ガエル記

散策

『summer of 85』フランソワ・オゾン

久しぶりにストレートな同性愛作品を観ました。途中投げ出してしまうかな、という予想は外れて案外すらっと観てしまえたのはやはりオゾン監督の手腕なのでしょうか。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

あまりにも思いきり『太陽がいっぱい』&『リプリー』なのはおかしかったです。これもあえてのわざとなのでしょうか。

余裕たっぷりの色男とハンサムなのにもかかわらず終始びくびくしている主人公の間に綺麗な女性が入り込んでくるという構図はそのものですね。

いわば全員美男美女でありひと夏の経験とヨットでの冒険なのです。

なのにまったく違うと思わせるのは『太陽がいっぱい』&『リプリー』が大掛かりな犯罪が基盤になっていて大人の風情があるのに本作はあまりにもちゃちなお子様向け犯罪というか悪戯程度で全体にライトノベル調で描写されてしまうからなのでしょう。

 

冒頭はかなり思いつめた感覚があり恐ろしい異常な世界が待ち受けているのかと思わせますが結果は「墓の上のダンスは許しがたい人権無視の犯罪行為」という「え?」的なオチです。

しかし年を取った私としては本作がくだらない作品だという気はありません。

現実はそういうものでもあるからです。

自己の人生において『リプリー』のような幾重にもなった謎である犯罪もまた現実にあるでしょうが個人的思い出はこのような不可思議な奇妙な記憶であることが多いのではないでしょうか。

タイトルからして『summer of 85』です。

オゾン監督はわたしより4歳年下というくらいのいわば同世代で85年というのは遠い記憶です。もちろん本作はオゾン監督の自叙伝ではないのですがこのタイトルには若かりし遠き思い出という意味合いがこめられているはずです。

主人公少年アレクシは自分をアレックスと呼び運命的に出会った少年を「理想の友人」と呼んで恋に落ちます。

ハイティーンの頃恋をするというのがどういうことなのかどんなに狂おしいものなのか、は多くの人間が体験してきたことです。

アレックスは焦がれるように「理想の友人」のすべてを求め、その彼はあまりにも早く燃え尽きるように「きみに飽きた」と告げます。

ダヴィッドが目移りしたのはイギリス人の若い女性。ダヴィッドはアレックスに見せつけるように彼女への興味を示すのでした。

 

リプリー』でのディッキーも思わせぶりに見えました。いや多くの恋物語において恋の相手は謎なのです。恋する者にとっては相手は謎めいて意地悪く見えてしまうのです。

本作でふたりの少年の間に存在するケイトはアレックスに言います。

「あなたが恋したのは彼ではなくあなたが作った幻影なのよ」

しかし誰もが幻影に恋するものなはずです。

そしてもう少し大人であれば、ともいえるのですが10代の少年たちはあまりにも直情的に行動し爆発してしまうのです。

 

そして・・・と映画は描写します。

ダヴィッドは爆走し死んでしまいます。

犯罪を問われたアレックスは自暴自棄になりそのままであれば有罪となったかもしれません。

しかし周囲の人々の善意に答えたことがアレックスの人生をつなげます。もちろんそこで有罪となったからといって人生が終わるわけではないけれどやはり前科がつくのは厳しいはずです。

ここで挫けず師の導きで小説を書いて訴えたことがアレックスを救いました。

彼の罪は情状酌量され軽い罰で済んだのです。

そしてダヴィッドは記憶となったのです。

 

死に向かっていったダヴィッドと死を乗り越えたアレックス。

甘い恋物語のようでいて辛辣な作品だと思いました。

生き延びよ。