ガエル記

散策

『新世紀エヴァンゲリオン』庵野秀明

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ネットフリックスにて鑑賞。再鑑賞の部分もあります。

 

エヴァ』をリアルタイムでは観ていませんし、後日観る機会があった時ちらりと見て反感があったためかなり長い間観ずにいました。さらに後日ある程度観ることができましたがやはり最初に感じた嫌悪感に近いものは間違っていませんでした。

さらに後日新劇場版になってからは以前感じていた嫌悪感がすっと消えてしまったのです。

つまり私は最初のテレビ版には反感があるのですが新劇場版は共感を持って見ることができるのです。(大好きではないのですが)これはおかしなことでしょうか。

しかし一般的にエヴァファンは最初のテレビ版こそがエヴァなのであって新劇場版になってからはかなりの罵声を聞きました。

「これは私の(俺の)エヴァではない。エヴァは破壊されてしまった」などなど。

ということはその逆である私もいるのですから明確に何かが違う、ということなのです。

 

 

ところでこの『新世紀エヴァンゲリオン』というアニメ作品は私にとって好きになれない作品ではあるのですが非常にわかりやすい作品でもあります。

もしかしたらあまりにも理解できる作品だったからこそ奇妙な反感と嫌悪感が生まれてしまったのかもしれません。

つまりはこれ庵野秀明という一人の人間がぶつぶつつぶやきながらごっこ遊びをしている、という作品ですね。

小さい子供がよくやりますね。人形を持ってその中に自分を乗り移らせ「おまえは誰だ。宇宙の敵だな。やっつけてやる。えい。やあ。くそ、次は必ずやっつけてやるぞ」みたいな。

女の子なら「ステキなドレスでしょ?ケーキを食べていかない?」みたいなお人形さん遊び。あれをアニメでやってる感じです。

シトはヒト(人)だし、オタク人間なら世界中のすべての人が敵(シト)なのは一目瞭然なのはすぐわかる。14歳のころは思春期で第二次成長期、性の目覚めもあって多感で不安で臆病なのに親からは世界との戦いを命じられていく。

ガンダムが現実の世界での戦争を描くのならエヴァは自分の中の戦争を描いているものなのです。

それは非常に面白いアイディアでした。特に男性はガンダムのようなリアル世界を模した作品は高評価しやすいのですがエヴァのようなメタ認知的な世界は敬遠してしまうものです。

エヴァの技法は明らかに「少女マンガ」世界を取り入れたものです。ですから少女マンガを読んできた人間には非常にわかりやすい表現なのですが少女マンガを見過ごしていた男性たちには特に斬新な演出として感じてしまったのではないでしょうか。

などということを何十年も経った今さら話しても詮無いことではありますが。

 

とはいえそのエヴァはいまだに完結を迎えていません。いや作品はもしかしたら完結したのかもしれませんがそれを観るには至ってないわけです。

さてその終末はどうなっているのでしょうか。

私はたぶんこの作品をすっかり好きになることはもうないと思うのですが(あまりにもキャラクターを好きになれな過ぎます)新劇場版になってからはかなり興味は湧いています。

 

それにしてもエヴァがこれほど評価されても同じように精神世界を描いたものはほとんどないのは残念にも思えます。

女性の作品、男性的技術を超えた女性的な作品というものももっと生まれて欲しく思います。