ガエル記

散策

『ソロモンの偽証』wowow連続ドラマ 8話完結まで鑑賞

途中体調崩して時間がかかりましたが鑑賞終了しました。

日本版映画が原作の重要な持ち味を損なってしまったことにがっかりしてしまいwowowドラマも似たようなものだろうと決めつけてしまったのは間違いでした。

最後まで鑑賞しこのドラマは秀作だと思いました。重ね重ね、コメントをくださったひろじさんに感謝いたします。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

さすがに今回映画版を観返してはいないので記憶との対比ですが大きな疑問のひとつだった「柏木君と親しくしていた美術教師との対話」がwドラマ版では映像になっていたのはなんといっても評価を高くしました。原作では冴えない中年男性だったように記憶していたのですが女性教師になっていたのは悪くなかったと感じます。

 

そして最後まで観て「やはりこれは『トーマの心臓』だったのでは」と思えています。宮部みゆき氏が『トーマの心臓』を読んでいたかどうかはわかりませんが1960年生まれであればその可能性は高い。萩尾望都著『トーマの心臓』はドイツギムナジウムで生活する14歳前後の少年たちの愛と死を考える優れた作品です。

冒頭で少年が自殺するという構成とその後に少年たちが自分たちの愛と死について深く考えていく、という内容はほぼ『ソロモンの偽証』と同じです。

設定が中学生というのは少し無理がある気がしたのですが『トーマの心臓』がその時期なのでそのまま設定したようにさえ思えます。

とはいえミステリー派の宮部みゆき氏としては『トーマの心臓』に不満があったのかもしれません。

「なぜ皆は〝トーマが何故どうして死んだのか?”誰かに殺されたとは考えないのか?」と思考したのでは、と。

もっと個々の登場人物の人生や考えを掘り下げてみたい、そうして生まれたのが『ソロモンの偽証』なのではないかと。そうして書かれた結果あの分厚い分量になっていったのではないでしょうか。

しかし映画版になってしまうとそうした思いは当然ですがすっかり薄れてしまいました。

柏木君はなんとなく流行りのサイコパス少年になってしまったのです。それは最も大きな間違いです。

柏木君の揺れ動く心を描くのには美術教師との関係を描くのは重要だったのに映画版はそれを蔑ろにしてしまった。それは作品の根幹を排除したのと同じでした。

 

本作wドラマ版は「個々の人生と心理を掘り下げる」をきっちりやり遂げていました。思春期の嵐に苛まれる柏木君とそれに翻弄され「親友を見捨て彼は自殺した、それは彼を殺したと等しい」という神原の良心の呵責を生み出してしまう。しかしそれでも神原君は生きるために救いを求めたのです。

「生きるために救いを求める」

この思いは重要なものですが日本人は何故かこの重要な感覚をむしろ軽蔑しているようなところがあります。

「救いを求めきれなかった柏木君」

「救いを求めた神原君」

死と生はそこで分かれました。

 

今大きな事件であり問題となっている安倍元総理暗殺を行った山上徹也容疑者を重ねてしまいます。

暗殺はもし死刑にならなくてもほぼ人生の死を意味すると言ってもいいのかもしれません。彼が誰かに何かに生きるための救いを求めることができていれば、と思わずにはいられません。

 

このドラマの最期にジャーナリストがTVで発言します。

「大事なのは子どもたちがただ生きてそこにいてくれること。そういう社会を作ること」と。

今までどれほどこの言葉は発せられたでしょうか。

しかし実際にこどもたちが「ただ生きてそこにいる」ことができる社会にはなっていない、というよりますます悪くなっていっているかのようにすら思えてなりません。

山上容疑者はもう40歳を越えていて「子ども」とは言い難いでしょうが少なくとも母親が宗教にのめりこみ財産をつぎ込み始めた時期はこのドラマと同じ高校生、こども時代です。

そこで「ただ生きてそこにいる」社会は彼にあったのか。

結局彼はただ生きていくことができず暗殺を選択してしまった。

「お金が尽きて生きていけなくなった」というのが理由なら「ただ生きていける社会」を作っていれば彼はそうした選択をしなかったのかもれません。

 

この小説が2012年に書かれ、2021年10月にwowowドラマ化され放送されて半年以上の時間が流れても社会はまったく変わっていなかった、ということですね。

この警鐘は虚しく鳴らされただけでした。

 

とはいえwowowドラマでここまで質の高い作品ができるのだと知り安堵しています。映画版であまりにも失望していたのが救われました。関わったスタッフ特に脚本に期待してしまいます。

しかしこれがそのまま映画作品としては評価され難い気もします。

映画ではその時間内でのクオリティが必要となります。

でももしかしたら映画版は映画版としての力量もまた期待できるのかもしれません。

脚本、篠崎絵里子氏、ちょっと注目してみます。