1974年「少年チャンピオン増刊号」掲載
同じく横山光輝著『史記』7巻の第3話「刺客荊軻」の原型作品、と横山光輝オフィシャルウェブで記されています。
ネタバレしますのでご注意を。
まずは先日読んだ『史記』と絵を比べてみましょう。
『刺客伝』の荊軻
若い!若くて色気がある!(カラーページと言う意味ではない)
『刺客伝』荊軻
うーむやはり横山光輝若き頃の男性には魅力がほとばしっていますな。
とはいえ真摯な感じは同じ。こういう一途さが横山男子の味と言えます。
では内容は。もちろん同じ話なので本筋は同じですが受ける印象は大きく違うのが面白いです。
『史記』「刺客荊軻」は極めて冷静に丹念に状況を説明していくのですが『刺客伝』は物語も若々しく感情が起っているのです。
そのせいもあってか『史記』の荊軻が落ち着いて始皇帝殺害に及ぶのに比べ『刺客伝』荊軻は慌ててつまずき失敗してしまうのです。
そして最後のページ
あははははは。やはり「少年チャンピオン」掲載だったから少年たちに教訓を残されたのでしょうか。
これが『史記』では
となっていて荊軻が怠けていたからではなくなっているw
舞陽とは荊軻の供をしてきた太子丹に選ばれた豪傑で度胸満点のはずだったのだが暗殺の前に震え上がって役に立たなかったのだ。
『史記』では荊軻はそもそもこの舞陽を信頼しておらず遠方にいる友人が来るのを待っていたという話なのだが結局その友人は現れずに荊軻は暗殺に赴く。そしてその友人が誰だったのかは史記に記されていないという。
まことに興味深い話である。
もしかしたらそんな友人などおらず友人を待つ、ということで暗殺の時期を延ばし暗殺自体をなし崩しにしようとした、ということはないのだろうか。
それでなくとも荊軻の暗殺計画は随分気の長い話で何年もかかっているのだ。太子から豪邸を与えられて優雅な生活を長く楽しんでいたりする。
その点『刺客伝』では短期間で暗殺まで行きついている。さすがに悠長に楽しんでいるのは少年たちには見せられないだろう。
このあたり「忠臣蔵」の仇討と重なったりするな。
ともかくも横山先生は後年いきなり『史記』を描いたのではなくずっと長い間読まれていたのだなとわかりました。