ガエル記

散策

『ジョゼと虎と魚たち』田辺聖子

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突然この小説を読むことになってしまいました。短編集の中の一遍で驚くほどに短い小さな作品なのです。

事の発端はネットでこの小説を原作としたアニメ映画についての批評を読んだことでした。

それは自身も障害者であると記されている方がアニメ映画を観てこの原作小説や以前製作された日本製作実写映画とも比較しながら書かれた批評文でした。

記憶でしか書けないのですが

 

「原作では描かれていた障害者が受けていた性的被害が削除されてしまい残念だった」

 

という気持ちが綴られていました。障害者の特に女性は様々な性的被害を受けてしまう、という報道はたびたび聞きますがそれでも認知されることは少ないようです。

田辺聖子氏は1984年に障害のある女性がそうした被害を受けている小説を書いたのにもかかわらず2020年製作のアニメ作品からはその被害が削除されてしまったわけです。

 

それでも批評者は障害者の映画が作られるのは貴重なことなのでこれを機会にもっと増えて欲しいという願いも記されていたのでした。

その文章を読んだ私は率直に「ひどいものだ。今の日本のアニメは」と思い監督の考えを検索してみると見つけたサイトに書かれていたのは

 

「別に車椅子でなくて別の障害でもよかった」

 

という旨の記述だったのです。

この言葉、ますます障害者を軽んじているかのようにさえ思えてしまうものでもありますがこの言葉を読んで私はまだ見てもいない映画のことを考えてしまったのでした。

 

さらにこのアニメ作品に登場する主人公の相手役の男性はむかつくほどのダメ男であるらしいのです。はて。原作小説に登場する恒夫は超エリートではないけれど心優しい大学生です。いつの間にか作品は

障害者としての苦悩が描かれていない車椅子の女とダメダメ男の物語

になってしまったのです。

それは単純に「社会に適合できない女と男の物語」として描かれたのではないか、と私には思えたのでした。

だからこそ監督にとっては「別の障害であってもよかった」のです。

 

突然私は物凄くこの作品に興味を感じとりあえずすぐに手に入った小説から読むことにしました。

確かに田辺聖子著『ジョゼと虎と魚たち』は素晴らしい短編小説でした。

ほんの短い文章の中に長いドラマを感じることができるのです。

田辺氏の大阪弁が心地よく響きます。

市松人形のように美しく愛らしい小柄なジョゼは誇り高く気が強く人が良い恒夫をこき使います。

恒夫のやさしさは現在では考えられないほどにも思えます。

そんな恒夫に頼んでジョゼは動物園で虎を見てその恐ろしさに震えます。

そして水族館に行って魚たちを観るのです。

魚たちを見たジョゼは夜更けに自分たちふたりを魚のようだと思うのです。

自分たちは「死んだんだな」と思うのです。

完全な幸福は死んだのと同じ、と思うジョゼ。

恒夫と暮らしながらいつか恒夫がいなくなってしまうことを考えているのです。

そんな結末が言いようもない幸福であるのが不思議な作品でした。

 

さて、続けて日本製作実写映画とアニメを観る予定です。

現在韓国映画もあるのですがそれを観られるのは少し先になりそうです。

実際映画ふたつを観てどのように思うのか、とても楽しみです。

1984年に田辺聖子が書いたすばらしい小説が2003年と2020年にどう変化していったのか。

観ずして私は「障害者を描いた作品ではないのでは」と思ったわけですがどう感じさせてくれるのか期待されます。