昨日はコンテンツの流通システムが改善されないなら日本サブカルチャーは滅亡してしまうという記事を書きました。
今日はコンテンツの二次創作について自分の考えを書いてみます。
コンテンツといってもこの場合はほぼマンガとアニメの二次創作です。
以前は私もかなりそうした二次創作を読んでいたのですが「あまりにも不毛だ」と感じてきて今は何も読んでいないので少し感覚が違うかもしれません。それでも二次創作は相変わらず続いているようなので自分が感じた疑問をここで書いてみます。
時おりネットにも「二次創作は許されるべきか」というような記事が上がる時があります。
その内容はおそらく「原作者の権利と尊厳を守るべきである」という論調になっていくでしょう。
すると「いやむしろ原作者は二次創作を歓迎していますよ」という証言を挙げての反論がなされてこの話が流れていく、という展開の繰り返しになっている気がします。
しかし私が考えるのはこの二次創作問題で重要なのは原作者の意向ではない、というものなのです。
あえていうなら原作者は「若い芽はつぶしとけ」という邪な考えを持っているだけなのかもしれません。
というのは二次創作者はかなりの割合で優れた才能を持っているのですが二次創作にはまってしまうとオリジナルを生み出す力は確実に失われてしまうからです。
なのでもし原作者で「二次創作は禁止します」という方がおられたらその人こそが本当に優しい心を持っている人ではないかと思っている私です。
つまり私は「日本社会で二次創作を容認していくことは原作者に対しての尊厳を汚すという恐れなどではなくオリジナル創作力を失ってしまう恐れを手伝っている」と考えているのです。
二次創作とその読者が心底楽しんでいるのは私も体験者なのでわかります。その快楽は麻薬に等しいものです。
素晴らしい原作であるほど生み出されてくる二次創作は甘美な快楽となります。二次創作のほとんどは性的なものです。
原作のりりしく美しいキャラが二次創作によって見ることがない秘めた状況を想像して描かれる、二次創作者の力量が高いほど読者は信頼して楽しみさらに二次創作を続けることを褒めたたえてけしかけていきます。
二次創作者に対価がなければ続行はできないでしょうが原作者も目をつぶってくれるという現状が二次創作者を支えている図式になっています。
昨日書いた日本社会におけるコンテンツの流通システムの歪み同様、二次創作に対する寛容さはオリジナル創作力をつぶしていってるのではないかと私は危惧しています。
二次創作は絶対に創作として残るものではないのです。
優秀な絵を描く力があり、素晴らしいセンスを持っているクリエイターたちが二次創作に貴重な能力と時間を捧げている、そしてそれを容認する原作者たちともっと描いてくれと要求する読者たちは二次創作者たちの尊厳を破壊しているように思えてなりません。
今度は二次創作者たちも納得して描いているよ、という反論になるのでしょう。
日本のオリジナル創作力など知ったことか、という考えもあるでしょう。
或いは日本人はいつまでも優れたクリエイターなのだという主張もあるかもしれません。
今『鬼滅の刃』が大人気となり経済を活性化させているのは喜ばしいことではありますが、その内容を観ていると様々なこれまでのマンガの寄せ集めのような二次創作的な要素を感じます。
それでもこの作品は二次創作と言われるものではない、オリジナル作品と呼ばれるのですから問題はないのです。
せめてこのような形で誰もが創作しているのであればと思います。
二次創作を問う時、原作者を慮るよりも二次創作者自身を心配してしまうのです。