ガエル記

散策

『タイタニック』ジェームズ・キャメロン その2 キューブリックの『シャイニング』とつながっている?

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今朝の続きです。

 

私はちらっと何回か観たかもしれませんが20数年ぶりに『タイタニック』をちゃんと再鑑賞して面白さをやっと理解できました。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 (キューブリック『シャイニング』のネタバレにもなります)

 

 

ケイト・ウィンスレット演じるローズは映画が始まった時は死んでいるのも同然でした。彼女は古き良き時代と呼ばれてはいるけど女性が男性に従属しなければならない風潮をそのまま受け入れるしかなく愛情のない財産目当ての結婚をする運命でした。

その目の前に現れたジャックは彼女にとって生きる希望を与えてくれ人生を示唆してくれる天使だったのです。

レオナルド・ディカプリオはその天使をすばらしい若さと美貌で演じました。

しかし天使は天使として彼女の前から去らなければなりません。彼は死ぬことで彼女の希望として生きたのです。

タイタニックの自己から生還したローズはジャックの姓ドーソンを名乗りそして彼と約束した通り幸せな結婚をし、子供が生まれそして暖かなベッドで最期の時を迎えたのです。

この映画の謎の一つに「なぜローズは最後に青いダイヤの首飾りを海へ投げ込んだのでしょうか」というのがあるのではないでしょうか。

 

私はあの首飾りが鍵となってローズの記憶を次々と開いていったように思えます。

かつてジャックが彼女に言った「君は馬にまたがって乗る女性だ」と言ったそのままに乗馬するローズの姿、またはさらに勇敢な飛行機乗りになった彼女、そして記憶はさらに昔へとさかのぼりふたりが出会ったタイタニック号の内部へと誘う。

ローズの姿は昔の彼女となりドレスをまといドアボーイに案内されジャックが「待つ」と書いて渡した階段の上の時計の場所へと向かう。ふたりを見守る大勢の中で二人は抱き合いキスをし皆は拍手をして祝福する。

 

感動の場面のはずなのに私は物凄い恐怖に襲われてしまったのです。

それはその場面を見て私は突然キューブリック監督作『シャイニング』の世界に引きずりこまれてしまったからなのでした。

断りを入れておくとそれはスティーブン・キングの『シャイニング』ではなくあくまでもスタンリー・キューブリックの『シャイニング』です。

 

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一・二枚目は『タイタニック』のラスト、三枚目のモノクロ写真は『シャイニング』のラストシーンです。

両方とも1900年代初頭のアメリカ上流階級と『タイタニック』では庶民の様子も伺えますが一般に「古き良き時代」と言われます。フランス風なら「ベル・エポック」とも。しかしそれは結局上流階級に存在するからこその「良き時代」なのであるにすぎないでしょう。

事実『タイタニック』でジェームズ・キャメロン監督はその「古き良き時代」をタイタニックそのもので表現しました。

船の上層部にある豪華な客室・パーティ会場には上流階級が優雅に君臨し下層部に行くほど貧しい階級となりボイラー室では絶え間なく石炭をくべる労働者が汗を流し続けています。

しかしローズの夢の世界では貧民層の人々も上流階級の人々も同じ場所で彼女とジャックの再会を祝福するのです。

青いダイヤが導いたタイタニックの船内は現実ではないあの世であり時間の止まったゴーストの世界なのですから。ローズとジャックはここでやっと結ばれたのです。

タイタニック』でキャメロンが描いたゴーストの世界がロマンチックであるのと比較して『シャイニング』のそれは恐ろしいのはなぜでしょうか。

そしてそれなのに『タイタニック』と『シャイニング』は非常に似ているのです。

 

些細なことから始めれば

『TITANIC』

『SHINING』

と字数が同じです。「I」が二つずつと「N」が一つずつ入っています。

 

主人公の名前がどちらも「ジャック」です。しかし一人は天使で一人は悪魔です。

タイタニック』のタイタニック号と『シャイニング』のオーバールックホテルは建造された時期がほぼ同じ1909年ごろになります。

なので完成した後の上客たちの服装がほぼ同じなのです。

 

両方とも現代の男性監督による「古き良き時代」と呼ばれる時代への批判になっています。

タイタニック』では貧困層を押しつぶし犠牲にしようとする(救助にも順番がある)上流階級の醜さ。

『シャイニング』ではネイティブアメリカンの土地を奪って自分らの休養ホテルを建てた白人(上流階級)の残酷さ。

 

そしてそれらはさらに同じ階級であっても女性を支配下において意のままにしようという男性たちの意識に繋がっていきます。

タイタニック』では婚約者キャルがその象徴であり、『シャイニング』ではジャックと亡霊のひとりである執事風の男グレイディによって「女には躾が必要」と語られていますが同じ言葉を『タイタニック』のキャルも言うのです。

 

その女性である『タイタニック』ローズ、『シャイニング』のウェンディはどちらも男性の支配から逃れようとして戦う、という共通のドラマになっています。

ローズの独立が「タイタニックの沈没」という壮大な仕掛けが必要だったと同じくウェンディの独立も「オーバールックホテルの呪い」という仕掛けによって作られた夫ジャックの狂気と戦わなければならずその時に共通して出てくるのが「斧」です。

タイタニック』ではローズがを取り出し愛するジャックの手錠を断ち切ります。

『シャイニング』では夫ジャックがを取り出し妻ウェンディが潜むドアをたたき壊します。ウェンディ自身が持つ武器は包丁でこれで夫ジャックの手を切りつけます。

 

つまり「古き良き時代」と呼ばれる古体制はそのまま男女差別と結びついておりヒロインはどちらもその体制と命がけで戦うことでのみそれを突破できたのでした。

古い体制を終わらせるには「タイタニックの沈没」と「オーバールックホテルの呪い」が必要だったのです。

その壮絶さは筆舌に尽くしがたいものです。

映画を観て体感するしかありません。

 

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『シャイニング』のゴーストが凄まじく禍々しいのに比べ『タイタニック』のゴーストはそう言ってはならない悲劇を感じるものですがそれでもそれを感じてしまった私は思わずゾゾっと怖気をふるってしまったのです。

 

キャメロン監督はそうした「古き良き時代」ヨーロッパの真似をする醜悪な上流階級社会をタイタニックの沈没で葬りさったのだという映画を作ったのです。それはわかりにくいものでもあります。

キューブリックはさらに難解な形でオーバールックホテルの呪いを使って暴力と支配の狂気を描きました。

 

キーワードは上流社会・斧・ジャック

 

上流社会は差別・被差別、支配・被支配、搾取などからくる反抗・離脱へと導かれるでしょう。

 

斧は両作品で支配・暴力とそれに対する抵抗の両面として表現されました。

 

両方の作品の主人公の名前が「ジャック」というのも不思議のようで当たり前なのかもしれません。英語名で「ジャック」は男性の名前としてもっともありふれていて男性そのものの代名詞としても使われるようです。

『シャイニング』ではアル中のDV夫の名前がジャックなのも一番ありふれた名前だからでしょう。彼は男性を代表して存在しているわけです。

一方『タイタニック』ではローズを救う天使の存在の名前が「ジャック」なのです。これもまた彼は「誰でもいい」のでしょう。

支配下で苦しむローズを引っ張り出してくれる若い希望に満ちた男性であれば。

ローズが愛したのは制度などに縛られない「自由な若い男」そのものだった、のです。

 

一方女性はかたや上流階級の姫君・美しいローズと子持ちで貧乏で貧相なウェンディです。彼女たちはまったく違う設定ながら男性の支配下で苦しんでいる、という一点で同じです。そして自分の力でその支配と立ち向かい戦い逃げ出したのでした。

 

なぜかジャックの最期も両方とも凍死と共通しています。

天使のジャックの美しい凍死と悪魔のジャックの凍死の形相は物凄く違いますが。

 

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どちらもジャックです。

ま、寒い場所での物語なのでもっとも過酷となるとこの形態になるのでしょうか。

 

あとはタイタニックの船内廊下が迷路のように複雑なこととオーバールックホテル廊下そして迷路そのものも『シャイニング』には登場します。

 

さらに映画の作り手がアメリカ人であることもあり「上流階級」という存在に対して他の国のクリエイターよりも独特の批判意識が強いことが感じられます。忌むべき存在、ともいえそうです。

私がぞっとしたのはそういう意識から作られた上流階級のゴーストを観たからでもあるのです。

おぞましい存在として封印してしまった、とも感じられるのです。『タイタニック』ではその場所に戻るのに青いダイヤの首飾りが必要でローズはゴーストの世界へ入ったのでした。

 

 

そして共通点というわけではありませんがどちらの物語にも主人公を助けてくれる人物が登場します。

タイタニック』ではモリー

『シャイニング』ではハローラン。

弱い存在に力を貸してくれるこういう人がいるのを知ることがなんといっても素晴らしい。

どちらも決して権力を持っているわけではないのに弱い存在を見捨てて置けない心を持っているのがかっこいいのです。

こうしたキャラがいるだけで作品が忘れられないものになると思います。