ガエル記

散策

『ジャイアントロボ』横山光輝の原作と『~地球が静止する日~』今川泰宏

上の『ジャイアントロボ』が下になります。

 

さて昨日も書きましたが今川『ジャイアントロボ地球が静止する日~』はそれはそれでとても楽しみましたのでそれをどうこう批判はしないのですがそのアニメ作品によって原作横山作品の特徴・価値もまたひとつ明確になるのでここであえて「お楽しみ」として記してみたいと思います。

今川泰宏版『ジャイアントロボ』もまた監督の愛が満ちたひとつの傑作と思いますのでその上での記述としてご理解ください。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

なんといっても横山原作と今川版の違いはその実直さと騒々しさにあると思います。

これは横山氏が言われていたことだけどクライマックスの一場面を描くために地道な積み上げを根気よくしていくことが良い作品を作る、という言葉がありました。

今川版はこれの対局にあるように思えます。とにかく興味のあるおもしろいものを全部出して最初から全速力ですっ飛ばしていく。

なので作品がすべて横山キャラで構成されていてもまったく違う何かになってしまったのではないでしょうか。

 

その気持ちがジャイアントロボのデザインそのものにも表れています。今川ロボはもりもりとして意味ありげなまなざしで過剰なエロチシズムを感じさせようと迫ってきますが横山ロボは何も考えていない目をしてズドンとしたフォルムをしていますがそこにファンはリアルな魅力を感じていたと思えます。

今川ロボが涙を滂沱と流す場面がありますが横山氏はそうした演出はしていないのではないでしょうか。

表情がありすぎて醒めてしまう感があります。上のいかにもメカ的な魅力がないのです。

(マンガGRは最初の頃は小沢さとる作画かもしれませんが横山氏との共作というので語ります)

 

主人公の草場大作くん。

今川監督は『鉄人28号』の大ファンだったようなので原作の最初の頃の大作くんはもとより後期のやや幼くなったのよりさらに子供っぽく描いて正太郎クンに近づけた気がします。

そして一本気な横山主人公と今川版大作くんは大きく違っています。

これは横山作品を読んできたから思い知った気がします。

今川版大作はむしろ『エヴァ』の碇シンジくんなのですがこれは同時代の作品だからこその影響でしょうか。

 

作品内で「大人たちが子供を守る」的な発言がありますが横山作品は大人相手に子供が戦う意識はあっても守ってくれるのは一人だけもしくは僅かという気がします。

基本的に横山主人公は孤独だと思い知らされましたから。

今川版では銀鈴はじめ周囲の大人たちがみんな大作を愛して守ろうとしていますがそれは監督の思いであって横山世界では「大作くん」といって守護してくれる大人はいないのです。

銀鈴がそういう言葉を使うたびに横山マンガと離れていく気がするのです。

 

その一方、横山マンガでは主人公と強いつながりを持つ人物が登場します。

 

正太郎クンと大塚署長(そして村雨健次)バビル2世とヨミ(そして伊賀野)影丸と天野邪鬼など。

今川版ではみんなが大作くんを守るためか逆にそうした「強い関係性」の描写は失われてしまいました。

しかしこの関係性を描いていることが横山マンガの大きな魅力なのですから今川版は最も美味しい部分を削除してしまったわけでこれでは「らしくない」と思われてもしかたないのです。

ところで横山原作の『ジャイアントロボ』で草場大作くんとの深い関係性を持つ人物は支部長なのかな。やや弱い気もします。

 

横山氏が『ジャイアントロボ』を出版したくなかったのはそうした描写が希薄だったから、ということはないのでしょうか。

 

そんなあれこれを思いながらいろいろ探しているとこういうのが出てきました。

www.youtube.com

 

はああ?なんでしょうか、これ。確かにこちらはかなり原作に近いものを感じます。大作くんもジャイアントロボも。

しかしこれではやれなかったのか?

 

作品を生むのは難しい。

 

追記:そうそう。がっかりしたものの一つに「馬の描き方」があります。

今川版に馬が登場するのですが驚くほどヘンテコだった。

馬を描くのは難しい。馬が巧い人は絵が巧い人、という言葉がありますがその通りなのですね。

横山光輝氏の馬のうまさは格別です。