ガエル記

散策

既存の流通システムを破壊しよう

先日「一月万冊」で清水氏と安冨歩教授が映画や本の流通システムについて語る動画がありました。

安冨教授が言われるには「『れいわ一揆』で原監督や自分がどんなに宣伝に駆けずり回っても映画会社からはまったく報酬がない」ということでした。

この言葉を聞いてあなたはどう思うでしょうか。

とりあえず私が感じたのは「やっぱりそういうことか」というものです。その意味は「当然宣伝には会社からそれなりの対価が支払われるべきだけどなんだか日本社会はそういうことがまかり通っていると思っていたよ」ということなのでした。

 

しかし教授の言葉に対しての反論が「自分たちの作品なのだから無報酬で宣伝することになっても当たり前だし嫌ならしなければいいんじゃない」というものがありそうなのは予想できます。というかそうした映画界のシステムを知らない私を含めての一般人にはその程度しか考えられないでしょう。

 

それでもある程度の年齢に来れば今までの経験と記憶からいろいろなことを考えてしまいます。

日本の映画界はある時期は非常に良質な映画作品を生み出していました。またある時期は出版社が本を売るために映画を宣伝として製作するというそれまでと違ったシステムを生み出しました。そのシステムから生まれた作品はとても高品質だったとは言えませんが面白い試みだったとは言えるでしょう。

そして現在の日本映画はマンガやTVドラマ・アニメで一度人気が出たものを映画化する、というシステムでなんとか続けているとしか言いようがありません。今観客動員数を伸ばしている『鬼滅の刃』は結局マンガとテレビアニメで2度人気を確認した上での映画作品です。いわばマンガとTVアニメで宣伝を兼ねていた、という下地があるからこその爆発的人気であるのです。「なぜ『鬼滅の刃』はこんなに人の心をつかんだのか?」という問いかけの答えは「マンガとTVアニメで知らされたから」でもあるのです。もちろんそれだけでないことは当然ですが他の映画作品との比較すればその答えも間違いではないでしょう。

一般の映画の宣伝は限られたものでしかありません。そして原監督が作った『れいわ一揆』に至ってはまったく周知されることがないのです。原監督と映画の主人公であった安冨教授はこの映画を多くの人に観て欲しいために宣伝に駆けずり回るしかないのですがそれに対する報酬がないのは『鬼滅の刃』でマンガやTVアニメが無報酬で作られた、と同じ意味になるのです。そんなわけはないのは誰でもわかる理屈です。

 

そして『鬼滅の刃』は史上に残る経済効果を生みだすのでしょうがその利益からの見返りを原作者であるマンガ家へはほとんど受け取ることはない、というのも日本の流通システムのあたりまえになっています。

 

こうしたことが今の日本映画界の低迷に大きな影響を及ぼしていると考えないわけにはいきません。

 

私自身はこのシステムの中にいるわけでもなく傍観者でしかないのですが、映画を愛好する者としてやはり危機を感じてしまいます。

日本では「良い映画」「面白い映画」の作り手たちはほぼボランティアのような形で映画作りに関わることになるのです。

素晴らしい映画作りに携わっても得られる報酬は僅か。原作・脚本・監督・俳優・アニメーター・出演者などです。

いったい映画が集めた報酬はどこへ行っているのでしょうか。電通?それに付随したなにか?

安冨教授は「日本のレジェンドである原監督があんなに貧乏なのは許せない」と嘆きます。日本という国は才能への対価があまりにも低い。

どうしてこうなったのでしょうか。

 

2000年台に入って日本政府は「クールジャパン」というものを海外へ売り出そうと打ち出しました。

「クールジャパン」とは?

wikiにはこう記されています。

「クールジャパンの具体例としては、 映画音楽漫画アニメドラマなどのポップカルチャーゲームなど言った、日本のサブカルチャーなどのコンテンツを指す場合が多い」

事実多くの日本人が日本製のこれらに多大な愛着を持っています。私もそのひとりです。

ところが日本政府はこれらに見合う報酬をクリエイターたちに支払っているのでしょうか。

先ほどネット検索でこの記事を見つけました。

news.yahoo.co.jp

2013年の記事ですがここでもクリエイターを無報酬で使役する意識があることに疑問視されています。

この「クリエイターを無報酬で仕事をさせる」方式は権力者にとって当たり前の図式になってしまっています。

それでは「日本映画界が低迷、マンガもアニメもつまらなくなった。歌も売れない」などというのはおこがましい、というものです。

 

いったいどうして「クールジャパン」とまで呼ぶことになった文化には見合う対価が支払われないのでしょうか。

なぜ「無報酬で仕事をしてくれ」という言葉が生まれてしまうのでしょうか。

そうした意識は長い日本の歴史の中でねっとりと育ってしまったように思えてなりません。

もしかしたらある時はクリエイター自身がそうした無報酬の仕事をやってしまったのかもしれません。そしてそれが悪い道筋を辿ってしまったようにも考えられます。

 

たとえ自分自身がクリエイターでなくても日本の文化をこのまま放っておいていいのでしょうか。

このままであれば「クールジャパン」は崩壊するでしょう。いやもうすでになくなっている気もしすが。

 

既存のシステムに従っていてはなにもかも失われてしまうのではないかと思ってしまいます。

「一月万冊」で清水氏は出版社を通さない新しい形の本の売り方を始めています。

これは一つの光明と感じています。

映画となると本と違って大きなコンテンツだけに困難ではあるかもしれませんがそれでも既存のシステムを通さない道を開くことができないでしょうか。

 

今のままでは日本のクリエイターたちは死に絶えてしまう、それではいけないのです。