ネタバレしますのでご注意を。
潼関の援軍に来た鄧昆は相棒である芮吉に自分は周に帰順しようと考えていると打ち明けた。
実は黄飛虎は鄧昆の叔父なのだという。叔父を尊敬して叔父と共に天下のために戦いたいと考えていた。そして芮吉を誘うと芮吉もまたとっくに紂王を見限っていたというのだ。だがどうやって周軍に帰順の遺志を伝えるか、と声に出した時突如どこからか「そのお役目、私がいたしましょう」と語りかける者がいた。
周囲に溶け込んだ土行孫だった。援軍が来たという報告を受け忍び込んで様子を探っていたのだ。土行孫は全裸を顕して二人の気持ちを聞いた。
そして布に気持ちを記させ持ち帰った。
太公望は援軍の将に帰順の気持ちがあることと地獄谷の毒気を知り哪吒たちに白旗と赤旗を取り換えてしまうよう命じる。
これで敵もどこから毒気が吹き出すのかわからなくなった。
潼関の卞吉らは何も知らずこれまでと同じように地獄谷に引きずり込もうと出陣してきた。
哪吒たちの向き合い互いに小僧だと罵り合う。
そしてやはり卞吉はあまりにも貧弱に槍を放り出して逃げ出してしまう。
金吒たちは追いかけはしたものの地獄谷の手前で立ち止まった。卞吉はこれでは役に立たないともう一度出陣太鼓を叩かせる。
哪吒は副将公孫鐸と対決し討ちとってしまう。その様子を見た卞吉は戸惑いながらも地獄谷へと逃げ込んだ。
しかしそこには多くの味方の兵が毒気で倒れてしまっていた。旗が入れ替えられているのを知らない卞吉は動揺し取り乱してしまう。戦場に慣れていないため卞吉は更なる失態を犯してしまう。
「退け」と号令をかけたものの出陣太鼓は気づかぬまままだ打ち鳴らされていた。引き揚げの太鼓を鳴らさないまま退却したため味方から「裏切り行為だ」と見なされ攻撃を受け同士討ちとなってしまう。卞吉は慌てて「裏切りではない。引き揚げの太鼓を鳴らせ」と叫んだ。
敗北し何の成果もないまま戻った卞吉を欧陽淳は問い詰めた。卞吉は弁解したが欧陽淳は聞く耳を持たない。卞吉も父の敵討ちをさせなかったという恨みがあった。欧陽淳は敵前逃亡の罪で打ち首にせよと命じた。卞吉は打ち首となった。
(一番哀れな人物だったようにさえ思える)
ここで鄧昆は欧陽淳に「あの若者の言うのも一理あります」と言い出す。
「紂王の悪政に天下の諸侯も孟津に集結し武王の到着を待つのみ、今すぐ潼関を通過させてはどうでござろう」
この言葉に欧陽淳は怒り剣を出したが逆に討たれてしまう。
鄧昆と芮吉は潼関の兵たちに訴えた。「お前たちはどうする。この潼関を枕に全員討死するか」
兵士たちは「ご命令に従います」と言って鄧昆の命令どおり門を開けた。
潼関の門が開いたと聞いて太公望は周軍を率いて潼関へ入っていった。
そこには鄧昆と芮吉が出迎えていた。
黄飛虎たちを救い出しすべては甥の鄧昆が教えてくれたと話す。
黄飛虎も鄧昆が現れると驚き訳を聞いて喜んだ。
太公望は一日も早く孟津へ到着したかった。
最短距離の直進をして澠池城を落とすか迂回路を通るか、黄飛虎に相談した。黄飛虎は迂回路と言っても黄河の激流や山また山を進むことになる、黄土高原の難所はあるがこのまま進み澠池城を落とす方が早い、と答える。
太公望はこれに同意して戦車を用意させ出発した。
とはいえ百キロにわたる黄土高原の山越えは想像を絶する難所だった。
(いったいなんでこんなに大変なんだ中国大陸)特に困ったのは六十万の兵の水の補給がままならなかったことである。
兵士たちは疲れ果てていた。その様子を金吒木吒哪吒兄弟は眺めていた。その時雪が降ってきた。太公望は敷物を置いて雪をかき集めさせ水桶に入れた。これで水補給の不安はなくなった。
さて澠池城には張奎と高蘭英という司令官夫婦がいた。
澠池が交易の中心地であることを利用して北方から優れた馬を手に入れ澠地の平地で放牧育成をしていたのだ。
夫・張奎は騎馬によって目にも止まらぬ素早さで敵を討ち、妻の高蘭英は四十九本の太陽針というのを鎧のあちこちに隠して接近戦になるとそれを投げつけるという特技を持っていた。
夫婦はこれで武王の弟ふたり、黄飛虎の側近四人を討ちとった。
さらには黄飛虎自身も高蘭英の針に襲われ失明し自害したのだ。
(なんという最期)
そしてさらには張奎の騎馬隊が黄飛虎軍を討ちとった。彼らの武器は石弾だった。
報告を聞いて太公望は激しく泣き崩れた。
もっときつく止めるべきだったと悔やんだ。
その姿を見て武吉は太公望を慰めた。
「黄飛虎将軍は早く奥様に会いたかったのですよ」
「ええ妹さんや息子さんたちにも。ですから将軍の霊が安らぐような指揮をとってください」
これを聞いて太公望は「武吉に一本取られたわ」と微笑んだ。「確かに。黄飛虎の霊を早く慰めてやらねばのう」
(武吉ちゃん、ほんと良い人)
張奎の動きを封じれたのは土行孫だった。土行孫は長い棍棒で馬の脚を狙うのを特技としている。
自慢の駿馬の脚を折られ捕縛縄で痺れさせられた張奎はあわやのところで助かったが腹の虫がおさまらなかった。
夫の腹立ちを見て妻高蘭英は落とし穴で土行孫を討ちとる計略を講じた。
土行孫は先日の勝利もあって深追いしこれにはまり矢を射られる。全裸になって逃げようとしたが矢が動き出すのを見た張奎が姿は見えないもののさらに矢を射ることで土行孫は絶命した。
これを聞いた太公望は驚き妻である鄧蝉玉に伝えようとしたが彼女はすでに夫の仇討といって飛び出した後だった。
鄧蝉玉は帰ってこなかった。
朝歌、鹿台に澠池城からの報告が届いた。張奎がまたも周軍を撃退したと書かれており紂王は喜んだ。妲己は「天に選ばれた天子が逆臣に負けるわけがございませぬ」と答え戦勝祝の準備をさせた。
「わしは天より選ばれた天子だ。逆らう者は皆殺しだ。この大地を血の海にしてやるぞ」
紂王と妲己悪政はとどまることがなかった。罪もない人々に苦しみを与えることに何の躊躇もなかった。
太公望は楊戩に工匠・鍛冶・矢柄氏などを集めさせていた。
太公望は「弩」を造らせようとしていたのだ。
そして巨大な震駭車も造らせた。
太公望の計画は着々と進んでいた。
そしていよいよ決戦の時を迎えたのだ。
巨大な箱のような物を見て張奎は嘲笑った。
太公望は高い巣車から指揮をとる。
張奎の騎馬隊の中に震駭車が突っ込み大きな音を立てると馬たちはその音を嫌って暴れ出したのだ。
そこへ三層の戦車から「弩」による攻撃を繰り出す。
猛攻撃に張奎軍はやむなく城へ引き揚げた。
だがその被害は莫大だった。
八万の死者が出て残るは二万だった。
が、高蘭英は持久戦を勧め人形や旗を立てる「塁虚の陣」を進言した。
太公望は鳥を使ってこれを見破り作戦を考えた。
攻めてきた周軍に張奎は「孟津には行かせん」と言い放つ。
金吒哪吒が忍び込み居並ぶ兵士たちが人形だと見破って兵たちを中に入れた。
さすがの高蘭英も夫・張奎に逃亡を急がせる。
が哪吒たちがこれを追った。
休憩のためひとりでいた高蘭英を哪吒が如意珠と乾坤圏で討ち取った。
さらに張奎も楊戩の手で討ち取られた。
これで孟津まで一気に進めるのだ。
孟津と呼ばれる黄河に面した一帯はい渡す限りの平原で百万二百万の人馬をゆうに収容できる広さがあった。
さらに孟津の後方基地周辺の土質が食糧兵糧などを長期保存するのに極めて優れていた。そして大黄河中流の出発点でもあった川幅が三キロと広くこのため流れもゆるやかであった。
向こう岸に向かう途中に大きな中洲がある。天然の船着き場で黄河のどの岸からも容易に船が漕ぎ出せたのである。
孟津が会盟の場所に選ばれたのはこうした利点があったからである。
ここに諸侯はすでに待っていた。
周軍の到着に諸侯が慌ただしく動き出した。
太公望そして武王が到着した。
「武王様、諸侯が出迎えております」
その夜冬の輝く星空のもとで空前の大宴会が催された。
二日後、会盟が開かれることになったのである。