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『三国志』再び 横山光輝 二十二巻

ところで横山光輝先生と言えば登場人物特に主要キャラが似すぎていて見分けがつかない、とよく言われていますね。確かに多くの作品で主要キャラが極端に顔が違う、と思うことはあまりありません。本作で言えば玄徳タイプと曹操タイプは繰り返し使われていて他の人物もあまり造作を変えようとさえ思っていない気がします。

そんな横山作品の中で本作『三国志』は非常にキャラ造形の試みが行われたのではないでしょうか。

まず関羽張飛は他にない髭キャラなのですぐにわかります。

それとなんといっても「考え抜かれたんだろうなあ」と思うのが孔明です。

髭面というような極端なキャラではなく微妙な特徴が作り出されています。

恐ろしいほどの頭脳を持ちながら忠義心と優しさも併せ持つ。もちろん独特の被り物と扇と衣装によっても孔明という特別なキャラクターが造形されたのですが。

 

まあこんなことは読者は誰でもすぐ感じることでしょう。

そして横山『三国志』もまた孔明の登場によって特別な物語へと進んでいきます。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

孔明は劉琦の脅迫的とさえいえる懇願で春秋時代の重耳の物語を聞かせる。その話には継母に命を狙われた兄弟の運命が描かれていた。重耳はその災難から逃れるために自分自身が身を隠したのだ。

劉琦もまた遠い江夏に赴任したのだった。

 

その頃曹操は南方攻略作戦を練る毎日であった。

手始めに玄徳のいる新野を攻撃したいという曹操に側近のひとりが軍師孔明の存在を心配した。徐庶もこれに賛同したがこれに夏侯惇が真っ向から反対した。

これを曹操は褒め夏侯惇による玄徳討伐が開始される。

 

一方その玄徳は孔明と会話する日々を送っていた。これまで武人とばかり付き合っていた玄徳にとって知識人孔明との会話はエキサイティングなことだったのではないか。

五十歳手前になって初めて脳を刺激する快感を得たのではないかと思うのだ。

これを関羽張飛は激しく嫉妬する。なにしろ自分たちでは孔明の代わりにならないのだ。「度が過ぎる」と関羽ですら目くじらを立てたが玄徳のわくわくを考えると無理だろうと思う。

知識欲求とそれが満たされる快楽ほど強い快楽はないのだ。赤子のように孔明の知性を貪っている玄徳。孔明もまたそんなに激しく求められることに快感を覚えたはずだ。

玄徳は魚が水を得たかのよう、というが赤子がおっぱいを得たかのよう、な気がする。

まさに玄徳と孔明の関係は「バブみ」にあるのだろう。

 

ここへ十万の曹操軍が攻め込んできたと報告がなされる。

妬む関羽張飛に怒るアニキ

慄く玄徳に孔明は「曹操軍の心配は無用だが問題は内にあります」と答える。孔明は玄徳の剣と印を授かり命令を下した。

抗う張飛関羽は「今回だけは試みに従ってみよう」と言い含めた。

 

孔明の戦略は面白いように運ぶ。

意気込んで突撃してきた夏侯惇趙雲によって深入りしていく。ここで前回の曹仁軍でも明晰さを見せた李典が忠告をする。「山川あい迫って草木の茂れるは敵に火計あり」

しかしその忠告は遅かった。

すでに夏侯惇軍は火計にはまっていた。

李典は救援しようとするがそこへ関羽隊が斬りこむ。

さらに張飛隊が加わり博望坡は一瞬にして阿鼻叫喚の渦と化した。

 

曹操の夏侯軍は壊滅と言ってよかった。

関羽張飛孔明の軍略を認めざるを得なかった。

そこへ到着した孔明関羽張飛は礼をした。

こういうとこが孔明のカッコよさ。関羽張飛も良いねえ。

勝利に皆は酔いしれるが孔明は次の手を考えていた。

次は曹操自らが乗り込んでくる。そうなればこの新野の城では持ちこたえられない。孔明荊州の城へ行けば曹操と互角に戦える、と進言する。

しかしここでまたもや玄徳の「いかなる禍に遭おうとも恩知らずと罵られるのよりはましである」が出る。

いったいなんなのこいつ。いやそこが玄徳なんだけども。

 

曹操夏侯惇の惨敗も許した。そして五十万の大軍をして南方攻略の号令を発したのだ。

名もなき使者さん、足が速くてすてき。

効果線少ししかないけどすっごく動いて見える。

 

劉表は懸命に劉備玄徳に後継を頼むが玄徳は頑として聞き入れない。

やむなく劉表は長男劉琦を後継者として玄徳に後ろ盾を頼む。

 

これを聞いた蔡瑁は悪あがきを見せる。

父の危篤を聞いて戻ってきた劉琦を追い返し偽の遺言状を作って自分の甥である劉琮を国王として発表した。

そして曹操軍に和睦を申し出たのだ。

かくなる上は何を差し置いても玄徳は荊州城へと入り曹操軍と戦ってほしいと伊籍も進言する。しかしそれでも玄徳は「それはできぬ」の一点張りで「この上は新野を捨て樊城へ行こう」と言うのだった。

 

曹軍第一陣は博望坡に達した。もう猶予はならない。

孔明は厳しく命じた。

領民の避難を進めたのだ。

さらに明日の夕方から強い風が吹くと予想し城内に火をつけよと命じた。

孔明は天気予報にも優れているのだ。

お久しぶりの許褚。ぐっと美紳士になった。

敵兵が見えず紅い旗と青い旗が見えるだけなのを不安がる。

さらに

許褚おちょくられとる。

しかも岩石落としをされ鐘太鼓で惑わされる。

そして新野城に入るとそこはもぬけの殻。

曹仁はここで休憩し明日から追撃するとした。

夜、孔明の予報通り強風が吹き始めるや火事が起きる。火薬が仕込まれ辺りは火の海となった。

火がまわっていない東門へ進むとそこには趙雲軍が。

しかし趙雲孔明の指示通り深追いはせず引いた。

曹仁軍は命からがら河へと逃げのびる。そこには関羽軍が堰を作って待っていた。

河を渡りだした曹仁軍に堰が切って落とされる。

洪水となった濁流は曹軍数万を雑魚のように飲み干してしまったのである。

 

ふええ。孔明恐ろしや。

人数が少なくとも自然の力を借りて勝利する。中国の河の怖ろしさは日本人には想像つかないものだったと横山先生も語っておられた。

こんな軍師が敵にいたら勝てるわけない。

司馬懿が走ったのもわかるよな。

 

楽しすぎてやめられない。玄徳の気持ちわかる・・・

 

 

『三国志』再び 横山光輝 二十一巻

この表紙で舞い上がってしまう。ついについに。

しかし横山光輝氏はそう簡単には会わせてくれません。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

そう。読者のある意味、目的でもある孔明についにこの21巻でまみえるというので動悸も激しくなるのだが横山御大はそんなに簡単に歩を進めたりしないのだ。

まずは前巻の続きで命からがら逃げのびた曹仁が樊城に戻ろうとするとそこにはすでに「関」の旗がなびいていた。樊城は関羽によって落とされていたのだ。

 

この後玄徳は県令に会い県民を痛めつけるようなことはしないと伝えて安心させる。県令の劉泌も「玄徳様は民百姓を大切になさる方と聞いてございます」と最初から信頼している様子である。

玄徳はここで劉泌の側に立っている若者が気に入り「私の養子にくださらんか」と問いかけるのだ。

あああ、これが後の悲劇となってしまう。

彼は劉泌の甥っ子で名は寇封というのだ。養子は同姓の中でされるというのを聞いたけどこの場合は劉泌の甥だから良いってことになるのだろうか。

劉泌の実子ではないし劉備の養子になれるのはこれ以上ない幸運とも言えるのだろうけど。

直後これを聞いた関羽は驚き「荊州のお家騒ぎを見た後なのになぜ?」と珍しくも玄徳を問い詰める。しかしこの予感は当たってしまうんだよなあ。

とはいえさすがに決まってしまったことだ、と玄徳は関羽張飛をなだめた。

 

単福の意見で樊城は趙雲に守らせ玄徳たちは再び新野の城へと戻った。

 

一方曹仁曹操の前に通され沙汰を待つ。

しかし曹操曹仁に「勝敗は兵家の常だ。家に帰って疲れを癒せ」と言い渡しただけだった。周囲の者たちは曹操に感服する。

曹操曹仁の説明に出てきた単福について側近に問う。

ここで単福とは仮の名で本名は徐庶であるとわかる。

徐庶は潁川(曹操の領地)に住んでいて、義のために犯罪者となり友人たちの助けで単福と名乗って諸国を渡り歩いていたのだった。

曹操は非常に興味を抱き「知っていれば召し抱えたものを」と言う。これを聞いて側近がアイディアを出し単福=徐庶が玄徳から曹操の元へ移動する話となっていく。

これが後に「赤壁の戦い」にもかかわってくのだからちゃんと読んでなければならないね。

 

徐庶は評判の親孝行者で年老いた母をなによりも大切に思っていた。

曹操はそれを利用し老母を城に招き入れ徐庶を呼び寄せるように画策する。

が、さすがに徐庶の母親は頭脳明晰であり息子が玄徳の元で働いていることを喜び曹操こそ逆臣だと言い放つ。

やむなく曹操の側近は徐庶の母を優遇しその字を真似て徐庶をおびき寄せることにした。

徐庶がかわいい

この策略に母思いの徐庶はまんまとはまってしまう。母が会いたがっていると知った徐庶はすぐに玄徳に自分の素性と状況を話し別れを告げるのだった。

人情に厚い玄徳は徐庶の母思いに心打たれすぐに許すが心底では目を見張る兵法を指揮した徐庶を手放すのが悔やまれていた。

見送りは諦めがつかない。

いったん別れを告げた徐庶は戻てきて玄徳に大賢人をお訪ねください、と言い残した。

玄徳がその人の名を問うと

名場面ですぞ。

玄徳の顔wうれしそうw

 

徐庶は親切にもこの後諸葛亮の家に立ち寄り玄徳様をよろしくと頼んだのだがいらぬ世話をすると言わんばかりに諸葛亮はむっと機嫌を悪くした。

徐庶は心を痛めながらも母親の元へと走った。

 

これ以降の徐庶と母親の話は胸が塞ぐ。

玄徳の元で働いている息子が偽の手紙に惑わされて母親に会いに来たのを知りは母自害するのだ。

悲劇としか言いようがないのですが史実では徐庶曹操のもとでかなり良い地位について幸せに暮らしたということらしい。

三国志演義では悲劇の人だけど史実では幸せだったならOKです!という思いであった。

 

さて物語は諸葛亮の生い立ちに入る。

孔明はかなり裕福な家柄ながら両親を早く失ってしまう。十歳の時から義母と腹違いの兄弟と共に戦乱の中を逃げ回り多くの難民の苦しみを見る。

長男である兄は義母と共に呉に行き孔明は叔父の玄に連れられ荊州に住むことになる。

ところが叔父の諸葛玄が任地の南昌で戦争を起こすこととなり敗戦し再び孔明は幼い弟

均を連れて逃げ再び荊州へと戻った。

十七歳の時、大学者石韜の門を叩く。

この時に徐庶とも出会う。

ここで孔明は頭角を現し二十歳の時には学ぶこともなくなっていた。

孔明はその歳で山の中に引きこもってしまったのだ。

学問を役立てることを知らず学問のために学問をする無能な人たち曲学阿世(道理を曲げて権力者や大衆に気に入られるようにする)の仲間から逃げたのである。

こうして孔明は多くの人々から嫌われごく限られた人たちとだけ交流した。

二十歳ごろの孔明の美貌よ。徐庶さんはむしろ老けてるw

 

ふふ横山先生お得意の姿勢。

 

これってパリピ孔明ってこと?

 

水鏡先生再び登場。

徐庶を失った玄徳の元に水鏡先生の訪問。玄徳は徐庶に教えられた伏竜・孔明のことを聞くが孔明はそう簡単に動く男ではない、と答えられた。

 

これを聞いた玄徳はよりいっそう孔明を動かしてみせる、と意気込む。

渋る張飛の尻を叩いて出かける。孔明の住む隆中では農民も謎めいた歌を歌っている。

しかし玄徳は孔明に会えない。

 

雪の降る日再び玄徳は関羽張飛を伴い隆中へと向かうがいたのは弟の均だけだった。

孔明は友人と遊びに出かけたという。

玄徳は孔明にあてた手紙を書き残し吹雪の帰路を辿った。

 

こうして玄徳は孔明に「三顧の礼」を行う。

張飛孔明など大した奴じゃないのではと言って玄徳を怒らせる。

関羽は玄徳に従った。

が、張飛も「一日たりとそばを離れるわけにはいかねえ」と結局ついてくるのだった。

 

孔明の宅を訪れと以前あった弟の均から「昨日の夕方帰ってきました」と告げられる。

中に入ると童子が「先生は今草堂でお昼寝してる」と言われる。玄徳は起こさず孔明の目覚めを待った。

 

やがて目を覚ました孔明は玄徳の来訪に気づき迎え入れた。

玄徳の手紙を読んでいた孔明はその気持ちに感服するがあなたのご期待に応える力はないと答える。

それでもなお「山にこもらず立ち上がってください」と願う玄徳に「三顧の礼を尽くしてくださったお礼に」と前置きして「今、魏の曹操、呉の孫権を討つのは不可能。荊州益州すなわち西蜀五十四州ここに国を興して曹操の野心を砕くのです」と言い述べる。

「天下を三分し蜀の国を興して曹操と対等になることから始めてください」と説いた。

 

玄徳は孔明に「これからも側で私にお教えください」と望むも孔明は「自分はやはり分を守り畠を耕し本を読んでおります」と答える。

この涙に孔明の心が動いたのだろうか。

孔明は静かに「将軍の気持ちはわかりました」と答え玄徳のために尽くすと言葉にしたのだ。

 

この時、孔明二十七歳。

 

玄徳が世話になっている劉表の病は重かった。

玄徳を呼び寄せ自分の死後この国を継いでくれ、と頼む。

しかし玄徳はそれを喜んで受けることは忍びきれないのだった。

さらに劉表の長男である劉琦は自分の命を狙われていると玄徳に訴える。

玄徳はこの悩みを孔明によって解かせようとするが孔明は他人の家庭に立ち入りたくないと拒む。

それを聞いて劉琦は自害しようとした。

孔明はやむなく良計を教えることにする。

 

なんだかもう玄徳も孔明もややこしいのう。

いや孔明はいいけど玄徳のややこしさは筋金入りでこの後ずっとこのややこしい男を見守ることになる。

 

 

 

『三国志』再び 横山光輝 二十巻

20巻目突入です。表紙がすでにわくわくです。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

以前も書きましたが横山『三国志』(だけじゃないだろうけど)は三幕になっていて19巻までの「玄徳青春期」20巻からの「玄徳熟成期」そして「玄徳亡後」と続きます。

「玄徳青春期」はただがむしゃらに玄徳が己の信念を貫く正義の時代を突き進む時期でもあり身の置き場がなく彷徨い続ける時期でもあった。

おおよそ40歳手前までのかなり長い迷走の青春期である。

ただただ帝を敬い漢の復興を望んでいたのだけど力のない玄徳はあちこちの権力者に頼っていくしかなかった。宿敵ともいえる曹操とも親しく交わらねばならない時期があったが曹操を騙して逃走する。思えばとんでもない奴である。

逆に関羽曹操の元に身を置く運命となるが玄徳への忠義を貫き通し彼もまた曹操の元から去る。

そして合流し玄徳の遠い親戚でもある劉表のもとへ身を寄せる。この時期までを「玄徳(迷走の)青春期」と呼びたい。

この時期の終りの明確な線は引きにくいだろうが横山『三国志』作品でははっきりと19巻までであり20巻からが「玄徳(腹をくくった)熟成期」とわかる。

なぜならここから玄徳に髭が描かれるからだ。

ふざけて言ってるわけじゃなく玄徳の若々しい青年像がここから壮年男性として形作られていくのだ。

横山『三国志』では

時が流れた

というフレーズでこの切り替えが行われている。

時は移り若き曹操も玄徳もここから姿を変える。

愛憎ともども激しくぶつかりあった青春期は終わりここから新しい転換を迎える。

 

曹操官渡の戦いで北方の雄袁紹を打ち破りその力を一層堅固なものとしたがそれでもなお南方に厄介と思われる人物がふたりいた。

そのひとりが呉の若き王孫権でありもうひとりが今は劉表のもとに身を寄せている劉備玄徳である。

横山氏は「官渡の戦い」をこの一コマで終わらせてしまっているのだけどこの場面はうまい。見惚れてしまう場面だ。

しかも玄徳のお尻がとてもセクシーでもある。(なぜ)

遠縁とはいえ劉表は突然やってきた劉備玄徳を非常に気に入って過ごしてきたのもわかる。

しかしお気に入りの度が過ぎて玄徳は逆に身の危険を感じる羽目になってしまう。

 

江夏の地に反乱が起こり玄徳は関羽張飛趙雲を伴い鎮圧へと向かう。

三人も居心地よい生活をしているようだ。

玄徳の出陣命令で三人は暴れまわりあっという間に反乱を収めてしまった。
劉表はますます玄徳一行に好意と信頼を持つようになる。これに危機を感じたのが蔡瑁である。

蔡瑁劉表の妻の兄ということで権力を持っていたが玄徳の出現は彼にとって脅威であった。蔡瑁は玄徳の失墜を計っていく。

が、劉表の玄徳への信頼は思った以上に強かった。

蔡瑁は玄徳が壁に謀叛の詩を書いていたと劉表に偽りの報告をする。

これで劉表が玄徳への不信を起こすと考えた。

一旦は怒った劉表だが「長い間一緒にいたが玄徳が詩を書いたのを見たことがない」と言い出した。

まあ謀叛を壁に書くというのも変な話だが劉表が頭良い人でほんとうによかった。

一方の蔡瑁・・・なんなのこいつ。

考えが足りなくて気持ち悪い。

しかし蔡瑁はしつこく玄徳を除こうとし偽の催しをして玄徳を招き暗殺しようと企てる。ここでも劉表の人の好さがあって笑える。

そういうとこだぞ、ってやつだ。

まず考えろよ。

 

しかし考えようによっては蔡瑁のこの浅はかな行動が後に玄徳を高みに昇らせていくのだから運命というのはわからない。

 

この招待が蔡瑁の企みと知りながら玄徳は出席する。趙雲がその警護をしたのだが蔡瑁は彼の警護を外すため酒を勧める。そんなことで警護を外す趙雲ではないのだが玄徳がたしなめたためしばらく玄徳から離れてしまう。

その隙を蔡瑁は狙っていたがそこに伊籍という人物が玄徳の危険を知らせ玄徳はまっしぐらに馬にまたがり逃げ出すのだ。

玄徳の逃げ足の速さ

そ、そうでもないかな。

 

玄徳が乗る馬は「的盧」といって四つ足の額が白く凶馬と称されていたが玄徳は気にしていなかった。

玄徳の逃げる先には檀渓という激流の川が横たわっている。玄徳は凶馬的盧に「今日我に祟りをなすか。また我を救うや。情あらば助けよ」と呼びかけ激流に身を躍らせる。

後を追いかけてきた蔡瑁らから玄徳は逃げおおせたのだった。

 

しかしここで玄徳は深く己を恥じ入るのだ。

この数年間いったい何をしてきたのか。

玄徳はすでに四十歳を超えたが持つのは劉表から与えられた田舎の小城のみ。国家を憂い曹操を倒し平和な国を築くという大望にまったく彼は近づいていない。

それがまた蔡瑁という小者から暗殺を狙われおいかけられ命からがら逃げるという体たらくなのだ。

玄徳は今自分に何が足りないのかと恥じていた。

 

そこへ現れたのがひとりの童子だった。

童子は玄徳の名を知っていた。

そして司馬徽、皆が水鏡先生と呼ぶ人物のもとへ誘うのだった。

水鏡先生は玄徳の来訪を快く迎え入れふたりは深く話し合うことになる。

「時の運というものはいかんともしがたいものでして」とうなだれる玄徳に水鏡先生は「私は運命のせいだとは思っておりませんぞ」と返す。

そして

これは玄徳にとって青天の霹靂、人生の転機となる言葉だ。

私には関羽張飛趙雲がいます、と言い返す玄徳に「君臣の情は美しいが立派な君主というのはそれだけでは駄目でしょう」

「この激動する世の中に臨機応変に立ち向かえる男たちではない。あなたはそういう人物に欠けておられる」と言い放たれた。

話を聞き「その人物とは誰でございます」と詰め寄る玄徳に

ここでついに諸葛亮の別名が登場する。

玄徳が孔明に続く道にとうとう近づいたのだ。

といっても孔明は玄徳よりニ十歳以上も年下なのでこれ以上早く出会うことはできなかったとも言えるけど。出会ってたとしても子供だった。

孔明もう少し早く生まれてきてほしかったねえ。

 

こうして玄徳はその人物に会いたくて会いたくてたまらなくなっていく。

 

そうして出会うのが単福だった。

水鏡先生の言った伏龍鳳雛ではなかったが玄徳は喜んで彼を軍師として迎えいれる。

そして玄徳は兵法の力を思い知るのである。

 

この兵法による戦争の描写の面白さ。

ううむ。確かに人命にかかわることで「おもしろい」と言ってしまうのは不遜なのだけどそれこそが兵法の恐ろしさなのだろう。

ここで曹操軍が攻めて来る。

大将曹仁の軍勢は五千で玄徳軍の倍以上だったがあっという間に勝負はついた。単福の指揮によるものだ。

次に曹仁は全軍二万五千で向かってきた。玄徳たちはおののくが単福はむしろ「戦略の妙味、用兵のおもしろさは成らざるを成すところにあります」と説く。

さらに曹仁は「八荒の陣」を敷いてきたが単福はこれを簡単に見抜き趙雲に命じてこの陣を崩してしまう。

さらに曹仁は夜討をかけてきたがこれも単福は見抜いていた。「備えあれば憂いなし」

曹仁軍の行動を予見していた単福は次々と伏兵を置いていた。

たちまち曹仁軍は完膚なきまでに叩き伏せられたのである。

 

青春期の後に目覚めの期が来る。

玄徳が「自分に足りないもの」に気づくこの巻は読む者もはっとさせられる。

三国志』はここから始まると言っていいのだ。

(とはいえその前哨戦を根気よく描き続けた横山先生の粘り強さを思い知る)

 

 

 

 

『三国志』再び 横山光輝 十九巻

ということで横山『三国志』に戻ってきました。

うむ、どうしても今の私は『三国志』が一番居心地よくてな。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

ところで吉川『三国志』を読んでいたら先の部分で関羽が玄徳から手紙をもらいそこに「お前が曹操に仕えて出世したいと思うのなら私は快くそれを許したいと思う」と書かれていたのを「私のことをそんな軽々しい男と思っておられたのか」と悔しがる場面として描かれていて「それもまた良いねえ」とにやにやしてしまった。

一方、横山『三国志』では関羽も玄徳もまったくそんな余計な心配などせずお互いまっしぐらに相手を信じ切っているのだけど。

やっぱり横山氏は浮気など考えもしない一途さを描いていて気持ち良いのだよなあ。

 

 

やっと迷走を抜けて進み続ける関羽はとある古城になんと張飛が住み着いていると聞き足を向ける。ところが張飛は「この裏切者」と関羽に討ちかかってきたのだ。

どうやら張飛関羽曹操に仕え贅沢三昧をして暮らしていたと聞き及んでいたらしい。玄徳夫人は張飛の誤解をとくよう話しかけるが聞く耳を持たない。

 

ここの部分(前にも書いたかな)『DUNE砂の惑星』(小説のほう)で同じような場面があってデジャヴュだった。いやこっちが先だけど。

 

そこへ(なぜか)曹操軍が近づいてきて張飛が「嘘じゃないならあの大将の首を刎ねてこい」と言い関羽は実行するのだがそれはあまりに酷くないかwww

 

だがこれでやっと張飛関羽を信じ関羽に平謝りで謝った。

今、日本のコンテンツで主要メンバーでこんなに長い髭成分多いマンガないよな。

鬚好きさんは本作から離れられないであろう。

 

関羽張飛に玄徳夫人とお子を預け周倉には子分たちを連れてくるように伝えて玄徳の元へと進む。

とはいえ関羽はつい先頃袁紹軍の二将軍を討ちとったばかり。自分は町はずれに宿を見つけ部下に玄徳と連絡をつけさせた。

 

玄徳は皆の無事を知り策を講じて袁紹の元から去ると伝える。

袁紹曹操との長引く戦いで荊州劉表と手を組みたがっていた。それを利用し自分と劉表は遠縁なので口説いてみせると進言したのだ。

袁紹は玄徳が信用を得ようと頑張ってると思い満足していた。(何かといい人なんだよな)

しかし袁紹の配下はこのことを聞き驚いて玄徳の後を追った。

 

玄徳は関羽が滞在する屋敷に向かう。

よかったねえよかったねえ。

 

関羽が世話になっていた屋敷の主は関定という名であった。

彼にはふたりの息子がいた。

関羽が見どころのある若者です、というのを聞き玄徳は「どうだ関羽、お主は子供もいないしどちらかを養子にもらっては」と言い関定は「次男の関平なら」ということで関羽に異存はなく「よし話は決まった」と関羽に息子ができる。

はああ?すごいな。

関平君は良い子でよかったけど玄徳、いきなり養子もらいたくなる性分あって自分は失敗しとるからなあ。

 

玄徳関羽一行は関定屋敷を後にした。

そしてここでかつて出会ったあの趙雲と再会することになる。

そういえば趙雲が仕えていた公孫瓚は滅亡したのだった。

趙雲は改めてここで玄徳様に仕えたいと願い出た。

こうして玄徳のもとに英雄が集まりだしたのである。

 

 

ここから呉の小覇王孫策の物語が挟まる。

孫策の治める呉はここ数年目覚ましい躍進を遂げていた。

揚子江の河口と流域を抑え気温は高く土地は肥えその国力はあなどれないものとなっていた。(確かに呉は良さそう)

これを見た曹操は裏工作をはじめていた。

 

孫策は内部で謀叛を起こす一派がいるのを知りこれを討ちとったがそれに恨みを持ち仇討を狙う者たちが生じた。

孫策の城は堅固だが孫策自身が狩りが好きで外へ出る。そこを狙うのだ。

彼らは武器に毒を仕掛け孫策を襲った。

孫策はそのまま絶命はしなかったが毒薬のために死線をさまようことになる。

しかし名医華佗の治療で快方へと向かった。

このまま安泰であればよかったが孫策の運命は奇妙な方向へと進む。

曹操打倒を目標に袁紹の河北と孫策の呉が軍事同盟を結ぶ手はずになったところまでは良かったのだがその後孫策は「于吉仙人」という人物の存在に取りつかれていく。

母や妻をはじめ民衆が「于吉仙人」を崇めることに激しい嫌悪を感じてこれを捕え諫めようとする役人を自ら斬り捨ててしまうのだ。

どうやらこの時すでに孫策はおかしくなっていたのだろう。それはあの毒薬のせいなのか。

それでも部下たちは于吉仙人への敬意を捨てなかった。孫策は于吉仙人に雨乞いの儀式をさせその力を試す。果たして于吉仙人は雨を降らせてしまった。

皆が恐れ崇めるのを見て孫策は于吉仙人を皆の前で斬り殺したのだ。

泣き悲しむ人々に中で孫策は正しいことをしたと考えた。

 

しかしその時から孫策は幻影に苦しめられる。夜になると叫び剣を振るって明け方疲れ果て倒れて眠るのだ。

孫策の母は心配し仙人の怒りを鎮める祈祷をするように願う。母の頼みで孫策は従うがその祈りの中にも于吉仙人は現れ孫策は祈祷師までも斬り殺してしまう。

さらに幻影を見た孫策は馬車から飛び出し地面にたたきつけられ大量の出血をした。以前の傷が悪化したのだ。

 

孫策は最期を予感した。弟の孫権を後継者として重臣たちに後を頼んだ。

小覇王と呼ばれた孫策は二十七歳でその生涯を閉じた。

 

いったい彼にとって于吉仙人とはなんだったのだろう。当時于吉仙人は実在していて実際孫策は彼を殺したらしい。なんてこった。

 

そして呉の新国王・孫権が登場する。この時十九歳だった。

 

 

 

 

 

 

 

『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』古賀豪/原作 水木しげる

アマゾンプライムにて鑑賞。

この一年弱の毎日の自由時間を横山光輝マンガ読書かその関係に費やしてまいりました。

「一年間は」と思っていたのですがちょうどこの時期に『鬼太郎誕生ゲゲゲの謎』がプライム配信されるとの情報でどうしようかと迷ってもいたのですがあっさり負けてしまいました。むむむ。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

とはいえまだ観終わったばかり。すでにもう何度か観てみる予定をしております。

よかった。

観る前にものすごく情報入っててマンガも知ってたり読んでみたりいろいろ予備知識多めだったし「あんまり期待してもな」という態勢でもあったのですが思った以上によかったし皆さんが感動したのもわかるしその気持ちにも共感しました。

 

しかしあれだね。本音を言うと水木しげるというよりほとんど横溝正史犬神家の一族』と手塚治虫の『奇子』だったね。その上でもよかったです。

というのはかつての日本を描くとどう描いたって『犬神家』と『奇子』になってしまうんだろうとしか思えないもの。

つまり家父長制度とそれに縛られてしか生きられない男女で誰もが不幸、という物語にしかならないのだよな。

 

原作者の水木しげる氏が家父長制度についてどう思われていたかは知らないしこのアニメ映画では水木氏の持つ戦争への怒りも妖怪の楽しさも描かれていなくて『ゲゲゲの鬼太郎』の世界とは乖離している気もする。

なのだけど作り手が鬼太郎に深い愛情を持っているのは確かなのだ。

 

ところで『ゲゲゲの鬼太郎』と言えば鬼太郎自身が片目がないのだけど作者水木しげる氏は戦争で大事な左腕を失っている。

利き腕ではなかったかもしれないが絵を描く人間が腕を失ってしまう、というのは(そりゃ誰だってだけども)恐ろしく悲しく思える。

水木さんは明るい人でそんな苦悩はまったく感じさせない人だったけど鬼太郎が片目を失っていることそして父親が目玉の親父として鬼太郎を見守り続けていることと水木先生が片腕を失っていることにはやはりつながりを感じてしまう。

 

ゲゲゲの鬼太郎』はもう長い長い間、見続けてきた作品だ。水木しげる氏ご自身の人柄も大好きだった者として氏の亡くなられた後にもこういう作品が愛情深く作られたことも嬉しいのだ。

 

 

 

『三国志』再び 横山光輝 十八巻

はい、関羽が愛しい人の元へと一散に駆けていく巻です。幸せいっぱい。

表紙も笑みが我慢できないという感じだ。

 

ネタバレしますのでご注意を。

昨夜とうって変わってかっこいい関羽です。やはり赤兎馬にまたがる関羽は決まってるね。横山先生の描く馬はほんとうに美しい。

 

まずは「まき餌の策」により曹操文醜を計略によって倒すのだがもしかして顔良の時と一緒で関羽がやっつけたら終わりだったのでは、という気もするがそれでは曹操が活躍できないからかもしれない。曹操関羽にカッコいいとこ見せたいだろうし。

どっちにしても関羽の「ドバッ」という一撃で終わるのだけど。そして関羽の活躍で玄徳自身もその姿を確認する。そのまま再会できなかったのか、とも思ったけどこれ案外距離があるのかな。それに曹操側に奥方がまだいるからそういうわけにはいかないのか。うむ浅慮であった。

 

こうして玄徳は再び袁紹に疑いを持たれるがここでも玄徳は「お互いにどこにいるのかを知らなかったのです。知っていれば何をさしおいても飛んでくる男です」と答える。ふーこの玄徳の関羽への絶対的な信頼が胸を打つ。

さらに玄徳は袁紹を説得し「私がここにいることを知らせれば」関羽はすぐに呼び寄せられると言い袁紹は再びこれを信じた。袁紹もなかなかわかる男である。

しかしこの大戦は長引き曹操はひとまず都へと引き上げていく。

 

都へ戻ると曹操は玄徳が袁紹のもとで生きていることを知る。

それは関羽が去ってしまうことであった。

しかも関羽はこの大戦で顔良文醜を討ち曹操への恩返しも果たしてしまった。もう関羽を引き留めることはできない。

それでもまだ関羽への未練が残る曹操張良は秘策を講じた。

 

そして関羽もまた密使によって玄徳の生存を知る。関羽曹操に挨拶をして去ることに決め曹操の屋敷を訪れるが幾度行っても避客牌(訪問客を断る札)がかかっていて中へ入れない。

関羽は決意し与えられていた屋敷を使用人たちに命じて掃除させ賜った贈り物を全て並べてお返しするとした。

そして玄徳夫人に次第を話し曹操の屋敷をもう一度訪れるがやはり会えず手紙を残していく。

 

関羽は玄徳夫人とひとり息子を丁重に車に乗せて出発した。

 

ここで余談。

横山『三国志』再読と共に吉川英治三国志』も読んでいるのだけどここで吉川版では玄徳夫人ふたりいる。

横山先生は「日本で妻が何人もいるのは馴染みがないから」と理由付けされてどの男にも奥さんひとりにしていたそうだけど実際は面倒だからだろう。

ただでさえ女性を描かない先生が奥さん何人も描くのはうんざりだったに違いない。

それに日本だって昔側室いるのは当然だ。小学生だって歴史ドラマを見てたら昔は妻が何人もいるのは知ってるはずでその理由はちとおかしい。

とはいえ玄徳の場合「ふたりしかいない」という。こちらもあんまり女性に興味ない男性だw

そして吉川版であの玄徳の初恋の芙蓉姫が第一夫人だったと知る。なんですとー。なぜ横山先生描いてないのか。興味ないのにもほどがある。良い話なのにい。

吉川版では第二夫人は若いけど芙蓉姫ほどの美人ではないらしい。玄徳らしい話である。

まあこれも吉川版では、ということなので実際はどうなのかはすみませんまだ知らないのですが。

 

さてこうしてついに関羽は玄徳の元へと千里の道をひた走る。

以前ここを書いた時は「千里の道=4000キロを走ったのかすごい」と驚いたのだがその後色々情報得るとまず漢の時代の一里は約300メートルでそもそもまったく長さが違う。

さらに関羽は方向音痴なのか玄徳のいる袁紹の国への道が解らなかったのか、曹操の領地をぐるぐる迷走して千里以上走っていることになってるらしいwww

これは明らかに『三国志演義』というフィクションで関羽の強さと玄徳への思慕を表現するためあえて多くの関門をくぐらせ武将たちを殺させたのだろう。気の毒なのはそのために首をふっとばされる将たちである。

そもそも最初から曹操(かその部下が)通行証を渡してくれてたら誰も死なずにすんだのだ。とりあえず散々殺してから「忘れておった」ということで通行証と張遼が届くのだが遅すぎる。

 

というところでまた戻るが関羽の置き手紙を読んだ曹操は「来る時も潔くまた去る時も見事なものよ」と感心する。

そして「会って気持ちよく立ち去らせてやればよかった」と思い張遼に路銀と着物を持って余に続けと命じた。

こ、この歩き方何度も言うけどなんと呼べばいいの。

曹操関羽に悪く思われたくないので必死で追いかけ追いついて言葉をかける。

「良い人だった」と記憶して欲しい乙女心の曹操様だ。

しかし関羽曹操に心を許してはいない。

最後まで油断せず小さな橋の上で曹操を迎える。

曹操は「奥方のために」と言って路銀を渡す。そして「君のために」と言って着物を贈った。

関羽はその着物を槍先で受け取る。

曹操の部下はこれを無礼なと怒るが

めっちゃすっきりした顔の関羽。「おさらば」はおもろい。

以前も書いたかもしれないが「着物」は身の上につけるもの。金と違って愛情をそのまま感じてしまうのだ。

関羽自身も玄徳からいただいた着物を脱ぎ着するたびに殿を思い出すのです、というほどだ。それならば曹操からもらった着物を関羽が着ることはないのだ。

玄徳の生存を知った今愛情のこもる曹操の着物を手で受け取ることさえ関羽は拒んだ。それは他の主君の愛情を受け取ることになる、と忠義に人関羽は判断したのだ。

曹操は無論それを理解したはず。関羽の心はすでに玄徳のもとに飛んでいるのだ。

 

さてここから先に書いた関羽の迷走殺人行が始まる。

通行証を求められ

の名文句も生まれる。

最後には夏侯惇まで登場する。夏侯惇は関門を突破するたびにそこに従事した者たちを斬り殺してきた関羽を責めたてる。そこへ張遼まで現れ関羽の命乞いをする。

曹操様は関羽の忠義な心を愛されているのだ。もしこれ以上戦えば曹操様に逆らうことになるぞ」と夏侯惇に迫る。

このカットもよく見る図

 

関羽の迷走はこうして終わり曹操の権力の及ばぬ地帯へと入る。

そこで関羽は関西の周倉という人物と出会う。

周倉は山賊の首領だったが関羽将軍を敬いその配下になりたいと願い出るのだ。

関羽は玄徳夫人の許可も得て周倉を部下とした。

そして山賊たちにも後で迎えを寄こすと言って立ち去ったのだった。

 

 

 

 

 

『三国志』再び 横山光輝 十七巻 後半

笑っちゃうくらい可愛い関羽雲長。なぜこんなにかわいくなったん。

目がかわいすぎるぅ



ネタバレしますのでご注意を。

 

 

張遼曹操のために関羽の心の内を聞きに行く。(なんだか女学生みたいだな)

いつもはこんな風だ

関羽のセリフが良すぎて悶え死ぬ。なんでこんな言葉言えるのか。

これもなあ。一番えっちなセリフだと思うのよ。

いったいどんなことがあったのかなあ。

こういうカットを見ると曹操を小柄に描くつもりでいるのはわかるな。でもやっぱり大きく感じるのだよね。

 

その頃玄徳は命からがら冀州にたどり着き袁紹の手厚いもてなしを受けていた。

(いやあ弟を死に追いやった人を・・・とは思ってしまうんだけど)

とはいえ袁紹、子供の病は癒えたのか、よかったよかった。

玄徳は今こそ曹操を叩く時、と袁紹に提言し袁紹はこれに賛同した。

白馬の野に兵を集結させ進撃を始めたのだ。

 

これを聞いた関羽は今曹操に恩返しをしてしまってすっきりしたいと考えたのだが曹操の方は先読みしてこれを断った。

が、袁紹軍に顔良という武将によって曹操軍は次々と倒され追い詰められてしまう。

「勝てるのは関羽だけでしょう」という言葉に曹操はやむなく関羽を呼び出した。

戦場を眺めた関羽曹操に「ここでごらんくだされ」と言い残し赤兎馬にまたがり颯爽と躍り出る。行く手には顔良。だがしかし。関羽の振り下ろす大薙刀は異様なうなりをあげて顔良の頭上に落下した。

「この機を逃すな」という曹操の号令で曹操軍は勢いを取り戻す。

戻ってきた関羽に「お主は鬼神だのう」と曹操が声をかけると関羽は「拙者よりも強いのが義弟張飛でございます」と答える。これには誰も何も言えなかった。

 

しかし袁紹軍では突然の敗北に袁紹が疑問を呈する。

関羽雲長と名乗る男が顔良を討ったためです」との答えに「関羽とは玄徳の義弟です」と口添えした者がいた。

袁紹は玄徳の裏切りだと感じ問い詰める。むろん玄徳は何も知らず「それは偽物ではないか」と答えたため袁紹は玄徳に謝罪したのだった。

 

疑いを振り払った袁紹顔良の弟文醜を先鋒隊の将とする。

さらに玄徳も先鋒隊に加わって日ごろのご恩を返したいと申し出た。

 

何も知らないから堂々と言い返せてよかった。あっさり信じる袁紹も人が良い。

しかし実際は敵味方となっている玄徳と関羽よ。どうなるのか。