ケッショウガラスと読むのだなあ。
ネタバレしますのでご注意を。
だからいつも半笑いなのね。
横山マンガの主人公と言えば美形、かっこいい、正義漢の手本といえるけどあえてその逆にしたのが本作なのだろうか。
あえてブサイクを主人公にしてみよう、としたら横山先生の感覚ではそういう人は正義ではない、となったのか。
下衆な性格の主人公にしてみようかと考えたら美形にならなかったのか。
それとも同時発生で不細工で下衆な性格として生まれてしまったのか。
主人公は「なぜか」物凄い殺しの腕前を持つ男である。
数年前に崖に突き出た木の枝にぶら下がっていた、という以前の記憶がすっかりなくなっており自分の本名も判らずどうしてそんなに強いのかすら覚えていないのだ。
ずんぐりとした体躯に不器量な顔立ちながら誰よりも剣では強いと自負している。その腕前で殺しの稼業を請け負いながら荒稼ぎをしては博奕と女に入れあげている。
という他の横山作品にはない主人公キャラなのだ。
(強い、というところだけは多いけど)
名前もないため「カラス」と名乗っている。生きぬくためには義理も人情もなく金を儲けては恩人でも斬り捨てて未練なしという心根で過ごしてきた。
カラスがイイ女好きなので他作品にはないほど女性が多く登場する。そして醜男のカラスを引き立てるため(?)よりいっそう美形男性キャラも登場してくるのがおかしい。
確かに美形キャラがいるからこそ醜形キャラが際立つのだ。
ところで私は横山光輝氏は白土三平作品を常にリスペクトしていると感じるのだが同時に水島新司キャラも気にしていると思っている。
『ドカベン』の山田太郎は趙雲になったと思うのだけど殿馬というキャラもまた捨てがたい魅力あるキャラでもしかしたら本作に影響を与えてはいないかなと思ったりする。ただし殿馬くんは良い人でこんな悪辣な人間性じゃないが。
パット見、まったく美形キャラじゃないというかブサイクキャラの極みなのに頭脳明晰素晴らしいピアニストでありクールで男らしい殿馬は女性ファンも多かったという実績がある。こんなキャラクターを作ることができることこそクリエイターの神髄ではないだろうか。
水島キャラもカッコいい美形も多いのにもかかわらず、だ。
美形キャラで定番の横山氏も対抗したブサイクキャラを作ってみたのではないかと思ったりする。
己が生きるためならなんでもする。殺すことに喜びを感じ快楽を覚える男、なのだが数話目で良い話になってきてしまうのはやはり横山先生は横山先生ってことなんだろう。(良いことだ)
ヤクザな道にはまり女房まで女郎屋に売り飛ばした男が金を稼いで女房を身受けし人生をやり直そうとする姿にうっかり「仏心」を出してしまうのだけどいやいやそれは横山先生ご自身でしょうと言いたくなる。
善人までも殺し続ける話は嫌だったんじゃないのかなあ。