上の本国・韓国版と使っている写真は同じなのにレイアウト・色味などで微妙に差異をつけた日本版ポスターを並べてみました。
韓国版がもっさりしているのに日本版はシャープな感じですが、この映画の場合は本国・韓国版が正解でしょう。妙なおしゃれ感は間違いです。
といういつもの日本版ポスターがっかりに引き続き、
今回は本作自体にも感心できなかった、というのが本音です。
以下ネタバレしますのでご注意を。
本作、韓国はもとより日本での評判も物凄く高くて期待して観てしまったのですが私が観たい映画ではなかったと後悔しました。共感しなくてもいいのですがあまりにも共鳴できなさすぎでした。
42歳のヒロイン・イムナミはかなり裕福な主婦生活を送っています。娘は思春期で悩み多く夫は仕事に忙しくてすれ違いの毎日ではありますが。
そんな時に再会した高校時代の友人女性が余命いくばくもないのを知ります。イムナミは彼女の願いでかつての仲間を探し始めます。
なかなか面白く興味ある設定です。これまで男性のそれなら数多く描かれたであろう青春物語を女性たちにしてパンチのある作品に仕上がっているのですが今現在の私であるからなのか、いろいろと肯けない点があるのですね。
最も大きな点から言えば、クールビューティ・スジが顔を切られて自殺未遂、というのはしっくりこない。
美しい顔のスジは皆からそれをほめられていますが本人はいたってクールな態度なのがかっこよかったわけです。そんなスジはイムナミを襲った少女の顔に火を押し付けようとします。その後で自分の顔に傷をつけられて自殺しようとするのは納得できませんでした。
昔だから、少女だからと様々な言い訳ができそうですが感動はしづらいのです。
顔を切られてもスジはクールだった、とはならなかったのでしょうか。苦痛には同情しても美貌への価値観の執着に興醒めします。バレエダンサーが足を失って踊れなくなった、などであれば別ですが。
しかも最後の顔を見れば跡は残っていないようですし彼女はもしかしたら自殺未遂などではなかったのでは、とすら思います。
とはいえ物語はスジが自殺未遂をして仲間たちがばらばらになった、という形で進みます。ほんとうにそうなるのでしょうか。重要なこの部分が肯定できません。
そうした作品を覆っている暴力性・差別性から逃れられない価値観に共感できないのです。
彼女たちが大人になってからも暴力で物事を解決しようとするのを単純に「おもしろい」と楽しめないのでした。
ラストの「亡くなった友人からの贈り物」もまた価値観の相違にがっくりします。
彼女たちの大切なもの、というのはそうした金銭的なもの、だったのでしょうか。
たとえば彼女の残したものが他の人にはまったく何の価値もないけど私たちには大事な宝物だった、というようなオチであるほうが良かったように思えます。
この映画がなぜあれほど絶賛されたのか、ちょっと不思議でもあります。
余談ですが、本作を観てすぐに思い出されたのはつい先日同じくアマプラで観た『シン・エヴァンゲリオン劇場版』です。
あのお話はなぜか外見が少年少女のままでしたが実際はこんな風に年を取って「あの頃はエヴァに乗っていろいろ戦ったりしたよね」というおじさんおばさんの映画にすべきだったのではないかと思っています。
というか外見は太ってしわが寄り腰も痛いのに中学生のままのつもりでいるのが日本のエヴァ世代、ということになるのかもしれません。実際はこのような映画を作るべきだったはずでしょうがそれができないのが庵野監督でいつまでたってもリメイクをしている方なのでしょう。