「もし人類以外の強大な敵が現れたら人類は一丸となり争い事をやめるだろうと。おぬしはどう思うかの?」
『進撃の巨人』でピクシス司令の問いかけにエレンは「あくびが出ます」と答えます。「その強大な敵にここまで追い詰められた今でも一つになったとは言い難いので」
さきほどネットでこの場面を見せてもらわなければまったく「今現在の状況と同じだ」と気づかなかったうつけが私でございます。
このセリフを読んだときの私はどう思っていたのでしょうか。忘れていたくらいですから「そうなのかなあ。昔から宇宙人が来たら全人類は共に戦う」と言ってたしい、とかなっていたのでしょうか。
あまりにも空しい。
そんな私に新型コロナウィルスは人類がどう行動するかを現実として見せてくれています。
人類以外の強大な敵、がウィルスであるということも数々のSFが教えてくれていたはずなのに結び付けきれずにいたのです。
(ていうか『復活の日』も観なおしたりしていたのになぜ結び付けきれないのやら)
(ま、そういうことです)
その全人類の中でも日本という小さな国の一丸となりようのないこの有様はどうしたことでしょうか。
政府も国民もあちらもこちらもどうすればいいのかわからなくなったまま迷走しつづけているようです。
実はこのことを書く前に「ユートピアの正体はディストピア」という文章を書こうとしていました。
というのはちょうど今私は、宮台真司・藤井誠二著『美しい少年の理由なき自殺』という本を読んでいるところだったからなのですが。
その本の中ではっとした部分があったのです。主題そのものではないのですが私にとってとても重要な気づきだったのでそれを書きたくなったのですがうまくまとまらずにいたところネットで「人類の敵が現れれば」の文章に出会ったわけですがもしかしたら「ユートピアの正体はディストピア」の考えにもつながるようにも思えました。これもまだまとまっていません。
がとりあえずここに『美しい少年の理由なき自殺』で感じたことを書いてみます。
それは56ページの末尾から書かれている文章です。宮台真司氏の『終わりなき日常を生きろ』に書かれている氏の終末観である、とされています。
思えば『進撃の巨人』はいつまでも変わることのない集団劇の楽しさと主人公が成長変化していく作品の両方を兼ねそなえています。
わたしは仲良し仲間のわちゃわちゃユートピア作品が嫌いでそれが実はディストピアとも考えられるからではないかというこの著書の指摘にはっとしたことを書こうとしていたのですが「なにがあっても人類が一丸とはならない」指摘にさらにはっとしているわけです。
コロナウィルスはほんとうにさまざまなことを教えてくれますがこの現実の物語のラストが「人類はなぜ真摯に学ぼうとはしないのだ」ぱたり・・・ではないことを願いたいものです。