストからの大きな題材の一つでした。

そもそも「戦争」というものが「親世代」が引き起こしたものでその罪と罰を子供世代が引き受けざるを得ないという図式を描かせてしまいます。

例えばファーストでアムロは父親がMS開発者であり『水星』のスレッタは(一応)母親がMS開発者のひとりということになっていて共通点があるのですがアムロの父親があっさりと最期を迎えるのに対して『水星』の母親はそんな生易しい展開にはなりそうもありません。

アムロも両親ともに毒親なのですが単純にわかりやすい毒親なのに対しスレッタの「母親」は表面上はとても優しく娘スレッタからも信頼と尊敬を受けています。しかしその本質がどうなのかいまのところ恐ろしい予感しかしない、というと先走りしすぎではありますが現在の作品がいかに複雑で巧妙に作られているかが感じられます。

本作の主人公カミーユも例に洩れず両親とも毒親でありその両親を目の前で死なせもしくは殺害してしまったとも思える構図が彼を苦しめていきます。

とはいえファースト及びゼータでは主人公に厳しくはあれ他の大人たちの子どもたちへの愛情を見つけることができたのですが『水星』では今のところ大人世代と子供世代の分断が極端に感じられてしまうのは現実の感覚をそのまま映しているように思えてなりません。

『ゼータ』ではカミーユの敵は「戦争」かもしれませんが『水星』ではスレッタの敵は「大人(おとな)」ということなのでしょうか。