ガエル記

散策

大坂なおみ選手への感動

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世界ランキング2位の大坂は30日、ローラン・ギャロスで開催されている全仏オープン1回戦で勝利したが、試合後の記者会見を予告どおり拒否したため1万5000ドルの罰金を科された。翌31日、大坂は大会を棄権すると表明。世界の主要なメディアとの会見の前にはいつも「大きな不安の波」に襲われていたし、2018年の全米オープン以降の「長い間、うつ状態に悩まされてきた」と告白した。「もともと人前で話すのは得意ではなかった」とも言う。

上の記述は以下の記事からの抜粋です。

www.newsweekjapan.jp

 

まずツイッターでフォローしている様々な方からの意見を読みました。私がフォローしている方の考えは皆「ナオミの意見を支持する。彼女を応援する」というもので私ももちろんその意見に賛成でした。

ところがヤフーニュースや日本のテレビでの報道を見るとまったく考えが違ってくるのです。

 

それらの多くは「選手は試合に出て勝利するのが仕事だ。気分で会見をボイコットして結果試合に出られなくなりファンや関係者を失望させるのはわがままにすぎない」さらに直後に自らの鬱病を告白したことにも「今更そんなことを言い出すのはおかしい」というものでした。

 

こうした考え方というのはいかにもこれまでの日本人の考え方を示しています。

一般人に対しても同じですが特にスポーツ選手や芸能人など大きな報酬を得られている有名人に対してはより厳しい批判が下されるように思えます。尚且つそれが女性であればよりいっそう従順であることが求められるのです。

大坂なおみ選手の行動では試合中上手くいかない怒りでラケットを投げつけるときなどに日本人は渋い顔になるのです。そしてこの会見ボイコットからの試合放棄は自分たちの美徳を汚すものでした。

しかし

「本当に大切なものはなんなのでしょうか」

 

立派な選手はどんなに辛くとも歯を食いしばって耐え抜くものであり気分が悪くても具合が悪くてもにっこり微笑んでいる姿を求められます。それが仕事であり応援する人たちを喜ばせる、というわけです。

それをやり遂げた人物は称賛されますがそうでなければ侮蔑の言葉を投げられます。

そうやって自分自身を追い詰め死に追いやられた人もいたのですがその場合は後で

「大変だったね」と言われて忘れられるだけです。

今現在、日本人も世界基準で活躍することを求められています。日本人自身も世界で活躍できる日本人になることを目指しそうである人を応援する、と口では言っていますが実際に活躍している人に対しての感想は相変わらずの日本基準です。

 

今回大坂なおみ選手が世界の中で発言したこと、行動したことの価値観、その凄さを目にして感動している日本人がどれほどいるのでしょうか。

少なくとも私のツイッターフォローの方々はこの件を知った時から絶賛だったのですが先も言った通り他のネット記事、そしてテレビ報道になると途端に違ってきます。

大坂なおみの世界的な考え方、行動が彼らには理解できないのです。

テレビニュースでも彼女への理解が判断できず事実を述べただけでそれを称えるようなコメントは一言もありませんでした。

 

私情を挟むな、余計なことを考えるな、おまえらは仕事(試合)だけを考えていればいいんだ、もちろん勝利が目標だ、そして会見では機嫌よく受け答えをして愛嬌をふりまけ、そうすれば人気が出るが天狗にはなるな、というわけです。

親孝行で故郷や恩師を大切にしろ、恋愛関係は10代は厳禁で20代ならすぐに結婚を意識しなければなりません。

そうしたスポーツ選手として(というか全般ですが)皆が望むステレオタイプであることを基準にされてしまいます。

 

そのなかで大坂なおみ選手は自分の意見を述べました。

個人を尊重してほしい、と。

世界でも最初は戸惑った感がありました。

しかし次第に多くのスポーツ選手が賛同を示しました。

彼女のスポンサーたちが彼女を支持すると表明しました。

そして世界テニス四大大会グランドスラム大坂なおみの意見を受け選手たちのメンタルヘルス問題に取り組むと発表しました。

彼女は世界を動かしたのです。

 

そしてまだ日本はこの状況を呑み込めていません。とほほ。

 

日本女性はこれまで「忍」の一文字に生きることを求められ「美徳」とし事実そうしてきました。

忍耐、忍び耐える、声を出さず我慢しろ、ということです。痛くても辛くてもじっとうつむいて耐え抜き声をかけられたら「大丈夫」と微笑まねばなりません。

ところがなおみさんは世界にとどろく声で「我慢できない!」と発したのです。

そりゃ日本人が渋い顔になるわけです。自分たちが信じていた「美徳」を彼女は破り捨てたのです。

だけどもその「美徳」とやらは本当の「美徳」なのでしょうか。

人々のひとりがじっと耐えて称賛されたら他も皆じっと耐えて称賛を待たねばばなりません。

それは別の誰かにとっては好都合かもしれませんが、耐えてなければならない人々にとっては地獄です。

その別の誰かが自分の利益のため人々に忍耐を強いてきたにすぎないのです。

 

なおみさんはその悪循環を断ち切ったのでした。

 

なのに彼女を応援すべき同胞であるはずの日本人はその事態がわからない。

恥ずかしいことですね。

いやいや、ものすごく自慢していいんですよ。彼女は日本人だ、私たちの代表だと。

いつも「日本凄い」を叫ぶ人々が。不思議です。

 

勿論なおみさんはハイチ系アメリカ人と日本人の両親を持つためにハイチ人アメリカ人日本人という多国籍なアイデンティティを持っておられるわけです。

そうしたことが彼女の個性を際立たせているのは確実です。

彼女の色彩、顔立ち、体格などにもそれは明確にあらわされています。

何も言わないのが個性である日本女性が世界に声を上げた、それは彼女の個性ならではです。

私たちは素晴らしい歴史の局面に立ち会ったのです。

 

なおみさんのおかげでちょっとわくわくしたりもしています。

私は映画ドラママンガ小説などが好きなのでどうしてもそちらへ興味を持ってしまうくせがあります。

これまでそうした分野の海外のメディアでは日本女性は無個性が多かったのではないでしょうか。

感情をださず存在感がなく誰にも興味を示されない、という感じです。

これからはなおみさんをイメージしたジャパニーズガールが造形されたら。

なおみさんはもともとはとてもシャイだったとも言っていました。彼女の表情を見ていると確かにシャイが感じられます。

でもとても強くてでも繊細ではっきりと発言するけど控えめでもある、という複雑なキャラクターになりそうで楽しみです。

 

なおみ、という名前もそのまま使って欲しいですね。とても良い名前です。