ここ最近「日本ってこんなに酷い国だったのか」と思わせられることが毎日のように続いています。
現在の最も切羽詰まった事件は勿論「コロナウィルス感染で人命が危機にさらされているにもかかわらず日本政府が国民の「五輪中止を!」の声を無視して強行突破しようとしていること」に間違いないでしょう。先の大戦の愚かさを繰り返さないと言い続けながら結局制止の声を聞かず断行する馬鹿さ加減を見ているとやはりただの能無しだったんだ、とがっくりするしかありません。
「LGBT差別・女性差別・人種差別をなくそう」という声にも「差別はあるべき」と言い出す国であり子供の人権を守り児童虐待をなくそうという活動もなかなか進まずいじめ問題も解決できず、選択的夫婦別姓という物凄く簡単な問題すら処理できない。いっぺんにここに書きだそうとしても問題がありすぎてどうしていいかわからないほどです。
何もかもを後回しにしてきたせいで現在問題は山積みになって世界で最も遅れた国の一つになってしまいました。
それはそのまま経済に影響していきます。
たぶんもうすでに日本は地球上で経済的にも精神的にもなにもかもどん底の国になってしまったのではないでしょうか。
「どん底じゃないだろう」「まだまだ」「あの国のほうがもっと酷い」などといっている間にますます悪化していくでしょうし「良くしていこう」という気持ちがないのですからすぐにどん底になるのは必至です。
そんな中でまたもや「ニッポンひどい」の知らせを聞いてしまいました。
コロナワクチン問題もですが今回衝撃(毎日衝撃を受けている)だったのは
日本は医学論文不正大国だ
のことばでした。
それは次のニュースから
『一月万冊』清水・安冨おふたりはこの報道をはじめとして日本人の論文不正が特に医学界で頻繁であることを語られていきます。
自らも教授である安冨氏は日本学会がいかに不正を導きやすい追い詰められた場所であるかを説明されています。
それは常にセクハラ・パワハラ・モラハラとセットであると言われます。
そしてその構造は日本のあらゆる場面に潜んでいる、のではないでしょうか。
学校制度がストレスフルだから児童・生徒に対し性的暴行を加えてしまうのだ、と嘯く事例を私たちは見てきました。
男性たちは権力の下で必死だから女性を差別し暴力を振るわねばどうにもならないのだ、という釈明。
これらは決して解決できないことではないのです。
しかしすべてに目をつぶってやり過ごし、もしくは後回しにし「社会とはそういうものだ」と口ずさむことで納得してきたこと自体がおかしいのです。
それらはすべて今現在の日本社会に噴出しています。
日本人の論文不正とオリンピックを止めきれない心理は同じものなのです。
本当に大切なものはなにか、に目をつぶりその場をなんとかやり過ごすのみに力を注いでしまうのを「良し」とする思考。
差別も虐待もいじめも選択的夫婦別姓すら決められないその「真実を見ずにやり過ごす思考」からくる行動によってたまりにたまった不正が山のように私たちの行く手を阻んでいます。
さきほどまでアマゾンプライムで『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』を観ていました。その感想はまた改めて書きたいのですが思想の違う者たちが真剣に話し合うこの時間は今ではもう考えられない重要な時間です。
三島由紀夫氏のように真摯に受け答えをしてくれる知性を最近は見ることができません。私は三島氏の考えには共感できないもののこの姿勢には感動します。
この頃はまだ日本になんらかの「良さ」があったのかもしれません。
ではなぜその「良さ」を失ってしまったのでしょうか。
残念でなりません。