ガエル記

散策

『ウォルト・ディズニーの約束』その2

こんなに打ちのめされ考えさせられる映画があるとは思いませんでした。

この映画を観るのはとても大切で必要なことなのではないでしょうか。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

パメラ・トラバース夫人とウォルト・ディズニーというふたりのクリエイターが一つの作品の中にそれぞれ自分の思いを重ねていく物語でした。

それは偶然にも愛しながらも心の傷となっていたそれぞれの父親像だったのです。

本作ではパメラとウォルトの話を主旋律にしてパメラの幼い頃とその父親についてが描かれていきます。『メリー・ポピンズ』に登場する父親バンクス氏とパメラの父親は銀行員という以外それほど似通ってはいないようですがそれでも彼女はその人格に確かに自分の父親を重ねていたのでした。

 

映画の中の幼いパメラの父親の姿はなんともやりきれないものです。

何が原因なのかわかりませんが彼女の父親は銀行員になりながらもアルコール中毒となって仕事をまっとうすることができない人として描かれています。

コリン・ファレルがその人物を素晴らしく演じています。

娘パメラのことはとても優しく愛しんでいたのがわかります。夢想家の彼には現実の社会で働くことができなかったのでしょうか。その苦しみをアルコールで紛らわし誤魔化し続けとうとう体を壊して亡くなってしまうのでした。

パメラが7歳の時だったそうです。母親は悲しみ夫を追って自殺未遂まで起こします。その後の生活はほとんど描かれませんが彼女の生活が決して安楽ではなかったはずです。

一方ウォルトは幼い頃から厳格な父親に家業の新聞配達の手伝いを担わされたと語ります。

雪の降る寒い朝に古ぼけた靴で新聞を配達するウォルトをベルトを持って立つ父親が出迎えたというのです。そのベルトで彼は打たれたのか明言はされませんがぞっとする話です。ウォルト自身もバンクス氏の姿に自分の父親を重ねていたに違いありません。だからこそその外見も似せてしまったのです。

 

そのためもあって最初の脚本ではバンクス氏はどうやら嫌な人物として描かれてしまった。

それを知ったトラバース夫人は怒りをぶつけるのです。

 

これを観ているとやはり人間の作る作品というものは本人の歴史そのものなのだということがわかります。

当然のことなのですが人は自分が経験したことしか描けないし、それが自分自身と重なるほど深く重い内容になりそうでなければ薄っぺらになってしまう、ということなのですね。

ですから他人が書いた作品を別のクリエイターが映画化などで作り直すのはとても難しいのです。

メリー・ポピンズ』の場合は偶然思いが同じになった、理想的な例でしょう。

しかし往々にして「まったく違うものになってしまう」ことがあります。

とはいえその違いが特殊な反応として別の良い作品になることもまたあるでしょう。

とはいえ違ったメディアに作り変えるクリエイターの魂も入っていなければ良い作品になるはずがないのです。

そこに映画化などの難しさと面白さがあるのです。

邦題『ウォルト・ディズニーの約束』ではまったく意味がなくなります。

原題の『 Saving Mr. Banks 』(直訳:『バンクス氏の救済』)でなくては理解できなくなるのです。

ふたりのクリエイターが別の角度から同じことを考えていた、と語るこの映画の面白さ深さはこのタイトルにあるのです。