三島由紀夫と東大全共闘の討論会はこの映画よりかなり前にYouTubeで観ていました。その後、それが映画化と宣伝されたのには驚きました。
ほぼYouTubeの内容に他の方のコメントを入れて編集されたものです。見やすいしわかりやすくなっていますがとても不思議でした。
という謎はもう置いとくとして。
先日も書きましたがこの討論会を今観て私が(私たちが?)「凄いな」と感心するのは右翼と左翼という現在もネットで嚙み合わない議論を戦わせ続けている両者が公の場所で顔を突き合わせて口論し合っていることそのものなのです。
しかも左翼側は自分たちのテリトリーであるキャンパス内の講堂に1000人以上で埋め尽くされ対する三島由紀夫は隠れて控えていた仲間はいたとしても表向きはたった一人の右翼として迎え撃ったのでした。
現在の日本社会では立場は逆転している、と感じるのですが今のネトウヨ氏がこの三島由紀夫の立ち位置で孤軍闘争できる気概はないのでは、と思わされます。
しかも孤軍・三島由紀夫の学生たちへの態度応答姿勢は非常に魅力的で好感をもってしまいます。
私は三島文学が好きではないしその他の彼のパフォーマンスには共感しませんがこの動画・映画で観た三島と学生たちの討論は素晴らしい作品だとも思えます。
その私の思いは左翼学生たちにもあったのではないでしょうか。
事実話し合いがまだ始まる前に司会を務める学生・木村修氏が敵対するはずの三島由紀夫に対しつい「三島先生」と呼んでしまったことでもうすでに学生たちの三島への意識がまったく変わってしまったのではないのか、そうだったにちがいない、と感じさせるのです。
当の三島由紀夫もこれにはつい笑ってしまってます。戦争相手に向かって「先生」と呼んでしまう将軍がいては味方はたまりませんが他の学生たちも怒るわけでもなく笑っているのですから皆同じ気持ちになってしまったのではないでしょうか。
そもそも大作家の三島由紀夫がここに「来てくれた」という感慨すらあったのかもしれません。
東大の学生たち、とはいえ血気盛んな男たち千人を前にして三島由紀夫は堂々としかも丁寧な語り口で弁をふるいます。
学生たちの論はどれも興奮気味で小難しい用語が多くわかりにくいのですが三島氏の弁説は聞き取りやすく理解できます。シンプルで明快なのです。
その点においてもやはり三島氏に軍配が上がってしまうのです。
学生側で一番の個性はやはり赤ちゃんを連れて壇上に上がった芥正彦氏です。
この赤ちゃんは狙いだったのか。事情で仕方なく連れてきた、という裏話でしたがこの赤ちゃんがいることは大切な意味があると思います。
つまり常に暴力と死を意識した美を追求する三島由紀夫の思考に対し生み育てることが生物として当たり前という意識ですね。
この赤ちゃんが本当に愛らしくて騒然とした場所にひるむことなくつぶらな目で三島氏をじっと見つめているのが印象的でした。
父親から離された時には泣き声が聞こえていたのでパパに可愛がられて大好きなのでしょう。他の人もついつい頭をなでたりしてあやしているのが面白かったです。
(赤ちゃんのそばでタバコを吸っているのは時代のなせる業としかいえませんが)
事実、三島由紀夫を論破できたのはこの赤ちゃんだけではないのでしょうか。
それは言葉ではない「生きる意味」です。
結局三島由紀夫は自ら命を絶ってしまいます。
もし彼が自死を望まず決行できず生き永らえたら。
彼への評価は変わってしまったのでしょう。
それでも私は三島由紀夫の美学などわからない人間なのでそうであってほしかった。
彼のファンの考えはそうではないのでしょうが。
生きなければなりません。