ガエル記

散策

『長征』(上下) 横山光輝

『長征』1973年(昭和48年)3月~12月「ビッグコミックオリジナル」連載の初単行本(2004年)すでに廃刊になっており古本にて購入しました。

先日書いた『横山光輝超絶レアコレクション』横山光輝 その3「長征」とは違う作品です。(作品の舞台は同じです)

1973年の年表を見れば横山光輝氏が手掛けた『バビル二世』『三国志』『戦国獅子伝』『闇の土鬼』他にも怒涛のように作品名が記されている時期です。その中でこんな壮絶な作品を描いていたとは恐ろしい思いがします。

とはいえこの作品が2004年まで単行本化されなかったのは残念です。私は最近になってやっと氏の作品を読みだした者なので悔しい思いをせず読めたのは或いは幸福だったかもしれません。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

当時赤匪と呼ばれた中国労農紅軍は毛沢東を中心として勢いを増していた。

これを怖れた蒋介石政府は紅軍を根絶やしにせんと作戦を開始した。紅軍は安全な根拠地を求めて大移動を開始する。これを長征(ロングマーチ)という。

その距離は12500キロメートルを徒歩で進み十万の兵が終わった時には数千になったという過酷なものであった。

灼熱の地、厳寒の山路、腐った大湿原、まともな武器もなく満足な食糧も与えられず着の身着のままで彼らは歩み続けた。そこには女兵士もいた。

政府軍からの攻撃を受け大自然の脅威に耐え歩き続けた彼らは革命に対する自信を揺るぎないものにした、という物語である。

 

この作品に対するあるレビューを見て「イデオロギーの押し付けな作品。横山光輝は描きたくなかったのではないか」というのを見て思わず笑ってしまいました。横山氏が描きたくないものをこんなに長く描くわけもないし読めば氏が強い思いを持って描いているのは一目瞭然です。

氏が描きたいのはイデオロギーではなくここでも「純情な男」というだけでしかないのです。純情な男のまっすぐな生き方を描くためにこの題材を選んだのです。何故この題材なのか、この状況だからこそ描きたい男が描けるのであってぬるい世界には横山光輝が描きたい男は存在しなかったのでしょう。

 

主人公良成の純情さは胸を打ちます。そもそも良成にはイデオロギーなんて言う難しい言葉はありません。

彼は冬でも着る服がなく上半身裸で過ごすのが当然という村で育ってきました。

「だって地主さんが服をくれないから」という理由を当たり前としていた人間なのです。

そこに桃花という娘が現れ彼の心をつかんでしまったのですがそれは良成が若い男だから恋をしただけなのです。

桃花は良成と違いイデオロギーを持った女性です。自分の意志で紅軍に入り良き世界を作ろうと考えている女性です。

とはいえ桃花自身も素直でまっすぐな女性です。

ふたりは苦楽を共にしながら愛情を深めていきます。その様子を見ていると男女の愛情がこんな風に育めるのならどんなに素晴らしいだろうと思わずにはいられません。

 

とにかく良成には何もないのです。財産も権力も。

一巻の終わりで灼熱の中で良成は「桃花のために何かしてやることで暑さを忘れていた」と描かれます。

二巻で婦人部隊にはいるという桃花と別れるのが辛く「お前に何かしてあげたいんだ」とうつむく良成。

現在の日本人の感性で言えば愛が重すぎるのかもしれないけど私はとても心を揺さぶられてしまう。

横山氏はこんな純朴な男の姿を描きたいだけでこの辛く長い物語を描き通したのです。

そしてその愛を喜んで受け止める桃花もまた良い女性です。

 

先日読んだ『横山光輝超絶レアコレクション』横山光輝 その3「長征」では妻子を亡くした男が妻にそっくりな娘を守り抜き自分は死んでしまいましたが本作では純粋な恋人同士となった桃花と良成は思い合ったまま別れ再会を待ち望みながらかなわない。

ふたりは人間が願って当たり前の夢を持ち続け決して挫けない強い意志を持ちながらも踏みにじられてしまうのです。

この物語を読めばいったい人間にとって何が大切なものなのか、すぐわかると思うのだけど。

 

これは死に急ぐ物語なのです。

彼らは死ぬために歩いている。もちろん死のうとしているわけじゃない。死にたくなどない。その先に幸福があると信じて歩いている。しかしそんな世界はないのです。

でもそれは今現在の私たちも同じだとも言えるのではないでしょうか。

生ぬるく感じているだけでほんとうは同じなのかもしれない。

しかも側に良成はいるのでしょうか。或いは桃花は。

私たちは良成も桃花もなしに守られ守る人もなく生きていくことはできないでしょう。

しかし世界はそんな風になっていっているようにも思えてなりません。

私たちは愛し合い信じあった良成・桃花より悲しい存在なのかもしれないのです。