ガエル記

散策

『タリーと私の秘密の時間』ジェイソン・ライトマン

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とても巧く作られた映画でした。テーマがありアイディアがあり主演のシャーリーズ・セロンは相変わらずの素晴らしい役作りと演技でした。観始めたら引き込まれて観てしまう映画だと思います。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

かつてはメリー・ポピンズが魔法で幸福にしてくれましたが現在は自分自身でCG化しないといけません。

この世にファンタジーはない、という辛辣な作品です。

しかし何ということでしょう。人間というのはなかなか幸福になれない生物なのです。

昨日観た『マダム』でマダムは出産の時に夫が立ち会ってくれなかったことに失望し離婚しました。

本作の夫はしっかり出産に立ち会い仕事をし子供にもかまってはくれるのですがそれでも妻は幸福にはなれないのです。

あと一歩男性は前に進まなければなりません。すべての人間の夫婦が対等に出産育児に携われる日はくるのでしょうか。

それとも育児ロボットがすべてを引き受けてくれるのを待った方が確実なのでしょうか。

それはそれでまた不満が出てくるのでしょうが常に人間は不満と戦うしかないのです。

 

登場する赤ちゃんがかわいくてかわいくてあのぽったりした背中を見ていると抱っこしたくてたまりませんね。ひっきりなしの泣き声も愛おしくて、こんな赤ちゃんの世話をしたいなあと思ってしまうのです。

赤ちゃんが生まれる、子育てをする、ということ以上に幸せな時間があるのでしょうか。

でも実際のその時期は物凄く辛いというのはどういうからくりなのでしょうか。

そして必ず後になって「あの頃が一番幸せだったのよ」というのです。もちろんほんとうに深刻に不幸な人もいます。人生とは残酷です。

 

映画でタリーが登場した時「白人女性か・・・なんだかなあ」と思ってしまいました。というのは映画で冒頭アジア系女性が出てくるのですがなんとなくアメリカ映画の中で白人俳優はアジア系俳優のキャラクターに素っ気ないんですよね。

この映画に限らず他の作品でもアジア俳優との間に壁があるように思えます。

本作では主人公の兄の妻役でアジア女性が登場しますがなぜか夫と密接な場面がなく主人公のマーロに親し気に話しかけているのに愛情のある返しがないんです。

しかしベビーシッターの白人女性とはいきなり密接な関係になっていきます。

無論これは後で「自分自身だった」という種明かしで理解できるのですが考えてみればマーロが空想の中でアジア女性に憧れていた、という発想もできなくはないわけです。

主人公がアジア女性なら夢想の中で金髪の美しい白人女性になっている、というのは『幸福路のチー』でも描かれていましたし。

本作は素晴らしく良くできた映画だと納得できるのですが、白人女性のヒロイン・マーロの兄嫁がアジア系で彼女と彼女のやりとりにどうしても白人女性同士の関係のような深みがないのがここでも感じられて残念でした。

黒人俳優だとそこまで壁がない気がするのにアジア系とはもやっとした隔たりがあるのです。

現実のコケイジャンとアジアンならそんなこともないだろうに不思議です。実際に夫婦だったり親友だったりするはずなのですが映画だと途端に混じりあわないように見えるのです。

気のせいと言われそうですが、少なくとも体の触れ合いが極端に少ないんです。それは観てわかることですから。

もしタリーがアジア女性(中国系でも韓国系でもいいのですが)という設定でマーロと親密な関係になるのだったらもう少し作品として高評価できる気がします。

 

かつて『エデンの東』でジェームズ・ディーンを導く存在として中国系老人を映画に出さなかったのは悔やまれます。なぜ中国系老人の知恵を若い白人女子に言わせたのか。

その点やっぱり『ベスト・キッド』は凄いなあと。

そしてその希望は『スターウォーズ』に受け継がれていきますw