ガエル記

散策

『ソロモンの偽証』wowow連続ドラマ 4話まで

第4話まで鑑賞。

 

日本版映画にがっくりしていたのでwowow製作を知ってもまったく観る気がなかったのですが拙ブログを読んでコメントをくださったひろじさんに背中を押されて試し見のつもりだったのですが想像以上の出来栄えだったので続けて観ています。ひろじさん、ありがとうございます。

 

まだ途中ですがいろいろと感じ入ることあって終わるまで待てず少し書いてみます。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

4話までの雑感ですが、まず脚本が映画版とは異なった作りになっています。

映画は前編121分後編146分合計267分なのでざっとドラマの5話と半分くらいです。wドラマ版は8話完結になっているので映画は半分と少しくらいの時間枠で作られていますがむしろ時間的余裕のあるドラマのほうがかなり話運びが早い展開になっていると感じます。

 

まず冒頭部分から顕著ではないでしょうか。確か映画では主人公・藤野が大人になってからの回想シーンから始まり藤野家が和気あいあいとした家庭である情景そして男友達と藤野が登校してふたりで柏木君の遺体を見つける、というゆったりとした流れだった気がします。これは原作がそうだったから、の理由でしょう(たぶん)

しかしwドラマ版はクリスマスイブ雪の夜にひとり地面に寝転がり起き上がって歩き出す少年(柏木君だったことが後でわかる)の姿が映し出されます。

少年は暗闇から降りしきる雪を見上げるのですがそれが何らかの意味があるのかは提示されません。

そこで場面は転換し主人公・藤野が母親から起こされ学校に行くよう急かされます。一人で登校した藤野は遅刻したものの敗れたフェンスから入り込むのです。

一見優等生に見える彼女が実はそうした実行力があるのが解ります。

そして雪に埋もれた柏木君の遺体を見つけるのです。

 

つまり映画版は(原作通り)非常に説明的に始まるのに比べwドラマ版は謎めいたまま早く進んでいくのです。

これは映画版がマンガ的、というより「昔のマンガ」的な作りになっているのにwドラマ版は「新しいマンガ」のよくわからない感が使われていると思われます。

なのでwドラマ版で初めて観た人は状況や人物の把握が難しかったのでは、とさえ思えるのです。

私は映画、原作、韓国ドラマ、という流れで進んできたので把握はできたのですがそれでも少しとっつきにくい感じがしてしまったのです。しかしこの昔のマンガ的なキャラ説明がないのが今風とも思えます。

映画版は2015年公開なのでそれほど大昔ではないのですがそれでもこの7年間そして脚本家と演出家の違いでここまで異なってくるのかと思えます。

一般に映画版が本格的でありドラマ版は軽んじられるものですがこの『ソロモンの偽証』映画版とwドラマ版に関しては映画版のほうが子供っぽいように思えます。

 

そして映画版で私がとても嫌悪感があり疑問にも思えたのが大出たちによる樹里たちへの性的加害です。

映画ではこの場面がやや過剰なほど扱われていました。それは樹里がそれ以降大出に憎しみを持つための必要な演出という監督の思考だったのでしょうが私には露悪的としか思えなかったのです。

その部分がwドラマ版ではかなり簡略されていて実をいうとその部分で感心した、という本音でもあります。

見れば映画版は監督も脚本も製作も皆男性ですがwドラマ版の脚本・製作には女性名がありやはりそうした違いはあるのでは、と思わされます。

 

また映画版であまりにも定番悪役に描写されていた校長がwドラマ版では微妙に複雑なキャラ造形になっていてこれはどちらも原作とは違うと思うのですが映画版校長の滑稽さには鼻白むものがあったのでwドラマ版には納得ができました。

 

ところで原作と映画版で中学生だったのが高校生に変更されたことに疑問と不満を持つレビューも見かけましたがこれもwドラマ版に私は納得しています。

韓国版ドラマが高校生に設定されていたのを見て「この物語設定は小説上では成立するけど実際に演じるのは高校生にした方がいいのでは」とすでに思っていたからです。

映画版を見ていても中学生には思えなかった気もします。

小説やマンガでは表現できても実際の俳優が演じるのは困難なものはあります。

無理に中学生で通すのではなく高校生にしたのは妥当な判断だと思えます。

 

4話最後大出の告白で物語が大きく転換します。

さて私がもうひとつ大きな問題点にしているのは柏木君の内面描写です。

映画版ではここが疎かになっていたことが最大の不満でありそれが描かなければ作品としての意味は全部ないと等しいと思い憤慨したのでした。

wドラマ版ではそこがどう描かれていくのか、恐ろしいものを観るような期待と不安があります。