前々回に書いた「LGBTは存在しない。性同一性障害だって存在しない。とは?」を
引きずって検索していたら
にたどり着きました。
今回はwikiに頼る記事になってしまいますが自分としてはかなり衝撃(というのは大げさですが)を受けてしまったのでここに記しておきます。
まずは年表です。
1983年(昭和58年)の2項目に
と記されています。
この年私はちょうど二十歳でした。「性教育」とタイトルされていても買える年齢ですし赤塚不二夫はもちろん知ってますしマンガを含む様々な本を一番読んでいた時期であったにも関わらずこの本は知らなかったのか、それとも忘れてしまっているのでしょうか。
もしかしたら手に取っていたとしても「同性愛を肯定するとか当然じゃないの」と軽くみてしまった場合も考えられます。
しかし無論同性愛は「当然」という時代ではなかったしその後現在に至ってもいまだに当然でもなくLGBTという名前だけが生まれただけでむしろ後退しているかに思われる混沌とした中にいます。
マンガというメディアにおいても同性愛の描き方は紆余曲折であったし今も無論その中にあると思います。
マンガの中の「同性愛」はもう何度も語られてきたことですが少女漫画の中で萩尾望都・竹宮惠子・山岸凉子・木原敏江・青池保子などの作家により描かれてきました。しかしそれは無論一部の出来事にあるのは確かです。
そして少年誌で真っ向から本筋のテーマとして描かれたものはあったでしょうか。
私の記憶ではジョージ秋山氏が描かれていたように思うのですが本筋なのかどうか確かめるすべがありません。
『ストップ!! ひばりくん!』をはじめ江口寿史氏はかなり同性愛をイメージさせるマンガを描かれたとは思いますがどう評価されるのかは個々に分かれると思われます。
話がそれてしまったように思えますがマンガ界での同性愛表現というのはそんな風にかなり偏ったものであると思っています。
腐女子的な視線で少年漫画の中にあるそれに思える感覚を楽しむことはおおかったにせよ、です。
しかし私はここで「赤塚不二夫」の名前が出てくるとは考えてもいなかったのでした。
『天才バカボン』『モーレツア太郎』などをアニメで楽しんではいましたが原作漫画は読んでもおらず自分ではもうすでに「昔の漫画家さん」的な感覚でいたのです。
さてwikiに戻ります。
問題の説明はなんと「教育」の項にあります。
抜粋すると
- 同性愛を性非行から除外へ
そうした中、1983年(昭和58年)に出版された赤塚不二夫「ニャロメのおもしろ性教育」(西武タイム)では同性愛が肯定的に取り上げられた。漫画に男性同士のカップルを登場させ、同性愛の歴史やそれが古代ギリシャやアメリカ・インディアンの中では自然な行為だったこと、同性愛者の差別の現状や、性交渉のやり方、米国のゲイ解放運動などを解説した。そして「心理的に人間には、同性愛の可能性が潜んでいるといわれる。」「彼らの行動を無理に邪魔したり、からかったりしないほうがいい。」と説いた[4]。
今読めばさほどの説明でもないようにも思われますが当時の表現としてはかなり先進的だったのではないでしょうか。
男性マンガ家の中で赤塚不二夫氏がこのような本を書かれ出版されていたことに今頃になって驚いたのでした。
そしてさらに今頃になって赤塚不二夫氏のwikiを観てみたのでした。
まったく知らなかったのですが赤塚さんは満州で育った方だったのですね。
そして厳しい父親の教育とともに人間としての在り方を教えられたこと記されています。
本当に今更になってこんな人だったのだ、と呆然とした思いで読みました。
思えば『おそ松さん』(シーズン1に限りますが)があんなにも現在の人間の心をつかんだのはやはり赤塚不二夫の魂が六つ子に宿っていたからではないかと妙な感心をしました。
この『ニャロメのおもしろ性教育』は絶版で古本でも高価で買えそうにないのですがいつか出会えないかと願うばかりです。