ガエル記

散策

これからの日本の生活に必要なのは「弱い人を助ける正義」

消費税10%になる10月が始まりました。

ここまで生きて来て日本という国がどんなに欠点だらけの国なのか骨身にしみてきたように思えます。

以前、まだこの国がマシだと思っていた頃、「弱い国ほど自分の国を褒めたたえ愛国を強調する」という話をなんとなく笑いながら読んでいました。

今まさに自分の国がそんな状況になっています。

親から虐待を受けている子供ほど加害者である親を庇い愛されていることを訴えるとも聞きました。本当に愛されている子供ほど親の悪口を軽く言えてしまうのかもしれません。

私が子供の頃、日本が急成長して豊かな国になったと感じていた頃は「外国の人から見た自国の欠点や短所を反省し改善していかなければならない」という主旨の本やテレビ番組がよくあったものです。

それがいつの間にか「我が国を悪く言う奴は反日だ。我が国は世界で最も優秀で正しい。それを認めない奴は出ていけ」というようになってしまいました。

いったいいつから変わってしまったのでしょうか。

 

経済がしょぼくなると精神もしょぼくなってしまうものなのでしょうか。

かつてこれは世界に出ても引けを取らないと思っていたものも今ではすっかり落ちてしまったように思えます。

例えば「映画界」

映画はお金がかかる。多くの人材を必要とします。

ここ何年も日本映画で優れたものはわずかです。しかもまともな映画作品すらないのです。

アニメ映画に偏っているのも経済が弱いためなのがすぐにわかります。

今は映画よりも演劇のほうに人材が移行しているとも聞きました。制作に莫大な予算が必要となる映画よりも低コストで収入もすぐに入ってくると見込めるからではないでしょうか。

映画にすれば多くの人が見られて大きな収入があるはずですが、日銭を稼ぎたいというのが現状なのかもしれません。

ゲームが流行るのも課金という日銭が容易く入るからでしょう。

 

音楽界などは歌謡曲が全盛だった昔を思うと信じられないほどの低迷です。お笑いは稼げる、なんて少し前は言っていましたが現在はもうそんなのは戯言です。

 

芸術でもあいちトリエンナーレでの「表現の不自由展」を廃止させようとする動きなどを見ていると余裕のない愛国心の足掻きを感じます。

すべてにゆとりも寛容性もないのです。

(「表現の不自由展」は再開する見通しのようで、ほんの少しだけ光明を見た気がしました。愛知県知事の意地を感じました)

 

ツイッターを見ていると毎日ネトウヨとの攻防があり、街中や電車内での人々(日本人)の心の狭さが愚痴られます。

「いや昔から日本人は優しくなんかなかったよ」という証言をされると「そうかもな」とも思えてしまいますが。

 

長期の安倍政権で日本は身も心もすっかり腐りきってしまいました。経済と精神は比例するのかとさえ思えます。

一部の財産家のみが優遇され多くの人々の生活はどんどん辛く苦しいものになっています。

そのためか人々の心も荒んできているようにしか思えません。

 

そんな折、ラグビーワールドカップで日本は強豪アイルランドにまさかの勝利をしてしまいました。

もちろん私もテレビを見ていた時は喜びました。しかし新聞には「日本アイルランドを撃破」の文字が並びぞっとしました。

ラグビー試合で日本チームがアイルランドチームに一試合勝っただけで日本がアイルランドを「撃破」したわけではありません。

なぜ、まるで戦争でのことのような表現をするのか。「いや例えて言っただけだよ」という言い訳など聞きたくはないのです。

このようなふざけた増上慢が精神をますます蝕んでいくことをまったく理解していない。テレビでは「これが日本の底力だ」と叫んでいる男性が映し出され「これは決して奇跡ではない」などと言いだす。

 

岡田斗司夫さんのニコ生放送「ダークナイト」の話の中で「日本人の正義はアメリカ人とは違う。日本人の正義は悪を倒すこと。アメリカ人の正義はその力を人々のために使う事」と言われていてこれまで自分が「なぜ?」と思っていたことと符合して納得しました。

日本でよく年配男性が「正義の味方」になって街中で道路に物をはみ出させている店に苦情を言ったりベビーカーを押す妊婦さんを迫害したりするのはそれを「悪」とみなして成敗しているわけです。それが正義なのですね。

日本人の正義はベビーカーを押す妊婦さんを代わりに押して助けてあげることではなく、それを「人々の邪魔をしている悪人」とみなして妊婦さんを怒鳴りつけ突き飛ばすことこそが「正義」としているわけです。

アメリカの正義は妊婦さんをベビーカーごと抱え上げて助けてあげることなんですけどね。

こうした「自分が気に入らないものを悪とみなして懲らしめる」ことを「正義」としている日本人が自分の正義がまちがっていることに気づかない限りベビーカーと妊婦さんは社会の邪魔をする悪い存在として怒鳴りつけられ突き飛ばされ続けるわけです。

 

もちろん国と政府は自分たちの都合が良いようにその「悪」を中国人にしたり韓国人にしたりして「日本人の正義」を利用しているわけです。

もうそろそろ気づけよ、と思うけどどうしても気づかず「我が正義」を信じるウヨさん、正義の味方は弱い人を助けることなのですよ。

 

「悪人を懲らしめる正義」ではなく「弱い人を助ける正義」

力のある人ほどその責任は大きい、という認識が日本の中で成長しなければ日本は本当に終わってしまうのかもしれないし、終わったほうがいいのかもしれません。