ガエル記

散策

『POSE』Netflix

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以前といってもかなり昔になってしまいましたけど、いわゆるLGBT系の映画小説マンガなどに浸りこんでいました。その頃はLGBTと言う言葉はなかったしBLという言葉すらありませんでした。

物語は主人公の目覚めから自分を認めてくれない世間や家族との葛藤差別意識とへの不満や反抗と言う題材が繰り返されることになります。

時を経て次第に世界が変わってきました。アメリカやヨーロッパではLGBT作品は当たり前のようになっていき、アジアでもその傾向は強まっています。それらと比較すると日本はまだまだ未熟ですがそれでもLGBTと言う言葉が作られ浸透してきました。

そうなるとどういうものか私はあれほど観てきた読んできたLGBT作品から離れだしてしまいました。

なぜでしょうか。

認められ始めた今となってはその題材が「売れる要素」として確立したもののその内容はありきたりで見る価値が少なくなったように思えてきたからです。

特に「女装」という分野で「心は女性」という表現に懐疑を感じてしまいます。

 

ネットフリックスでPOSEと言うドラマを見つけた時も「また女装」の話か、と思ったのですがつい観始めてしまうと面白さに惹きこまれてしまいました。

なぜこうも面白いのか、まだよくわかりません。

題材としてはよくあるもの、なのかもしれません。

1980年代末、認められはしないが隆盛していたゲイカルチャーを恐怖に陥れたエイズが蔓延していきます。

そんな時期週末のNYで華やかに開催されていた「ボール」の世界を描いています。

私はドラァグクイーンは知っていても「ボール」の存在は知りませんでした。

何らかの題目を決めてコスチュームをまといパフォーマンスを競う。優勝者は称えられますが、だからと言ってそれが収入になるわけでもなく与えられるのは名誉だけ、のようです。

ドラァグと違いこちらは黒人やスパニッシュの文化なのでしょうか。

彼ら彼女らは決して裕福ではない、どころか明らかに貧しい環境の人々です。ボールの常勝ハウス(チームをそう呼ぶ)のマザー(リーダー)である女王然としたエレクトラでさえ所詮収入は裕福な白人男性からの援助に頼っています。エレクトラのハウスが住む部屋でさえ高級なマンションではないことは一目見てわかります。一番の彼女ですらそうなのですから彼女に反抗して新しいハウスを作ろうとするブランカのアパートはもう見るからに貧弱なのです。

彼女たちは普段はネイリストや男たちに体を見せることで稼ぎ週末の「ボール」にすべてを賭けて生きているのでした

 

途中までそれでも整形や泥棒までしてボールで優勝しようとする行動に哀れを感じて中断しようと何度もしましたがシーズン1を観終わりました。

いやこれは単なるLGBT作品ではなくそして昔を懐かしむだけでもなくボールの華やかさを楽しむだけでもないと気づきました。

それはなんでしょうか。

白人男性だけしか入れない人気ゲイバーで酒を飲もうとするブランカの話があります。ブランカは褐色の肌で女装をしています。「女はお断りだ」と文字通り放り出されてしまうブランカは何度も店に入りとうとう警察に捕まってしまうのです。

「社会には段階がある。女、同性愛者は差別されるけれど私たちはそれ以下の存在」

親兄弟からも追い出された彼はブランカと言う女性となって「ハウス」を作るのです。

「ここには追い出された子供たちが集まれるように」

これは今も必要な「場所」なのではないでしょうか。

ブランカは「ハウス」を作り「マザー」となって寄る辺ない子供たちを受け入れ「家族」を作りました。

ブランカを「妹」と呼ぶプレイ・テルはそこは「ホーム」だと最後に語ります。

偶然出会っただけの人々が何度もケンカしぶつかり合いながら家族を築いていく物語に見入ってしまったのです。

 

特に私が惹かれたのは美しいエレクトラです。

背が高く素晴らしい肉体を持つエレクトラはその精神も気高く気性が激しいのですがそれゆえに冷酷なところもありました。

「私が街を歩けば白人女と同じように扱われるのよ」という台詞は悲しく響きます。

そんなエレクトラが白人男に見放されどん底に落ちてしまったのを救うのがかつて争ったブランカでした。

最優秀のマザーに選ばれたブランカを称えるエレクトラ

「最優秀のマザー」なんだか泣けてきます。

 

ギリギリでやっと生きている彼女彼らが一瞬だけ輝くボールの世界。

それは白人たち社会には何の意味もないのです。

エンジェルを愛した白人男もその世界を垣間見て具合を悪くしてしまいます。彼にはその世界の意味がわからないのです。

ただエンジェルの謎めいた美しさに惑わされただけなのです。それに気づいたエンジェルは彼との別れる決意をします。

エンジェルにはボールが必要だったのです。

 

さて私たちの私の「ボール」は何なのでしょうか。

カテゴリーは?

解き放って。

輝いて。

POSE。

 

ビリー・ポーターの声が響いてきます。

 

最近ずっと学んでいる安冨歩教授の「子どもを守る」はこんな答えもあるように思えました。