ガエル記

散策

森喜朗と野口英世

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現在はどうなのでしょうか。私たち50代世代ならほとんどは教科書で彼の業績を読んだ記憶があるのではないでしょうか。

貧農に生まれ幼い時に片手に重度の火傷を負ったが人々の善意で手術を受けることができたゆまぬ努力で科学者となり黄熱病の研究途中で亡くなった。

多くの日本人が感動する人生の物語です。

そうでなくとも2021年現在使用されている千円札に印刷されている人物として日常観続けているわけです。

その野口英世の実際の業績と彼の人格がどうだったのか、これまでにもうっすらと聞いたり読んだりしたことはありました。

教科書で取り上げられていた「黄熱病」の研究は途中でしかなかった、彼の成功はむしろ梅毒の研究だったのだが梅毒で有名になったとなると小学生の教科書で表現しにくいため途中だった黄熱病を取り上げたのではないか。

野口英世と言えば母と子の愛情。母親の並外れた献身が常に賛美されますが実際は父親もいたのに酒飲みの怠け者(とどこかに書かれていた)だったのでこれも小学生の教科書には書きづらいわけでいなかったことにされていました。

また野口英世自身の人格も下劣ともいっても過言ではないようです。

金遣いが荒く勉学の為に援助してもらった金を遊びに使い果たしてしまう、また知り合った女性の持参金目当てに求婚し後に破談にするなど尋常ではないとさえ思えます。

その一方で確かに語学の勉強や医学の研究には異常なほど勤勉であったということでその部分にやはり日本人は共感と賛辞を送ったのです。

 

つまり教科書だけでなくとりあえずの噂話は聞いていたうえでのこのテレビ番組視聴だったのですが、その内容は小学校教科書を打ち消すなどというものではありませんでした。

それはむしろ「野口英世ってほんとうは大した奴じゃないんだよ」なんていうものではなく「野口英世の人格は科学者として人間として認めてはいけない」ものでありそれは彼だけの問題ではなく「日本人は結局人間の尊厳というものをまったく理解していないし、理解しようともしていないし、理解していない日本人を軽く容認している」ことを伝えているものでした。

 

折しも今現在東京オリンピックの代表である森喜朗氏の問題が巷で取り上げられていますが海外のメディアと日本のそれとではまったく意識が違うことがはっきりわかります。

これは野口英世問題とまったく同じなのです。

 

野口英世は梅毒研究で優れた科学者として持ち上げられ更なる栄光を得るために黄熱病の研究にとりかかります。

黄熱病の原因はウィルスです。当時の科学力ではその発見をすることはかないませんでした。つまり野口が原因究明するのは無理だったのです。しかし彼は「発見した」と発表しそのワクチンまで作ってしまうのです。

もちろん効果があるわけもないのです。

そして野口自身が自作の黄熱病ワクチンを打ってアフリカへ赴き黄熱病にかかって亡くなってしまうのです。

今までは科学力が達していなかったための不可抗力と思っていましたが当時彼に間違いではないかという進言、疑問を投げかけていた人も幾人もいたわけです。

なのに彼はその声を無視しました。

自分の可能性を都合よく解釈する、見たいものしか見ず聞きたい言葉しか聞かなかったのです。

まずは「黄熱病に打ち勝つ」という目標を掲げて嘘でもその目標を達成してしまったのです。しかしそうした彼の野望のために多くの人が偽物ワクチンを信じて亡くなってしまったのではないでしょうか。

これは東京オリンピック2020を開催しようとしている日本人たちその代表森喜朗の姿と重なります。

コロナ期にオリンピックを開催することは多くの人がコロナウィルスに感染して死んでしまう危険を意味しています。

それがわかっているのに何とかしてオリンピックという栄光をつかもうとしている。

そのことに疑問を感じて止めさせない。

もちろんネットを見ているとそれを嘆く人々もいますがその声は足りないのです。

この番組の内容が真実なら野口英世はまさに日本人の精神そのものを表している。だからこそお札の人物として今も尊敬されているのです。

その人物は栄光のためなら人命が亡くなることを予感しても自分の行動をやめなかった。むしろそれこそが立派な行いだと信じていたのでしょう。

日本人はまた同じことを繰り返そうとしています。

世界中の目が見ていてもその目を

「何があってもやり抜くあっぱれな日本人への尊敬の目」

と勘違いしているのです。

「日本人の勤勉さ、たゆまぬ努力」は外国人の憧れだと思い込もうとしています。

それ自体が間違いなのです。

 

野口英世は研究をやめるべきでした。

とはいえ当時を知らない私は仕方なかったのだろう、と憐れむしかできません。

 

しかし今現在それを「気づかなかった」と言い訳はもうできないのです。

私たちは気づいています。

新型コロナウィルスに人類は打ち勝ってはいません。

したがってその証をオリンピック開催で行うことはできません。

先にその目標を掲げて無理やり達成するなど愚かしいことはやめなければいけません。

そのためにどれだけの人命と人生が犠牲になるかを考えなければなりません。

最も大切なのはオリンピックではなく人命と人生なのです。

 

 

それを気付く前に森喜朗女性差別発言をして自滅しそうになっています。

なんという馬鹿々々しさ。

しかしこれで東京オリンピックが中止になるのならそれもまた良いのです。