ガエル記

散策

『機動戦士ガンダム 水星の魔女』 #2

「大人と子どもの対立」

ガンダムシリーズで常に語られてきたテーマですね。

そもそもは大戦を起こした大人たちとそれに巻き込まれた子どもたちの苦しみを描かずにはいられなかったことから始まったのでしょう。

第二次世界大戦、大人たちは様々な思惑で戦争を始めたわけですがそれによって子どもたちはわけもわからず悲惨な運命を追わせられていきました。

しかし問題はそこだけで終わるわけでないことは誰もが知っています。

現在沖縄で辺野古基地問題が騒がれています。

しかしこれだって先の「大人たちが勝手に決めた問題」を子どもたちが言い争っているのです。

ミオリネは傲慢な父親が「勝手に決めたルール」に激怒します。

父親が決めたルールにミオリネは乗っ取って勝利を勝ち取ろうとしていますがこの健気さに胸が痛みます。

沖縄問題にはひろゆき氏がとんでもない角度からざっくりと切り込んできました。

良識ある人々はこの行動に怒り心頭ですが果たしてひろゆき氏の行動は間違っているのでしょうか。

身勝手な大人たちが決めたルールを破壊してはいけないのでしょうか。

良識ある人々は「米軍基地=日本政府」対「沖縄の人々」という図式で考えていますが別の角度で見れば「大人たちが決めたルール」対「それに踊らされる子どもたち」とは言えないのでしょうか。

こちらでは「大人たちが決めたルール」の中に「米軍基地=日本政府=沖縄の大人たち」が入り「それに踊らされる子どもたち」の中にひろゆき氏を含む「日本(もちろん沖縄も)の子どもたち」が入ります。

良識者たちは「ひろゆきというやつの頭脳は子どもか!」と怒っていますがまさしく彼の頭脳は子どもなのでしょう。そうでなければ気づけないのですから。

歴史には重みがあります。

様々な記憶がありそれらを否定することは困難です。

しかしただそれだけを守っていては変化することができなくなってしまう。ある時を機に新たな道を見つけなければならないかもしれないのです。

良識者を含む大人たちは「自分たちは絶対に間違っていない」とミオリネの父親のように絶対的な確信をもっています。自分は良い判断ができていると疑わずミオリネを自分の思うがままに操っていこうとしています。良識者さんたちはこのアニメを観ればこの父親に怒るでしょうが果たしてご自分はどうなのかと問うてほしいのです。

 

果たしてミオリネの父そしてグエルの父は変化できるのでしょうか。

私はそこが描かれるのか気になってしまいます。

 

ところでプロスぺラはスレッタママでしょうか。

 

前回この作品における「魔女」という呼び名は『DUNE』の「べネ・ゲセリット」を彷彿とさせます。と書きましたが企業名が「ベネリットグループ」でした。やはり?