ガエル記

散策

『時の行者』横山光輝 その3

さて続きます。ネタバレしますのでご注意を。

 

 

「佐倉騒動の巻」佐倉藩の城主・堀田正信は夢の中の悪霊に苦しんでいた。行者の噂を聞いた家臣は悪霊を追い払ってくれるよう頼む。そして毎度ながら行者を消してしまおうと企むがまったく落ち着き払って対処し去っていくのであった。

堀田正信が見る夢の中の悪霊というのは重い年貢に苦しめられた百姓たちを代表して直訴し処刑された名主・宗五郎だった。

佐倉藩三百八十九か村の農民の思いの化身である宗五郎を死に追いやったことを思いつめたための悪夢だったのだ。

正信は松平定政を見習い佐倉十一万石を徳川家に返すことで忠臣になろうと決意するが時代はそれを許さなかった。

大名を取りつぶすことはできない時代になっていたのだ。

堀田家の領地は没収され正信は乱心者として預けられた。後年ほんとうに乱心したという。

また堀田家に祟ると噂された宗五郎は堀田家の子孫の手によって手厚く祭られた。

 

浄瑠璃坂の仇討」

江戸時代最大の仇討で後世多くの物語にされた。『忠臣蔵』の赤穂浪士もこの仇討を参考にして吉良邸に討ちいったという。

 

まったく知りませんでした。(てか知らない話ばかりですが)仇討の主役がまだ前髪の残る少年というのが痛々しい。仇討をすれば切腹なので現在の感覚では馬鹿々々しいのだけど現代人ももう少し仇討をしてもいいのではないかとも思う。切腹はしなくていいんだし。

淳君の拷問シーンあり。

 

「火付盗賊改めの巻」

今回も前髪少年登場。父親が火付盗賊改め方の中山勘解由人呼んで鬼勘解由だという少年侍。少年は幼少の頃から毎日父の仕事である人の首をはねるのを見続けてきたという。そして自分もまたその仕事を引き継がねばならないことに心を痛めていた。

「疑わしきは罰す」という行き過ぎた刑罰を少年は受け入れられなかったのだ。

だが心優しいガールフレンドが婦女暴行の疑いをかけられた男に襲われ殺害されて少年の心は壊れた。

この時代、火付盗賊改め中山勘解由の働きは凄まじかった。

鬼勘解由の容姿が呉の孫堅です。

 

「元禄の犬騒動の巻」

今も行き過ぎた生類憐み運動が議論をかもすことがありますがこの時代のそれはほんとうに怖いものです。

蚊を殺して流罪とかツバメ殺して打ち首。まあツバメはあんまり殺さないだろうけど蚊はつい殺してしまうものですよ。

本作では我が子に噛みついた一匹の犬を殺したために優しい夫が打ち首になり子供は狂犬病が元で死亡してしまったという武家の女性が登場。彼女は夜な夜なひとり野犬を斬り殺していくのである。

しかし犬役人が野犬に襲われたことをきっかけに幕府は放置できず元禄八年大久保と中野に犬小屋を建て犬を養うこととなった。

集められた野犬はその年で四万を越えさらに増え続けた。

 

しかしこの「生類憐みの令」で良くなったものもあるのではないかとは思ってしまう。

動物だけでなく子どもや年よりにも思いやる令であったらしい。

罰則で改めさせるというのは悲しいやり方ではあるけどね。

 

 

「元禄の豪商の巻」

紀伊国屋文左衛門の話。

紀州ではミカンが豊作で価格が暴落した時、江戸ではミカン不足で価格高騰したのを知った文左衛門は嵐を押し切って船で大量のミカンを運び帰りに上方でも大儲けをして一躍大金持ちになりそれを元手に材木問屋となって江戸一番の豪商となった。

行者と出会った時に大地震が起き江戸が崩壊すると文左衛門はこれでまた大儲けができると喜ぶ。その姿を見て失望した行者は文左衛門の重要な出来事を話さないことにした。

後日、文左衛門は幕府から貨幣づくりを持ちかけられる。質を落とした貨幣を作りその手数料は莫大なものになるという。

しかし五代将軍綱吉が他界したと同時にこの品質の悪い十文銭が使用停止となり文左衛門が全財産をつぎ込んだものはただの銅屑となってしまったのだ。

 

文左衛門の末路はあわれなものであった。乞食同然となって江戸の町をさまよったが誰も見むきもしなかったという。

 

「将軍家継承争いの巻」

少年行者・淳の本来の生活の場所はすでに人々が死に果てた世界だった。

だが戦争はまだ続いていた。壊れなかった自動兵器が過去の人間の命令をいまだに忠実に守り戦い続けているのだ。

ここで淳には「リサ」という仲間がいるのだがどこかで歴史を変えたいとひとりで時間を彷徨っているらしい、というのが解る。

淳はリサを探しに幾度も時間の旅をしているのである。

淳は時間をセットしてタイムトラベル機に乗った。

 

行く先は尾張藩。将軍継承問題の尾張中納言吉道の毒殺事件に行者は巻き込まれる。

 

ここでリサという少女(淳の言い方からして同年齢の女性と考えられる)がパートナーとしていると匂わせているのは、そして淳の旅が彼女を探しているのだと理由付けしたのはやはりテコ入れ的なものなのかなと推理されます。

非常に面白く勉強にもなるのですが本作が取り上げる題材はやや地味なので爆発的な人気とまではいかなかったのではないでしょうか。

なんとなくNHKの教育番組的ですらあります。

むしろならなかったのが不思議。