ガエル記

散策

『影丸と胡蝶 ほか七編』横山光輝時代傑作選 「ムササビ」

「ムササビ」週刊少年キング1969年

同じタイトルで三作品ある・・・・?

連載で三作品あった、ということなのかな。なのに目次では二作品・・・・?

いろいろ謎である。と思ってたら2・3作目は末尾に「マンガ少年版①②」と書かれていた。そういうことだったのか。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

前も書いたことですが、私、横山作品の中で一番忍者ものが不得手です。

これはたぶん自分の中の忍者もの、というのが白土三平を基準にしているせいだと思えます。

白土三平の特に『カムイ外伝』を読み親しんできたので横山氏の忍者ものはどうにも生ぬるい気がしてなかなか受け付け難いのでした。

とはいえ横山氏自身主人公に影丸という名前を用いていること(これは当時問題にならなかったのか、忍者で影丸はあたりまえなのか)アクションを見ても非常に白土的であることなどからも白土三平を意識していなかったとは思えません。むしろ横山光輝氏ご自身も白土三平のマンガ・主人公特にカムイに敬意と好意があったのではないでしょうか。

とはいえ貸本や「ガロ」から出発した独特で苛烈な白土マンガとは違う少年誌掲載で受け入れやすい(はずなんだが)内容を心掛けた横山氏は白土三平ものをリスペクトしながらも(だと思う)独自の風味を模索されたのではと思ってしまいます。

 

とはいえこの三つの「ムササビ」は白土的な過酷、強欲、苛烈、差別といった内容を意識しながら及ばず横山流ユーモアもあまり生かし切れてない歯がゆさを感じます。白土三平的なものを描きたいと思いながらも「真似になってはいけない」というような物足りなさが見え隠れします。

横山マンガにおいて白土的というかカムイを感じさせるのは忍者ものではなく『バビル二世』なのではないでしょうか。バビル二世が大きな使命を持ち人間ではないしもべたちを従えて孤独に戦う姿にはカムイに似たものを感じます。

忍者ものではそれをやりたくてもやれなかった。力が及ばなかったのもあるだろうし真似になるのも避けたかったはずです。

などと私が書いても事実としては『伊賀の影丸』『赤影』は物凄い人気だったのですから問題はないのでしょうが。

しかし私は横山氏は本当は悔しかったのでは、と思ったりもします。「自分もカムイのような主人公が描きたい」と考えたりされたのでは。

横山氏が「自分の作品で一番好きなのは『バビル二世』だ」と書かれていたのはそういう思いがあったからではないのだろうか、と憶測してしまいました。

バビル二世が物凄く冷徹なのもカムイを意識してのことでは、と思ったりもします。

 

そして横山忍者は別の道を進みます。独特の面白みを持った世界観です。

1973年『闇の土鬼』は白土三平的な縛りが外れた面白さに溢れています。この文章を書くためにちょっと読み返したら面白さに爆笑しました。

まあ確かに『闇の土鬼』は抜け忍の話でもあって私は共感しやすいというのもあります。

 

おっとここでは「ムササビ」についてでした。

勝手で余計な感想ではありますが「ムササビ」はそんな『闇の土鬼』に至るまでの習作と考えます。