ガエル記

散策

『千年女優』今敏

今敏監督作品はとことん肌が合わないのだな、と本作で確信しました。

日本ではあまり大人気の方ではないので改めて声を大きくする必要もないのですが氏に関しては私も同意せざるを得ません。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

早逝された方なのでジェンダー観アップデートはもう望めないのは仕方ないとしても本作は2000年代製作です。それでこのジェンダー感覚はあまりにもお粗末であると思えます。それは本作後に製作された『東京ゴッドファーザーズ』でも感じたことであのこてこての「オカマ」描写はさすがに時代錯誤すぎて冒頭から先を観ないまま終わっています。

本作も時代設定が戦前戦中戦後という「昔」であるからとはいえあまりにも女性描写がこてこてでやはり何度も中断したくなってしまいました。いや男性もこてこてなのですが。

アニメーション技術は確かに唸りますが結局観る者は技術ではなくストーリーやキャラクター造形に浸りたいだけなのです。主人公だけでなくどの登場人物にあまりにも魅力を感じられないのはどうしようもない気がします。

そして一番の問題は題材と素材とストーリーです。

ヒロインは『PERFECT BLUE』に続き今回も女優です。女優、という設定だけで興醒めしてしまうのでそれを超える何かが欲しいのですが千代子にはそれが感じられませんでした。

千代子に嫉妬する年上女優、というのもいかにも男性作家が考えそうな安易さです。それも『PERFECT BLUE』においても同じような関係性が用いられていました。

よく「海外では評価が高いが日本ではなぜか低評価」であることに疑問を持ったりしますが本作及び今敏監督に関しては当然のことで逆に何故海外で高評価されているのかがわかりません。もちろん技術だけはそれに十分価すると思います。しかし繰り返しになりますが映像作品というものを観る者は技術よりも内容に感動しているだけなのです。

海外では「日本の作品だから」というバイアスがかかっている(日本人作品だから技術は高いが価値観は遅れている)のではないかと思えてなりません。

 

さて本作の内容について。

PERFECT BLUE』に続き非常にカラクリ心に溢れた作品です。その部分は決して嫌いではありません。私はすぐに萩尾望都の短編『ヴィオリータ』(1975年作)を思い出しパクリではないかとすら思ったのですが『ヴィオリータ』じたいがどうやら『ジェニーの肖像』(未読です)の影響を受けているとのことで今監督もそちらの影響がるのかもしれません。

とはいえ『ヴィオリータ』『ジェニーの肖像』においては男性から見て少女が観るたびに成長していくファンタジーとなっているのですが本作ではヒロインが見た世界なのでそのままではないと言えます。

と書きたいところですがこの物語、千代子の見た世界、ではなく実際は立花源也が恋する眼差しで見つめる千代子が見る幻想世界、という二重構造になっていてそこもカラクリの一つです。

千代子が薄っぺらく魅力に乏しく見えてしまうのはこのアニメの主人公が実は千代子ではなく立花源也という映画と千代子に恋い焦がれたマスコミ関係者だから、というカラクリなのです。

私たちが観ているのは千代子自身ではなく立花という中年男の幻想である千年女優千代子なのです。立花の恋する千代子はあくまでも清純で七つの仮面をかぶる女優としての千代子としてのみ描かれています。それは結局今監督がそれ以上深く彼女の内部に入ることはできなかったからなのでしょう。

本作は千代子がストーカーのように「鍵の男」に恋し一生をかけて追い求めていく物語と見えて実際は立花のストーカー行為が描かれているのです。

そして結局千代子を殺してしまったのは鍵を持ってきた立花ではないですか。殺しておいて「すみません」はないと思います。

彼が鍵を持ってこなければ千代子はここで死なずにすみました。その部分を描かないのは卑怯に思えます。

何故ならもちろん今監督は立花だからです。恋に恋する女性をストーカーする男に共感ししかも彼女の「鍵」は彼自身がつかんでいる。その鍵で千代子は立花の恋する彼女のままで死にました。

しかも巧妙に彼は千代子に立花への許しの言葉を言わせています。

そしてとどめのラストのセリフ「だってあの人を追いかけている私が好きなの」は立花=今監督が自分が死なせてしまった千代子に対する言い訳としか思えません。

ひとりの女性に意味なく一生かけて恋させ追いかけさせ最後に「そういう自分が好きだったから気にしなくていいのよ」と言わせる、あまりにも酷い女性蔑視としか思えませんが今監督自身は果たしてそれに気づいていたのでしょうか。

海外で評価している方々はそこに気づいているのでしょうか。気づきながらのあえての評価なのでしょうか。

 

結局千代子があきらめたのは「年老いて醜くなった私をあの人に見て欲しくなかった」とする今敏監督の感覚は千年くらい古いと思います。

 

日本で今敏監督が低評価であるのは当然のことです。

それだけは評価できます。