ガエル記

散策

『元禄御畳奉行の日記』上その2&下 横山光輝/原作:神坂次郎

上の途中から続きます。下まで行けるか。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

タイトルのとおりこの日記が書かれたのは元禄時代元禄時代と言えば江戸時代でも最も文化華やかなりし頃というイメージと同時に綱吉の「生類憐みの令」という行き過ぎた悪法が人々を苦しめた、という評価もされますね。

本作でもこの法令の愚かさが描かれその法令にもかかわらず文左衛門は仲間を引き連れ川で網打ちによる魚取りを76回もやったというのです。これは文左衛門が江戸ではなく尾張に住んでいるからこそできたのかもしれません。

しかしこの「生類憐みの令」で日本人の動物への愛情が生まれたのではなかろうかと私は思ってもいます。現代においては犬猫をはじめ動物たちの動画を観るのが何よりも心の癒しになっていることを想えば今の私たちは綱吉より犬好き猫好きなのではないでしょうか。

 

さて朝日文左衛門の日常を読むことで当時の「武士」というものがいかに「退屈を紛らわすために過ごしていたか」がわかります。

しかし武士でも貧しくて身を持ち崩し士籍を剥奪される者もある中で文左衛門は何もしないにもかかわらずゆとりある生活を続けていけるのです。だからこそこのような何もない日記を書き続けられたと言えるでしょう。

文左衛門の楽しみは酒宴と芝居と心中などのスキャンダルを追いかけ日記をつけること。そして魚釣りも武芸もあれこれと続けているのもすべて暇を持て余しているから、というなかなか羨ましい身分であります。しかしこれくらいの楽しみならば今の日本人も普通にやっていることでほぼ同じ生活をしているといってもいいでしょう。

私自身毎日このブログを書き書くためにマンガや映画(配信)を楽しみXで世間で何が起きたのかを知り許せんとか偉いとか評価しているわけです。

文左衛門の良い所はさすが漢詩を作っただけあって文人との交流も続けているというところです。やはり日記とはいえ文章を書き続けた人物です。いやもしかしたら日記以外にも作品がなにかしらあったのかもしれません。

 

ところで横山光輝マンガの楽しみに「かっこいい男性」「かわいい男子」が出てくること、というのがあると思います。

とはいえ本作主人公たる筆者があれですし内容もだるく腑抜けたものが多いのでかっこいい男性が出てくる希望はほぼなく実際出てきませんw

しかし上巻の最後のエピソードで出雲様御家中の稲葉弥右衛門が草履取りの少年を手打ちにした、というものがあります。すでに「手打ちにした」と書かれているので悲劇なのですがこの少年がすごく可愛い。(悲劇なのでかわいそうなのですが)

稲葉の妻たる奥方が少年をたぶらかし色欲の相手にしてしまう、という話なのですが気のせいか他の色事より丁寧に描かれている気がしますw

奥方の胸に埋もれている構図などすごく愛らしく描かれています。(少年がね)

 

朝日文左衛門は二十一歳で家督を継ぎ朝日家の当主として認められます。時に元禄七年(1694)

 

楽しかった上巻を終え下巻になり文左衛門が年齢を重ねるごとに人生は辛くなっていきます。

あれほど惚気て結婚した〝けい”も一女をもうけたその後よくある話どおりに険悪になっていきます。

このあたりほんとうに「凡庸な男の人生」というべきなのでしょうか。

その理由もまた文左衛門の酒飲みと女関係からでているのですが常軌を逸したような話ではなくいかにもよくある話なのが文左衛門の凡庸さを引き立てます。

それに反して文左衛門自身は出世し27歳にして「御畳奉行」という役職に任じられます。あんなに遊んでばかりなのに、というべきかやはり遊んでいるからこそ出世できるというべきなのでしょうか。

世の中は質素倹約で減給されている折に文左衛門は1.4倍の増給となり奉行という管理職に就いたことでより豪華な家に引っ越しを決める。

「御畳奉行」ってと思ったけどたしか『忠臣蔵』でも浅野内匠頭も畳替えがどうこう(史実は別として)いう話だったし畳奉行というのは重要なのかもしれません。

 

とにかく下巻に入ってから文左衛門は出世したにもかかわらず女遊びと嫉妬でいたぶられる日々が綴られます。それこそこんな中で赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件が起きるのですが文左衛門はじめ当時はほとんどだれも興味を示さなかったらしい。

確かに文左衛門は男女の心中事件は大好きですが忠義心には興味が微塵もなかったのでしょう。とほほ。『三国志』くらい読んで欲しいね。

 

こうして文左衛門は妻の嫉妬に怯えながら色欲と酒の毎日を過ごします。けいとは離縁するのですが再婚相手の女性もまた同じようなというより輪をかけて気の強い女性であったというのがおかしい。

 

時代は倹約将軍吉宗の世となっていきます。

文左衛門の体は酒の毒で弱りついに臨終をむかえます。その時にも文左衛門は最期の酒を求めます。

文左衛門が終生師事した国学者天野源蔵が文左衛門の日記に「終焉」の二文字を最後の頁に書き加えたのでした。

 

記すこと8863日。冊数にして37冊。

文左衛門の18歳から45歳までが書き綴られた。