ガエル記

散策

『フットルース』と『クローブヒッチ・キラー』

先日テレビ放送されたので観てみました。

が、この物凄い違和感はなんだろうと思いちょっと書いてみます。

 

物凄い違和感と書きましたが本作が悪いわけじゃないのです。

1980年代ハーバート・ロス監督作品のいわばミュージカル的映画で私も楽しく鑑賞した記憶があります。

敬虔なキリスト教徒が占める堅苦しいアメリカ田舎町をシカゴから来た主人公がダンスでかき回していく、といった内容です。

しかも主人公が恋してしまう女子は牧師館の娘でいわば正義のルールに凝り固まった最大の敵である父親=大人を少年である主人公がダンスでやっつける爽快な作品というわけです。父親=大人は若者たちの道徳の乱れを非難しますが娘を含む若者たちはそうしたお堅い大人たちに反発を覚えるのです。正義規範の大人対自由の子どもという対立が描かれているのです。

リメイク物が盛んな昨今ですがこの映画はリメイクできないと思います。もししてしまえば先に書いた「物凄い違和感」が原因で受け入れられないに違いありません。

つまり「物凄い違和感」とは「現代ではありえない価値観をあまりにも大声で歌い上げてしまえることへの違和感」なのでした。

リメイクするには現在でも受け入れられる価値観でなければならないでしょう。今観てもこの映画を知らない若い人が共感できるような。しかし年を取った私が観てもあまりにもの隔世感に打ちのめされてしまいました。

もしどうしてもしたいのならば踊る主人公のほうが60歳で諫める側が10代の若者にしなければなりません。

しかし80年代は本当に「正義規範の大人対自由の子ども」だったのでしょうか。

ほんの数十年の間に価値観は逆転してしまったのかと私は考えてしまいます。

今は「やりたい放題の無規範の大人とがんじがらめの子どもたち」というイメージだからです。

 

ここで思い出されてしまったのが『クローブヒッチ・キラー』です。

wowowで鑑賞した本作は奇妙に『フットルース』と似通った内容です。

アメリカの田舎町。敬虔なキリスト教徒が占めている。厳格な父親に縛られる子ども。こちらでは主人公の少年の父親が厳格でボーイスカウトの団長をしていて主人公自身が息苦しさを感じています。

ところが厳格と思えた父親が実は恐ろしい殺人鬼なのではという疑惑が浮かび上がってくるのです。

 

こちらはもう明確に「現在の大人と子供の関係を描いた映画」だと思えます。

子どもたちは自由奔放で身勝手な大人たちに振り回されていきます。

子どもたちは頭を抱え「なぜ普通の良い大人でいてくれないんだ?」と呻くしかありません。なぜなら結局権力は大人の側にあるからです。

 

さらに連想されてしまうのは現在日本で起きている「統一教会」問題です。

親が入信したために過大な寄付金をして貧困に苦しむ子どもたち、二世として生まれたために自らも入信させられてしまう子供たち。

他の犯罪を鑑みても横暴なのは大人たちで苦しむのは子どもたちではないですか。

 

あまりにものほほんと「大人って堅苦しいよな。若者に自由を」と叫んで踊っている『フットルース』は今観ればどこの異世界か、世界線かとしか言えません。

価値観の逆転というのか、なんなのか。

「今の大人って自由奔放すぎる。若者のようにまじめになれ」というべきか。

いやそんな甘い言葉じゃなく本気で「大人たちは若者を苦しめている」と見えて仕方ありません。

 

フットルース』の世界が嘘だったわけじゃなくその頃はそれで子どもたちを苦しめ今は『クローブヒッチ・キラー』のように大人の悪行が子どもたちを苦しめている。

結局いつも大人が子どもを苦しめているってことでしょうか。