ガエル記

散策

『ヘルムート・ニュートンと12人の女たち』

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wowowにて鑑賞。

フェミニズムがまた大きく語られている時に観ると特に面白く興味深いドキュメンタリーなのではないかと思います。

 

ツイッターなどのSNSもあって社会で起きる様々な事柄に様々な人の評価が伝播していきます。

地方の一女性が自分の意見を公に発信するようになりまた周囲だけではない他方の意見を聞き読めるようになったことでフェミニズムを考えていくようになったのです。

 

昨日まで観ていた『少女革命ウテナ』の後でこの映像を見ていると私たち日本人もしくはアジア人はまだこの地点にすら達していないように感じられてがっくりとしてしまいます。

明確にヘルムート氏の活躍を知ってはいないのですがプロフィールを見て60年代から80年代にかけて写真家として活躍した彼が写したのは美しい女性の裸でした。

それはナチス政権下で重用されたレニ・リーフェンシュタールに強く影響されていると言われていたようです。

確かに彼が愛する被写体は長身で金髪の強い意志を感じさせる美しい女性でその力強さはリーフェンシュタールが撮った『オリンピア』を思い起こさせるものです。

ヘルムート氏のモデルとなった女性たちは彼のマチズムを認めながらもその才能を賛美し彼との仕事を誇りとして語っています。

 

しかし映像の中にはテレビ番組でスーザン・ソンタグから「結局あなたの作品は女性蔑視にしかすぎない」と強い批判を浴びていたのはドキュメンタリーとして必要であったと思えます。ソンタグは「彼は〝良い人”なのはわかりますが私は彼の作品を批判しているのです。彼自身とその作品は別のものです」と話しているのも重要なポイントだと思いました。

 

登場する被写体だった女性たちの証言がとても面白かったです。

ヘルムート・ニュートンは時代に恵まれていたのだ、というのはとても共感できます。

西洋社会でヌードが解禁になりしかもマチズムが強く影響していた時代に彼の感性はぴたりと合っていたのでしょう。

日本でいえば一時代高い評価を受けていたアラーキー荒木経惟が突然その評価を落としてしまったのは彼の変化ではなく時代が変化してしまったからなのでしょう。

 

彼が認められていた時代、女性たちはアラーキーに裸体を写されることを自由への開化として評価していました。その時は対価も問題にはされなかったのがそのカリスマ性を失った途端、彼は単なるレイシストで吝嗇家なのだと評された経緯がありました。

その急降下には驚きましたがそういうことなのです。

 

コンテンツは時代によって評価されていきます。

それ自体の価値、というものはその時点ではわかり得ないのでしょう。時代が移ってもそのまたその時代に価値観があるのですし。

 

現在日本で好まれている様々なコンテンツに辟易していても時代がそれを望んでいるのだからどうしようもない。

ソンタグのように発言していかねばならないのでしょうね。

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