ガエル記

散策

『A』森達也

オウム真理教について知ることも考えることも辛いのだけど鑑賞しました。

 

1995・6年ごろが撮影された時期、ですね。

あの恐ろしい事件後首脳部が抜けた教団をまとめている男性・荒木浩氏は純朴そうにしか見えないのが奇妙でもあります。

そして彼らに群がる報道陣や警察の強硬な態度は「悪を懲らしめる正義の味方」からくるものなのだろう。

ちょうど半ばで警察の男性たちが荒木氏とその連れを尋問する場面があります。連行目的だったのが上手くいかず一人の警官が荒木氏の連れを追いかけるようにして引き倒し自らも倒れ「いたた。怪我をした」と言い放ち「警官に対しての暴行だ。公務執行妨害だ」として荒木氏たちを連行する。

経緯を撮影していた森氏たちは相談の上この映像を提出する。観れば明らかに警察側が押し倒したのは明確だからだ。

しかしこの映像がなかったならいくら弁明しても無駄だっただろうことは想像に難くない。

・・・などと書くとおかしいのだろうか。

 

いやどうしてこんなことになってしまったのだろうか、という気持ちがあるのだ。

良い方向へ向かっていくことはできなかったのかと。

 

 

そして今観るからなのか当時でも思ったかわからないけれどとにかく

 

部屋が汚い

 

これも教義なのだろうか。

あまりにも掃除や整頓がなされていないのでそこが観ていて辛い。

いや、そこじゃないだろ、と言われそうですがこの汚さはおぞましいほどです。

一般の宗教関係の場所は第一に掃除整頓がなされていて、頭髪も坊主・短髪が基本なのにこの宗教団体は「清潔さ」という部分においてなぜかものすごくゆるい。

性欲・食欲・睡眠欲に対しては厳しく律しているのに何故か「清潔」に関しての修行はまったくされていないのだ。

他宗教の清潔さと比較するとあえて散らかし汚しているのかと思えるほどだ。

「片付け厳禁」なのだろうか。

真面目に見える信者荒木氏と周囲の人々、男性女性問わずなぜか清潔感がない。

この「清潔感の拒否」はこの宗教団体の特徴なのか。それは一連の事件とつながるのだろうか。

 

映像のなかでも「悪臭に苦しめられた」という話が何度となく出てくる。

不潔・悪臭・だらしなさ、奇妙なキーワードに思える。