ガエル記

散策

新宗教待望論

田舎暮らしで在宅で仕事をしている我が身なので外での出来事を知るにはインターネットによってという日々を送っています。

そんな中で怖ろしくなってしまうのは「もしかしたら今の日本人というのはかなり“酷い精神状態”にあるのではないか」ということです。

一時期はバブル経済の効果か自信満々で「自分たちは頭が良い。アジア圏の中では科学的にも文化的にも最優秀なのは間違いない。才能も努力も並外れている。情緒も人間性も豊かだ」と他の国々を見下しつつご満悦だったのにこの数年ほぼすべての面で他国に追いつかれ逆に置いてけぼりを食らっている。その憤慨もあって今度は他国特にアジア隣国に過剰な闘志を燃やして罵倒することでなんとか鬱憤をはらしているぶざまさに気づいている人はまだしもその忠告に怒り出す。

日本国内では男女差別問題が一向に改善されない。そのうえなんとか問題を解決しよう、男女平等にしていきたいという動きに苛立つのか男女の差別意識が以前より強くなりセクハラ・痴漢・性的暴行・レイプ事件が跡を絶たない。力を無くした男性の性嗜好はよりか弱く見える低年齢へと向かう。

家庭内暴力・学校や会社での「いじめ」と称する明確な暴行。公道や交通機関での思いやりのなさの嘆きが続く。

妊婦や幼い子供を持つ母親に社会は冷たい。収入や生活は保障されず、泣き声やベビーカーの存在まで邪魔だと苛立つ人たちの話を聞けば少子化は当然だと思います。

 

が、そんな荒れ果ててしまった人々の心や精神に怒りの声を上げるだけではなくどう癒し良い状態へ導くか、ということこそ重要なのかもしれません。

そんな人々ー優しさ思いやりがなく他人に対する暴言暴力で自己を正当化する人々には何が必要なのでしょうか。

薬やアルコールなど性的快楽や博打などのストレス解消は一時的なものでしかないと思えます。

 

今必要なのは宗教による強制的な力なのだと思うのです。

とはいえ、既存の宗教に入ってないのは何らかの違和感があるからでしょう。お布施の強要や教義に対しての疑問など。

金儲けをしようとするのではなく本当にすべての人が幸せになれることを願って作られた宗教。

そんな新しい神を信じることで心が穏やかになり落ち着いて生活できるのならそれに勝ることはないように思えます。

 

新興宗教、というとある一定のものを連想し、恐怖や不安を抱くことが多いでしょう。

でもそんなんではなく本気で良い方向へ導いてくれる新しい宗教があればいい、と思うのです。

 

心のどこかで、強くて美しくて信頼できるなにか、を欲している人が多いのではないのでしょうか。