ガエル記

散策

『銀河英雄伝説』夢、見果てたり

銀河英雄伝説』何度目かの鑑賞終えました。

と言っても私には初めてきちっと観終えたようにも感じています。

昔初めて本作を観、小説を読んだ時実は本作を低く評価していたことは否めません。

もしかしたら私と同じような人はいるのではないでしょうか。

黄金の髪をなびかせるラインハルトとキルヒアイスはじめ彼を崇める帝国軍の描写がなんとも軽薄に感じられたというのが主な理由で確かに政治的な面白い記述はあるもののそこまで高評価しなくても良いように思えていたのです。すぐにこれを超える作品が次々と登場するとも思えていました。

しかし銀英伝小説が1982年から発行されてちょうど40年経った今でも本作を超える権謀術数を描写する作品はついに出現しなかったのです。

あえていうなら『進撃の巨人』がそれに近いものではあるかもしれません。

とはいえ『銀英伝』で描かれる現象はより現実社会の出来事に近しく思えるのです。

それゆえ本作は現在に至るまで何かあるごとに度々引き合いに出されてきたと記憶します。多くのファンが同じ思いをしてきて再び本を読み映像を見返してきたのではないでしょうか。

なのでこの作品は忘れ去られてしまうことがなかった。いやむしろ40年経った現在この物語こそが必要になってきている気がして再び鑑賞してしまったのでした。

 

話が昔に戻ってしまいますがかつて特筆されてきた3つのSFアニメ作品がありました。

宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』そして本作『銀河英雄伝説』です。

『ヤマト』は1974年と最も古く『ガンダム』が1979年そして『銀英伝』は小説が1982年アニメは1988年からです。

この三作品の共通点は明らかに先の大戦太平洋戦争を基盤として描かれていることでしょう。

しかし『ヤマト』は他二作品とまったく違う形で描かれてします。

正直に言って『宇宙戦艦ヤマト』は宇宙を舞台としながら日本人しか出てきません。地球代表が地球を救うためにイスカンダルへ向かうと言いながらもその乗組員は日本人だけでありしかも実際の戦争を思わせるかのように男性しかいないのです。異国人は姿も見せない。

そしてガミラスと称する青い皮膚の宇宙人も(なぜかドイツ人名なのですが)異星人もしくは異国人というより日本人なのです。あえていうなら主人公側に敵対する日本人というイメージなのでしょう。

もちろんスターシャ・サーシャと名乗る姉妹も日本女性としか思えません。

この作品は戦争に敗れ落胆した日本人の息子たちが先の戦争の怨念をアニメ化したものでヤマトはいわば幽霊船であり乗組員は今風に言えばゾンビなのです。彼らは「日本人は本当は凄い人だと言われたい」という一念で宇宙に臨むのです。

 

それが『機動戦士ガンダム』になると突然現実的になってきます。

戦争はよりリアルに描かれます。

しかし日本人を描きたいという意識はここでも強く働いています。

つい主人公アムロ地球連邦軍にいるため日本軍はこちらかと思えてしまいますが日本軍は明らかにジオン軍でしょう。

ここでもジオン軍はドイツ軍をイメージした描写になっています。

そしてよく「ガンダムはどちらが敵か味方か善か悪かがわからない」と言われますが当然です。

いわばアムロのいる連邦軍は我々日本人にとっては敵なのです。しかしそちらが主人公=善として描かれている。とはいえ日本人にとって実は同胞たるジオン軍を敵=悪とは思えないに決まっているのです。

すべての登場人物を日本人にしたのが『宇宙戦艦ヤマト』なら『機動戦士ガンダム』は主人公から見て「敵」であるジオン軍を日本人としたのです。ただし容姿も名前も日本人とは思えないようにして偽装している上に精神性も露わに日本人的ではないのですからややこしいのですが富野氏はそれでもジオン軍に日本軍を忍ばせている。

モノアイは日本国旗「日の丸」だというのは言いすぎでしょうか。「ジオン」と「ニホン」の音も似ている、というのも。

ジオン軍の脱走兵ククルク・ドアンへの思い入れも彼が日本兵だからかもしれません。

ガンダム』の特異性はここにあります。

 

では『銀河英雄伝説』はどうでしょうか。

さてまず本作の主人公は誰なのでしょうか。

私はヤン・ウェンリーが大好きだったのでどうしても彼に思い入れが強いしダブル主演的に紹介されることがほとんどですが本作の主人公はやはりラインハルトだと私は今回の鑑賞で強く思いました。

そして本作ではそのままラインハルトと帝国軍こそ日本人と日本軍をイメージしていると断言していいと確信します。

『銀英伝』で帝国軍は自由同盟軍から批評され滑稽だとも描写されていますがそれゆえにいっそう帝国軍は日本軍なのです。

ここでも日本=帝国軍はドイツ人として偽装されています。この不思議は何とも言えませんがさすがに日本軍の敵軍よりは味方であったドイツ人にイメージを重ねたいのでしょうか。それとも日本人はドイツ人の容貌と名前が好みなのでしょうか。

この好みは現在の若い作家・諌山創によって描かれた『進撃の巨人』でも繰り返されていて海外の人々から「日本人はどこまでドイツ人が好きなんだ?」と懸念されてしまいそうです。私自身ドイツ名に不満はまったくないのでますます困ったものです。

戻します。

銀河英雄伝説』の主人公はやはりラインハルトなのです。そして作者・田中芳樹氏はこの作品の中で帝国軍をこそ描きたかったのです。

かつて私は帝国軍がおかしく思えてならずラインハルト&キルヒアイスの主従関係が滑稽と見えて仕方なかったのですが田中氏はその美学を描きたかったのだとしみじみ感じました。

「ヴァルハラで会おう」はもちろん「靖国で会おう」に呼応します。

物語はラインハルトで始まりラインハルトで終わります。銀河の英雄はラインハルト以外の何者でもありません。

 

田中芳樹氏のおかしなところ、というべきか凄い所は帝国軍を描きたかったのにもかかわらず事実としてはヤン・ウェンリーを通して同盟軍が正しいのであり同盟軍として生きるべきだとして評しながらそれでも帝国軍の美学を愛でているというアンビバレンツです。

私などはヤンを信奉して今もやっぱりヤンが好きですがそれでも帝国軍の滅びの美学にほろりとするのも理解できます。

シェーンコップに惹かれてしまうのは彼の本質が結局は帝国人だったからなのではないでしょうか。あれほど優秀なのにヤンを敬愛しユリアンに命を捧げてしまう精神は自由人ではなくやはり彼は帝国人だったのだ、と思えてなりません。

いっぽうポプランのいかにも自由な生き方をこそ人は選ぶべきだと私は思っています。

 

銀河英雄伝説』は『機動戦士ガンダム』と似てるようでいて実はまったく違うのです。

ガンダム』において富野氏は日本人=日本軍をそれとなくジオン軍に忍ばせ案外あっさりと滅亡させてしまいました。

それは歴史的に正しいとも言えますが田中芳樹氏は日本軍を重ねた帝国軍に宇宙を支配させてしまいました。

最期で自由惑星同盟の代表たるユリアンによってラインハルトは帝国が専制国家から「立憲国家」に至るべきだとの示唆を受けます。

ラインハルトは結局その約束はせず帝国の変化を観ずに逝去します。

田中芳樹氏はラインハルトによって大日本帝国の輝かしい姿を再現し彼の目がその終末を観る前に閉じさせたのでした。

いわば『銀河英雄伝説』は『宇宙戦艦ヤマト』が「地球を救うために日本人が大活躍」という偽装などを使わず大上段で宇宙を征服させてしまったのです。

とはいえその日本人はドイツ人という隠れ蓑をまとっているという不思議偽装は必要としたのですが(これはなんともしがたい)

しかし多くの読者・視聴者は私と同じくヤン・ウェンリー自由惑星同盟側に共感するだろうと思いますしユリアンが綴ったとされるヤン語録を愛するはずです。

がそれでもなお田中芳樹氏が真実描きたかったのはラインハルトと帝国軍だったのです。

その夢はラインハルトの短い命と共に燃え尽きてしまいました。

その判断もまた田中芳樹氏の優れた知性によるものと感嘆します。