地上波テレビ放送されて話題になっていました。私は「金ロー」は観なかったのですが久しぶりに観たくなって以前録画していた吹き替え版を引っ張り出してみました。
1997年公開時に映画館には行っていませんがレンタルかテレビ放送かで早いうちに観たはずです。
当時はレオ様フィーバーがものすごく大恋愛映画という宣伝でした。もちろん3時間の大作で並外れたアクションパニック作品だったことも話題でした。
その影響もあってか当初の私の感想はいかにもなラブロマンスと大騒ぎのパニックの掛け合わせという評価でしかなかったのでした。もしどこかでこの映画の批評を書いていたらきっとそうした悪口でしょう。
現在でも多くのレビューでは高評価でなければそうした罵詈雑言が噴出しているようです。
しかし20数年経って再鑑賞した私には本作はまったく違ったものとして感じられました。
まずこの映画はローズという一人の女性が古い体制の縛りを解き放ち新しい時代へと飛び立つ物語なのですね。
それはすでに上のポスターに表現されています。
歴史に残るラブシーンとされるこの船の舳先で両腕を広げて立つローズとそれを支えるジャックの姿はラブシーン、というだけではなく自由へ飛び立ちたいと願う女性とそれを手助けする青年を意味している、というのは今回になって気づいたのです。
(それに気づくのに20数年かかりましたw)
さてさてネタバレしますのでご注意を。
まずこれはよく言われる「べたべたなラブロマンス」「陳腐な恋愛映画」でないのです。恋愛ではあるかもしれませんがローズとジャックが結ばれない(結婚できないという意味)のは当然なのです。
単なる悲恋ものという意味ではなくジャックは死ぬ必要があったのです。
ローズは若く美しく教養と知性を持ちしかも気が強いのですがそれでも古い体制から逃れることができず自分を押し殺して財産目当ての結婚をさせられようとしていました。
富裕な婚約者は彼女を理解せず自分の支配下に置くことだけを考えています。
自殺しようとしたローズを救うのがジャックです。彼は貧しく何の展望もありませんがローズが好きな絵画を得意として自由に生きています。
絵を描く目はその人の本質を見抜けるという彼はローズの本心を言い表します。
「君は馬にまたがって乗る女性だ」
本作はとりあえずジャックを主人公として作られているようですがその実彼の描写はあまり細かくありません。
心の描写はローズに重きをおかれジャックは彼女にとっての「天使」の存在です。
(ふたりの出会いでは別の男が「彼女は手の届かない天使だ」と言い表すのですが実際は逆です)
ジャックは彼女の命を救い彼女の心を理解し彼女を縛る鎖を解き放ち彼女が進むべき道を示すのです。
もしこれが普通のラブロマンスであるのならジャックは生きぬきふたりは新生活を共に始めるはずです。
ところがジャックは死ななければなりませんでした。
「ローズという女性が自立する物語」として死ななければならなかったのです。
もしジャックが生き延びてふたりが結婚すればローズはジャックから支配されるだけです。
「そんな馬鹿な。ふたりは平等に愛し合っているのだから」という反問が聞こえますが、これは物語という作品です。フィクションです。
物語として確立するにはジャックは天使として(天の使いですな)ローズを導く役目でありそこで彼女から離れなければならないのです。
自分の意志で歩きだすローズは彼との約束を果たそうと自分で結婚相手を見つけ子供を産み孫にも恵まれます。
百歳を過ぎたローズの贅沢ではなくても幸福そうな生活ぶりを見れば彼女がジャックとの約束をかなえていったのがわかります。
女性の自立の物語としてローズとジャックは出会いそして別れなければならなかった。この映画の題材であればジャックはローズの命を守って死ぬことで完成したのです。
本作は様々な場面でローズの自立、古い体制からの解放、ジャックの教え、が繰り返し描写されます。
船底のダンスパーティでローズが一人で「バレエのつま先立ち」をするのも男にはできない女性の並外れた「独り立ち」を見せつけているのでしょう。ここでもさりげなくジャックがそれを助けています。
そして今度は手錠をかけられ逃げられなくなったジャックを自立する決意をしたローズが助け出します。海水の恐怖に負けず苦難をかいくぐり自分で斧を見つけ出しジャックの手錠の鎖を叩き切る場面は鮮烈です。
海に唾を吐く練習をする場面は後に嫌な婚約者の顔に唾を吐きかけるためですし(もちろん自立を宣言するため)彼女の髪に蝶々の飾りがあるのも(自由に飛ぶっていう暗喩)裸体を描いてもらうのもジャックと愛し合うのも彼女が自分の意志で生きていくことを意味しているのです。
こうしたことが20数年前観た時には私はまったく気付けませんでした。
陳腐にありふれたよくある上流階級の美女と貧しいけどハンサムな青年とのラブストーリーを大げさなパニックもので作り上げた、ことだけしか見えていなかったのでした。
ひとりの女性が古い価値観、古い体制、男女差別から自分を解き放ち飛び立つにはタイタニックが沈むほどそしてそこから這い上がるほどの意志と力が必要だという暗喩であるのです。
実際この映画が封切られ多くの人が観て二十数年経った今でも日本社会はそうした古い体制・男女差別からまったく、というのが言い過ぎならほんのわずかしか変化しておらずあるいは悪化した部分すらあるのです。
他の方の幾つかのレビューを読んでそうした映画『タイタニック』の本質を感じ取った方もおられる一方いまだに20数年前の私のような浅はかな見方しかできない人も多く存在するようです。
ローズの存在の意味さえわからず侮蔑しているレビューを見ると昔の自分であるため苦笑するしかないのですが早く気付いてもらえることを期待するしかありません。
さて!
ここまでだったら私はジェームズ・キャメロン監督作『タイタニック』を大いに賛美して終えられるのですが実はこの映画鑑賞の最後の最後で私は大感動ではなく恐怖に震えてしまったのです。
ある意味私的にはよりいっそうこの映画が忘れられないものになりそうな一件であるのですが。
物語はキャメロン監督自身のように思われるタイタニック号に眠る財宝を探すトレジャーハンターが見つけた一枚のスケッチをテレビで発表したことで100歳を越えたローズが「それは私です」と申し出るところから始まります。
そして最後はそのローズがずっと持っていた秘宝を海に投じて眠りにつくところで終わります。
ローズはジャックとの約束「必ず生きぬいて幸せな結婚をし子供たちに囲まれ暖かなベッドで終わるんだ」を守ったのでした。
そして問題はその時ローズが観た夢です。
彼女は夢の中でタイタニックのあの懐かしい豪華な船内で若いローズに戻りドレスを
身にまとい時計の前で待つジャックのもとへ近寄りキスをします。
船内の人々がそのふたりを見て拍手をおくる、という場面は感動で涙があふれる・・・はず・・・だったのですが私は物凄い恐怖に襲われゾゾゾゾゾと震え上がってしまったのです。
こ、これは
『シャイニング』ではありませんか!
いや別に急に『タイタニック』を貶めようとしているわけではありません。
私はキューブリックと『シャイニング』がめちゃめちゃ好きなのです。
そして好きすぎるがゆえに大感動映画『タイタニック』の最後の場面が『シャイニング』のオーバールックホテルと雰囲気がそっくりだと感じてしまったのです。
しかも『シャイニング』のこのドアから覗く顔の男の名前はジャックなのです。
な、なぜ?
さらに考えていくと『タイタニック』と『シャイニング』は驚くほど共通点が多いのです。
時間が来てしまったのでここで一時止めますが後に続けます。