ガエル記

散策

『ザリガニの鳴くところ』オリヴィア・ニューマン

とても面白く惹きこまれて観てしまいました。

ただそれだけではない作品でもありました。

 

ネタバレしますのでご注意を。さらに『無聲 The Silent Forest』にも触れます。

 

 

本作『ザリガニの鳴くところ』は先日観た台湾映画『無聲 The Silent Forest』と同じ題材「弱き存在の声は聞こえない」でありながらその表現方法は真逆と言えるものです。

記事で書いたように『無聲 The Silent Forest』は題材をそのままリアルに映像化した作品なのと比較して本作はいわばファンタジーと言っていいのではないでしょうか。

しかしやはりファンタジーは心を癒してくれるものですね。

同じ題材なのに『無聲 The Silent Forest』において私は「とても好きになれない映画」だと言ったのに本作では「とても面白かった」と書いてしまうのですから。

 

『無聲 The Silent Forest』いおいて「弱き存在」はろう学校に通う子どもたちここでの比較をしやすくするためには最も大きく語られたひとりの小柄な少女ベイベイでした。

彼女は同じ学校の男子生徒から性的暴行を受け続け訴えても信じてもらえずついに不妊手術をしようとさえ考えるのです。彼女には優しい家族だけがありますが他はまったく無力でなにもできないのです。

そうした弱い少女ベイベイを観続けるのは本当に辛いものでした。

 

本作においてヒロインのカイアは「湿地の娘」と人々から嫌悪され忌避される少女となっています。後に改善されていきますが最初は無学で薄汚れた身なりをし町の人々から半分獣だとか魔女だとかの噂をされている存在です。

冒頭ですでに彼女は容疑者として登場します。そんな魔女であれば殺人犯なのも当然だろうという噂が彼女を貶めてしまうのです。

が、この作品の少女カイアはろう学校の少女ベイベイとはまったく違い現実に立ち向かって戦うのです。

そしてその戦いは勝利へと導かれます。その展開はまさにファンタジーでした。

 

 

ベイベイのボーイフレンドは彼女と同じろう学校の生徒でいわば同じ世界の住人でした。

本作のカイアのボーイフレンドは「普通の社会の住人」です。ここですでにカイアは勝利のチケットをつかんでいます。

実際にカイアのような「不気味な異世界の女性」をきわめて普通の白人男性たるティトが好きになるのかどうか。映画だと美人女優が演じているので魅力的に思えますが実際には確かに「臭い」とか「怯えた目つき」だとか「無学からの無作法さ」とかが男性を遠ざけてしまうとしか思えないのですよ。幼女時代は良いとしても。

 

日本のコンテンツでもオタク男が極めてかわいい普通少女と仲良くなるというあり得ないファンタジーが存在しますが本作もその例の一つではないかと思うのです。

 

カイアのもう一人のボーイフレンドとなったチェイスはあり得るかもしれません。残酷なからかい趣味のようなものです。

 

が、カイアが手にした勝利はそれだけではありません。彼女は自ら戦いを挑みそして勝利したのです。

「殺人」と言う暴力をもって。

さてこれはほんとうにファンタジーでありホラーでもあります。

 

上のポスター、遠目に見るとカイアが殺人鬼的な目つきで見ているように見えて怖いです。このポスターに答えが隠されていたのかもしれません。

『無聲 The Silent Forest』の記事で「暴力の連鎖」と書きましたが本作ではヒロインが暴力に暴力でもって返すという連鎖を起こしています。

町の人々の噂通り彼女はほんとうに魔女であり半分獣だったというわけです。

ティトはどう思ったのでしょうか。

 

しかし私自身暴力的なのでしょう。この事実を知っても「いい気味だ」とも思えるのです。「ざまあみやがれ」とも。

 

ますます論評は困難になってきました。

果たしてこの映画は良い映画なのかそうでないのか。

 

ちょっと置いて。

 

この映画を観ていてすぐに連想したのは『家なき娘』ペリーヌが物語の半ばで住んだ沼地の家の場面です。工場の寮の酷さに逃げ出したペリーヌは誰も住んでいなかった沼地の一軒家に住み込んで魚を釣ったり服や靴を自分で作ったりという悠々自適な生活をしばし楽しむのですがこの場面がとても素晴らしくて憧れました。

後に作者氏がこの場面から物語を始めたというのを読んでとても納得したものです。それほどあの一節は魅力的でした。

本作は小説原作があるようですが『家なき娘』から発想を得たのではないかとちょっと勘ぐったりします。実際に沼地に住むのが快適なのかどうか、よくわからないのですが。

もうひとつはジョルジュ・サンドの『愛の妖精』です。

大昔に読んだ切りなのですがフランスの田舎町の話で美しい双子の少年と魔女と呼ばれている女の孫であるファデットの物語、だったと記憶しています。ファデットたちは村人から毛嫌いされていて彼女もいつも汚い恰好をして怪しげな行動をとっていました。

双子の片割れランドリーはなりゆきでファデットと近しくなりファデットも彼に好かれたくて身なりを綺麗にするようになり、いっそうふたりは仲良くなっていくのです。

その様子に双子のもう一人が嫉妬するのですが、という物語です。

この小説ではランドリーとファデットが仲良くなっていく様子がとても自然でわかりやすく描かれていたと思うのですが、やはりファンタジーであるのには違いないですね。

ダメな男が美少女に好かれる話を望むように女もまたダメな自分を美少年が好きになってくれるのではないかと夢見るわけです。

ランドリーや本作のティトがすらりとしたハンサムでまっとうな社会人でなければファンタジーではなくなってしまいます。

同じオタク世界の住人たる男ではその夢はかなえられない、ということでしょうか。

 

とはいえ本作は現在の映画です。

彼女を助けてくれた店の夫婦や弁護士は良いとしてもハンサムなボーイフレンドはなくてはならなかったのか、同性の友だちではいけなかったのか。殺人と言う暴力を選ばなければいけなかったのか。

ファンタジーを楽しんだもののやはり疑問は湧いてきます。