ガエル記

散策

『殷周伝説』太公望伝奇 その14 横山光輝

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

朝歌。妲己によって鹿台の天井の梁の空洞に琵琶精は安置され半年後蘇った。

妲己は琵琶精に喜媚と名乗らせ紂王に侍らせた。

紂王の宴会は続いた。(よくまあ飽きないね)

 

そして周軍は第三の関門穿雲関を陥落し残るはふたつ、臨潼関、潼関である。

 

臨潼関の司令官は余化竜。彼には五人の息子がいた。

周軍からは太鸞が出たが思いがけなく敗れてしまう。

それを聞いた蘇護は次はそれがしがと言いつのった。太公望はやむなく折れてしまう。

しかし蘇護そして息子の蘇全忠と討ちとられてしまったのだ。

 

臨潼関では思った以上の勝利に沸いた。そこへ末っ子の余徳が帰ってきた。が城中に入ろうとしない。死に至る疫病にかかってしまったというのだ。余徳は最後のご奉公だと言って周陣内に疫病を広めようと力を振り絞って周陣へと歩いた。

 

周陣の番兵たちは追い払おうとしたが余徳が倒れてしまったので仕方なく中で休ませ水を飲ませた。

が次の日余徳は死んでしまう。番兵たちが遺体を埋葬しようとしているのを金吒が見とがめた。

金吒は男の顔を一目見て疫病の痘瘡(天然痘)だと気づく。

近くでしゃべったり持ち物に触れたりしたいに触れたら間違いなくうつる。金吒は兵たちに油と松明を持ってこさせ死体に油をかけて火をつけた。

さらに男が泊まった陣幕を焼いた。

気づいた哪吒が走ってきて訳を聞く。金吒は哪吒に注意を伝えて太公望に報告するために走った。

太公望ですら痘瘡の薬については知らなかったが金吒は五竜山で師から学んだという。そして升麻という薬草を早く飲ませれば助かると。しかし七八日もすればもう遅く死に至る。

よく乾燥させたものほど効くという。それが五竜山にはある。

金吒は太公望から許可を得ると五竜山へと急いだ。

 

全てが金吒にかかっていた。待つ間、太公望は南宮适将軍に事の次第を皆に知らせるよう命じる。

それでも疫病は広がっていった。

太公望は「ここまで来て殷軍ではなく疫病と戦うようになるとは」

 

臨潼関では進軍を急ぐはずの周軍がまったく動かないことを考えあぐねていた。

余化竜は痘瘡を移しに行くと言った息子余徳の言葉を信じていた。ここで一気に戦いましょうと言い出す息子たちを叱りつける。ここで周軍に近づけば自分たちも痘瘡にかかってしまうのだ。

やがて周軍の前陣から大きな火の手が上がった。間違いなく疫病で死んだ者を焼きはらう火の手だった。

 

一万以上の兵士が死んだがやっと金吒が薬草を持って帰ってきた。

病の兆候が見えていた木吒はすぐに薬をもらって飲む。

薬草はすぐに煎じられ病人たちに配られた。

 

太公望は不思議を感じていた。

周軍が何もせずとどまったままでしかも大火事を出していたにも関わらず何も知らないはずの臨潼関が攻めてこないのはおかしい。あれほど周軍の将を討ちとった力を持っているのにだ。

これは臨潼関が周軍の疫病を知っていたから近づかなかったに違いない。

だとすればそれを逆手にとって敵軍をおびき出す手を考えねばならない。

 

薬を得、攻撃もないおかげで兵士たちはめきめきと体調を取り戻した。

太公望は竈の数を減らしていくように命じた。

 

臨潼関でもこの様子に気づき病死者が増えたか脱走兵が出始めたかだ、と考える。

それでも余化竜は危険を感じていた。

息子たちは夜襲をかけて周軍を焼き討ちする計画を立てる。

 

太公望はさらに中陣の防御柵を焼き払いそれぞれの将を左右の山かげに伏せさせ金吒哪吒は前軍の先鋒隊を指揮させた。

 

余一家は中陣の火事を見ていったん夜襲を中止したがここまでくれば周軍の勢力は今一番落ちていると考え出陣した。

ところが周軍は先鋒隊だけではなく左右から黄飛虎軍、南宮适軍がいっせいに余軍に襲い掛かった。

腕自慢の息子たちも金吒木吒哪吒たちに次々と討ちとられた。それを見た父余化竜は紂王に詫びながら自刃した。

周軍は臨潼関になだれこんだ。

 

暴君紂王を倒すため諸侯が集結する孟津への道は潼関一つ残すのみとなった。

潼関の司令官は欧陽淳。城兵は三万だった。

欧陽淳はやむなく朝歌へ援軍を要請した。

が援軍が来ないまま周軍と対決することとなった。

周軍の先発は黄飛虎。以前黄飛虎は周へ逃亡する時にこの関を通る際に蕭銀と言う副将の同情で通ることができた。しかしその蕭銀はその後殺されたのだという。その恩に報いたいというのが黄飛虎の思いだった。

黄飛虎に対峙したのは副将卞金竜。しかし黄飛虎の相手ではなかった。

黄飛虎は卞金竜の首を討ちとった。

 

その報告を受けて立ち上がったのが彼の息子卞吉だった。だがこの卞吉は勉学一筋で武芸は得意ではなく欧陽淳はその申し出に驚く。

が卞吉は「学んだことで戦います」と言う。

彼が研究したのは潼関の近くにある地獄谷の毒気とそれによって変色するように作った旗だった。

これを聞いて面白い作戦だと思ったのは他の副将たちだった。

彼らは武芸には弱い卞吉を補佐しようと言い出す。

欧陽淳は許可を出した。

 

籠城するかと思った潼関が出陣してきたことに太公望は驚く。

南宮适の前に出てきたのは卞吉だった。卞吉は「お前など知らん。黄飛虎を出せ」と言い出し南宮适は不遜な態度に怒り討ちかかるが卞吉はへっぴり腰で相手にならない。

副将桂天禄が代わって相手になると卞吉は逃げ出す。しかも桂天禄もすぐに逃げ始めたのだ。

南宮适は怒り後を追うがそこは地獄谷であった。南宮适は毒気にあたって倒れてしまう。周囲の兵たちもみな倒れた。

後に続こうとした者たちは恐れて逃げ帰った。

 

次に卞吉と対峙したのは黄飛虎だった。やはり卞吉のあまりの弱さに怪訝な面持ちとなる。

すかさず桂天禄が代わったが今回は黄飛虎の横についた黄明に斬られてしまった。

卞吉は戸惑いながらも地獄谷へと走る。

するとやはり追いかけた黄飛虎・黄明が毒気に当たって落馬してしまう。

それを見た呉謙も危険を承知で近寄りやはり倒れた。

残った周紀は戻り太公望に報告した。

 

潼関では卞吉が捕らえた黄飛虎の首をはねて父の仇を討ちたいと願い出た。しかし残った副官がこれに反対する。「人質はとっておくべきだ」と。

卞吉は不服だった。

欧陽淳は再び朝歌に援軍を請う奏上文を書いて送った。

 

佞臣・悪来は使者に渋い顔をしたが周軍が潼関まで進んだと聞いて慌てだす。

黄飛虎ら四将を捕えたと聞き悪来は迷った。

仕方なく微子様に相談することにした。

援軍の要請などすれば紂王から処刑されてしまう。ここは紂王の兄である微子様に委ねるしかなかった。

微子はことの重大さを感じた。ここで食い止めなければ周軍は諸侯と手を組み連合軍となって朝歌に押し寄せてくるのだ。

紂王は今日も鹿台で遊んでいたが微子は奏上文とともに説得することにした。

 

紂王も兄には会うことにした。

そして事の重大さを伝える。

妲己はいちいち反問したが紂王はさすがに援軍を出すという。

妲己は将軍の名を聞き「ならば三万もあれば充分ですね」と言い放った。

鄧昆と芮吉は紂王から援軍の将を命じられた。

とはいえ与えられたのはわずか三万。六十万の周軍に対しあまりにも少なかった。

 

しかし潼関の欧陽淳は喜んで援軍を迎えた。

宴会を開きふたりの将に卞吉の「旗扞の策」を教えこれで武王や呂尚も捕らえ周軍を孟津の界盟に遅れさせる、と紂王からの莫大な恩賞を信じて祝った。